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◆◆◆「いのち」に寄り添って◆Ⅰ◆

赤井 聖子

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30 慟哭

    「悔しいですね」

 41歳のHさんは、こくんと頷きました。

 「思いっきり泣いても良いんですよ・・・少しはすっきりするから・・・」

 少し間をおくと、彼はタオルで 顔を覆い慟哭しました。

 

 告知されてホスピスにいらしたものの、詳しい病状や予後は知りませんでした。『最後まで抵抗したい』そういう思いが有ったからです。症状が落ち着いたら、奥様とルーシェという名前のネコと三人(?)、住み慣れたお家で暮らすことがHさんの夢だったのです。しかし若い彼の身体に巣喰うガン細胞は想像以上の早さで浸潤し、トイレに立つことさえ困難になってしまいました。

 ある日、奥様と二人で病状説明を受けた時、医師が部屋を出るまで平静を装っていたと奥様が教えて下さいました。いつもの、柔和で物静かな表情で聴いておられたのでしょう。

 「この人、人前で泣いちゃいけないって思っているのよ」奥様は悲しみを隠しておっしゃいました。

 

 「悔しいですね」 

 私がかけた一言に崩れられたのでした。悲惨な声がタオルの隙間から漏れます。身体中が震えています。私も涙を抑えられませんでした。

 

 その四日後の夜、奥様はルーシェちゃんを連れてきました。そして、翌朝旅立って逝かれたのです。

 たった一夜だけでした。家族三人水入らずの時を持てたのは・・・。

 

 発病して告知を受け、心の整理が追いつかない早さで進行したのです。それなのに何時も微笑みを浮かべておられるHさんでした。 だからよけいに、私は悲しくてたまらないのです。

 

 

その29   9/1更新

 ホスピスに居りますと、悲しい別れの日を避けることは出来ません。しかしそれ以上に、様々な感動が胸の中を満たしてくれます。

その中でも少し異例な感動場面が有りましたので、ご紹介致します。

 S藤さんは入院中、ずっとご主人が付き添って居られました。お二人ともご病気になられるまで教員をなさっており、燃えるような恋愛の末結婚したのだと言っておられました。息子さんや娘さんも介護して居られましたが、S藤さんはやはりご主人が傍に居られるときが幸せそうに見えました。

 ホスピスの建物は本館とつながっています。ベランダも本館の裏側の外につながっているため、時々ネコちゃんがベランダを歩いています。でもたいていはノラちゃんですから、ベランダの戸を開けるとパッと逃げてしまいます。しかし、ノラちゃんにもそれぞれ個性が有りまして、直ぐ逃げてしまうのもいれば、餌だけねだって後は知らんぷりというのもいます。そんなノラちゃんですが、生まれつき大人しい性格なのか、今まで怖い思いをしたことがないのか、元は家ネコだった母親に育てられたのか、とても人なつっこいネコもたまにやって来ます。

 S藤さんご夫婦は大のネコ好きです。そんなS藤さんのベランダに毎日遊びに来るネコちゃんがいました。見た目も可愛いし大人しいし、ネコ好きであれば抱きしめたくなります。私自身、家に連れて帰りたい衝動をこらえるのが大変でした。(我が家にはトムの他に、丁度一年前家族の一員になったビリーという元ノラがいます。私の収入で3匹は飼えないのです。残念ながら・・・)

 S藤さんのご主人は、そのネコちゃんをお部屋に入れて可愛がっていました。まるでS藤さんの飼いネコのようでした。訪室の度、ご主人と一緒に寄り添って眠っている姿は幸せそうでした。ご主人は、奥様を心から愛していらっしゃいましたから、もうすぐ訪れる別れの悲しみをネコちゃんによって癒されているのだと思いました。私たちスタッフも(全員ではありませんが)、見て見ぬ振りをしていたのです。特に病気を持っているようでもないし、ノミも付いているようではありません。部屋の中で爪とぎもしませんし、病院は清潔区域内であるとは言え現にペットを連れてくることを許可しているわけですから・・・。

 しかし、病室内にノラネコを入れないようにしようという意見が強く出てしまいました。それでも、私たち数人のスタッフは表面上は従う振りをしながら相変わらず見て見ぬ振りをしようと考えていたのです。でも動物の感は鋭いものでそれ以来姿を見せてくれませんでした。

 「この頃、あのネコちゃん来ませんね。」とご主人に言いますと、「実は、退院(奥様が旅立たれたら)する時、家に連れて帰るつもりだったんです」と悲しそうにおっしゃるのです。もっと早くそのお気持ちを話してくださっていたら、その時点から飼いネコとして堂々と部屋の中で飼うことが出来たのに・・・、でも今更その様なことを言えばご主人は益々悲しくなるでしょう。「見つけたら、直ぐに連れてきますからね」と言い、毎日のようにあのネコちゃんを捜しました。

 間もなく奥様は旅立たれ、ご家族は帰って行かれましたが、ご主人の悲しみは秤しれませんでした。

 その後、その部屋には又別のゲストが入られました。

 

 8月22日の朝のことです。相変わらず私は夜勤でした。相棒のスタッフが嬉しそうな声を上げています。どうしたのかとその部屋に入った私も、嬉しさのあまり素っ頓狂な声を上げてしまいました。あのネコちゃんがベランダから中をうかがっているのです。大好きなご主人の姿を探しているようです。私たちは直ぐにドアを開け部屋の中に招き入れました。何の警戒心も持たずネコちゃんは入ってきました。人様の部屋でなんという事をしているの?とお叱りを受けるかもしれませんね。寝たきりの今の部屋主であるMさんに「ごめんなさいね。ちょっとだけネコちゃんを入れてくださいね」と、返答の出来ないMさんにお詫びを言いました。(本音を言いますとMさんで良かった!)

 それから、直ぐにS藤さんのお宅にお電話をかけました。「えっ!本当ですか?今すぐ行きます。30分位で着きますから・・・。」

電話の向こうの、ご主人の声は飛び上がりそうなほど嬉しそうです。

 日勤のスタッフもぞろぞろと、我先にMさんのお部屋に行きます。Mさん本当にごめんなさい。 みんなも大喜びです。

 申し送りをしていると、S藤さんのご主人が満面の笑顔で来られました。20分も経っていたでしょうか。みんな申し送りもそこそこに、ご主人とネコちゃんとの再会を見守っています。ご主人に抱かれたネコちゃんはもうノラでは有りません。とっても幸せそうです。私たちもその日は、本当に幸せな気分で過ごしました。

 

 日頃の私たちは、悲しい別れの場面を見ています。たとえ、良い看取りであっても「死」は悲しいものです。

 たとえ相手がネコでも、再会の喜びの場面はそうそう見られるものではありません。

 

 ご主人は、お腹の中におまけを入れたネコちゃんを抱っこして帰って行かれました。

 小さい命ですが、ご主人を癒す力は大きいのです。

 

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  その28 8/19更新

 「言葉は諸刃の刃です」と何年か前、私が尊敬してやまない司祭が言いました。

 時々私たちは、そんな気が無いのに相手が傷つく言葉を口にしてしまうことが有ります。一度言葉に出してしまえば、取り返しがききません。それでも、自分の言葉に気がつけば誠意を込めて謝ることが出来るでしょう。和解のチャンスが無いわけでは有りません。しかし相手の心の中には少なからず傷が残ります。(残らない事も有るかもしれませんが・・)

 反対に、相手に幸せを感じてもらえる言葉も有ります。相手を思いやり、心がこもっている言葉で有れば、たった一言でも幸せを与える事が出来るのです。

 

 私がホスピスで接している多くの方々は、持っておられる時間に限りが有ります。それもとても短い時間です。私は何時も精一杯尽くしています。出来れば、その一時一時にほんの僅かでも幸せを感じてくださればと、心底願っております。

 そんな私が何時も自分に言い聞かせていること・・・「言葉は諸刃の刃」・・・。

 幸いにも、未だ片面しか使っていないようで安心していますが、決して言葉で患者さんやご家族に不安を与えたり傷を付けたりしないようにと思っています。言い訳や、やり直す時間が私には与えられておりません。

 

 言葉が美しければ、表情も美しい。表情が明るければ言葉も明るいものになります。

 何時も美しい笑顔でいること、そして心のこもった言葉で声がけをすること、それが私のモットーであり、ホスピスという所で働いている自分の心の支えでも有るのです。

 

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その27 8/19更新

 私たちは、一日の終わりに何を考えるでしょうか。今日の自分はどうだったかしら?誰かに迷惑をかけなかったかな?うん、うん、まずまずの一日だったなあ等と、今日という日を送ることが出来たことを神に感謝します。そして眠ります。最近の私は怠け者で感謝の祈りさえ手抜きをし、「うっ!腰がいてーっ!!○○(息子です)腰を踏んでくれー!」とわめきながら腰を踏んでもらい、眠りにつきます。誰も、明日の目覚めの事など考えないでしょう。眠りは、その日の疲れを癒してくれるもの。良い夢が見られたらラッキーです。

 

 でも、眠ることが怖いと思う方が沢山いらっしゃいます。眠れない訳ではないのです。そういう方は本当は眠くて仕方がない。

 では、どうして眠れないのでしょうか。それは眠ることを拒否しているからです。

 眠りは明日への活力を養うもの・・・では無いのです。もしかするとこのまま目覚めることがないのでは?と思っておられるのです。

 ご自分の「死」を意識するあまり、眠りそのものが「死」につながると感じておられるから、眠れないのです。無意識に眠ることを拒否してしまうのです。夜、マッサージをしていますとたいていの方は気持ちよくてうとうとなさいます。そのまま眠るのかなと思っていると、「うっ!!」と目を覚ます方がいらっしゃいます。本当に無理に自分を起こすように。

 「心配しないで・・・。明日の朝も、目覚めることが出来ますよ。ぐっすり眠っておられるようでしたら声をかけて起こしましょうか?」毎日、同じ言葉をかけないと眠れない方もおられるのです。

 

 一日のうちで最も安らかであるべき時を、不安と恐れに包まれている方もおられるのです。

 安らかな眠りを得られない方もおられるということを分かってください。

 

 

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 ちょっと一休み  8/19更新

 ホスピスは、医師と看護師だけが働いているわけでは有りません。

 種々の病院スタッフが関わります。

 パストラルワーカーもいます。

 そして、大きな支えはなんと言っても、ボランティアの方々です。毎日の花の水換え、お茶のサービス、花壇の 手入れ、行事・・・数えればきりがありません。ゲストの方やご家族はどれだけ多くのパワーを頂いていることでしょう。私が小耳にはさんだ美談も沢山有ります。

 でも、私は自分が実際に関わり感じたことしか書きません。

 

 只、私たちスタッフもボランティアの方々に助けられているから、ホスピスが成り立っているということをお知らせしたかったのです。

 

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その 26 夏祭り

 ジメジメした梅雨が明けると、夏祭りがやってきます。今夜はそちらこちらの校庭や園庭から祭りのざわめきが風に乗って聞こえてきます。ホスピスにも夏祭りが有ります。春の花見同様に皆にとって大きな楽しみです。昨年の夏祭りのことを書きましょう。

 祭りは夕方から始まりました。ディルームにはボランティアさん方が屋台を作ってくださり、お好み焼きや焼きそばの臭いが食欲をかき立てました。他にもくじ引きや提灯、法被姿等まさしく其処は夏祭り一色でした。

 たくさんのご家族もお出でになりベッド上の方もニコニコと、皆さんのお顔は輝いていました。私も何年かぶりで浴衣を着、少しは祭りに花を添えました。

 Sさんは、もともと美人でしたがその日の浴衣姿はため息が出るほどに美しいものでした。その浴衣はたぶん着ることは無いだろうと思っておられたらしいのですが、症状コントロールが上手くなされたお陰で袖を通すことが出来たのでした。ご主人も浴衣を着られ本当にお幸せそうでした。

 普段あまり笑顔を見せてくださらないTさんは、のし袋を用意しておられ幾らお断りしても「祭りにご祝儀は付き物だ」とおっしゃいました。折角のご厚意を無視するのも無粋になります。有り難くちょうだいするとにっこりと微笑みました。私ともう一人の若いスタッフ(彼女も浴衣姿でした)に挟まれて記念写真を撮りましたが、Tさんの照れくさそうにはにかんだお顔が、まるで少年のようで、今も懐かしく思い出されます。

 お酒好きのYさん親子も楽しそうにほろ酔い気分でした。

 

 夜も深まると、屋上で花火をしました。子供達は勢いよく火薬の飛び散る花火が好きです。でもゲストやご家族は線香花火を好んでおられました。私も線香花火が大好きです。パッパと火花が飛ぶと次はジーと灯玉が少しずつ大きくなります。プップと今度は小さな火花が飛びポトンと灯玉は落ちてしまいます。なんて儚げな花火なんでしょう。ポトンと落ちるとき「あっ!」と小さな声が零れるのは、どうやら私だけではないようです。

 親子で、ご夫婦で、それぞれ肩を寄せ合って線香花火を見つめておられるのでした。 もしかすると、その小さな輝きにご自分達のいのちを重ねて見ておられたのでしょうか。

 昨年一緒に夏祭りを楽しんだゲストは、今年は誰もいらっしゃいません。思い出せば、寂しくもあり楽しい夏祭りです。しかし私たちスタッフ以上に、ご家族の心の中には鮮やかにあの夜の姿が 生きておられるのです。

 

 ケアだけではなく、素敵な思い出を作っていただくことも私たちの大切な仕事なのです。

 

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 その25  7/17更新

 前々回と前回に関係のある話をします。

 「死」を受け入れることは、本人よりむしろご家族の方が辛いことかもしれません。逝く方はその時までの重荷がありますが、はっきり言って旅立ちの時には重荷から解放されます。しかし遺された方が一緒に解放されるとは限りません。愛が深ければ深いほど悲しみはなかなか消えるものでは無いのです。遺される方は、早くからご自分のその気持ちに気づいておられるので「死」を考えたくないし受け入れたくないのです。

 この様な仕事をしている私自身が、介護している母の「死」を考えたくなかったし、受け入れても(1年半経った今でも)まだまだ悲しくて仕方がありません。遺された者には悲しみの時が続きます。

 

 先週のことです。とても感動した場面でしたので、是非ご紹介させていただきます。

 高齢のご夫婦でした。「がん」を患っておられたのはご主人で、入院当初から危険な状態でした。奥様は、何時もおろおろされて夜も昼もじっとしていることが出来ませんでした。「痰が絡んで・・・」「息の仕方がなんか・・・」「表情が何時もと違うような・・・」ご主人のちょっとした変化が、まるで直ぐにでも逝ってしまいそうだと不安で仕方が無かったのです。私たちスタッフはご主人の容態も心配でしたが、それよりも奥様の精神状態が心配でたまりませんでした。ご主人が旅立たれたら、奥様は正気では居られないかもしれない。どうやってフォローしようかと何時も案じておりました。奥様が静かに看取れる時が来るまで何とかご主人が頑張ってくれれば良いと密かに祈ったりもしました。しかし、時は無情なもので奥様のお気持ちを無視してやってきました。

 夜中から危険な状態になったのです。その日は私には珍しい日勤でした。申し送りが済むと私は奥様に言いました。「大変お辛いでしょうけど、ご主人はたぶん今日一杯頑張れるかどうか分かりません。でも、今のご主人のお顔はとても穏やかで、苦しみは全く感じておられないように見えます。奥様がずっと看病してくださったので心から感謝なさっておられるのでしょう。奥様、思いっきり泣いても良いんですよ。娘さんも息子さんも、そして私たちもしっかり奥様を支えますからね・・・。」

 

 一瞬でした。奥様が悲しそうなお顔をなさったのは・・・。直ぐに優しく微笑みを浮かべられたのです。そうして、ご主人の手を握りしめまして語りかけました。

 「父さん、父さん、有り難う。母さんはとっても幸せでした。いっつも父さんに大事にしてもらって、本当に幸せだった。父さんは何時でも優しかったね。おっきな声も出したことないし・・・。本当に有り難う。父さん、もう良いんだよ。もう安心して逝っても良いんだよ。先に逝って待っていてください。きっと、必ず母さんも逝くから。父さんの所に逝くから。それまで、少し待っていてね。母さんは必ず父さんの所に逝きますからね。」優しく微笑む頬には涙が流れておりました。

 奥様のお声がけ答えるようにふっと笑顔を見せたと思ったら、大きく二三度息を吐き静かに旅立たれたのです。なんて素晴らしいご夫婦なんでしょう。奥様は精一杯の感謝の気持ちをご主人に伝え、ご主人は安心と喜びの中で旅立たれたのです。

 

 大変仲の良いご夫婦でした。奥様の悲しみは何時までも続くに違い有りません。でも、奥様はきっとご主人の「いのち」を抱いて生きていかれるでしょう 。お二人の姿を見守りながらそんな自信が沸いたのでした。

 

 

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その 24 7/5更新

 「頑張れ」「頑張ってね 」・・・人を励ますとき、又自分自身を奮い立たせる時、普通に口から出る言葉です。思いやりがあり力強い反面優しい言葉だと思います。 

 しかし、私たち医療者が、特にターミナル期の方に対して言うことは有りません。私たちが考える以上にご本人が歯を食いしばってこれまで頑張ってこられたし、今現在も悲しみや苦しみそして諸々の感情と戦っておられるのです。その様な方に「頑張ってください」と言うのは更に重荷を背負わせるようなものです。言われた方は、こんなに頑張っていることが分からないのかと悔しい思いをなさるでしょうし、信頼関係は崩れます。

 

 しかし、お見舞いにいらしたたいていの方は「頑張って!」と、力強く励まします。私は、その様に言う方が決してご病気を分からずに言っているとは思いませんし、言われる方も、辛い気持ちを味わいながらも、そのようにしか言えない見舞客のお気持ちも分かるから精一杯の笑顔を見せて「有り難う」と答えられるのだと思います。ですから、その様な場面に遭遇しても何も申しません。

 でも、何度か腹に据えかねて言ったことが有ります。見舞いに来られた方が、「病気に勝てないのは自分の気持ちに負けているからだ」とか、病気の苦しみも理解できずに、「頑張ることが勝利だ」というような言葉を耳にしたときでした。「○○さんは、何時も頑張っておられますよ。そんなに頑張らなくても・・・と私たちが思うくらいです。ですから、それ以上おっしゃらないでくださいね。十分お分かりだと思いますよ。」何となくオブラートにくるんだ言い方をしますが本音は『何でそんな鞭打つような事を言うんだ!!』。

 

 やはり「頑張れ」という言葉はあまり言わない方が良いでしょう。精神的に追いつめられた方もいらっしゃいますし、本当にこれ以上は頑張りようがないほどに頑張っておられるからです。特に鬱状態の方には禁句です。簡単でとても難しい言葉です。

 私もホスピスで5年になりますが、殆ど使ったことがありません。

 殆ど・・・そう、何度かは言ったことが有ります。自分自身頑張っていると言い聞かせることで自我を保っておられた方です。Kさん(私にお酒をごちそうしてくださったあのKさんです)、本当に何年もの間筆舌に尽くせないほどに頑張ってこられたのです。「まだまだ頑張る」と何時もおっしゃいます。『Kさん、もう充分ですよ』と思うもののそのように言えるわけがありません。『今日生きられた。明日も生きるんだ。まだまだ頑張れる。』Kさんにとってはまるでお祈りのような言葉のようでした。昨年10月に私が6週間の研修で神戸へ行くとお伝えした時もやはり同じように言われました。「赤井さんが戻って来るまで頑張って生きてるからね。絶対待っているから。」「Kさん、頑張って待っててね。Kさんのガッツなら大丈夫。一緒にお正月を祝いましょうね。」そう約束し、私にとっては本当に奇跡のようなKさんの笑顔が、研修を終えた私を待っていてくださったのです。

 もう一度は、旅立ち間際の方に対してでした。普段なら、全く考えられないことです。「もう、心配することは有りませんよ。安心してくださいね。」と、安らかに旅立ちことが出来るように声がけすることが私たちのいつものケアです。

 「どうしても会っておきたい兄弟が居る。」と何時もおっしゃっていました。でもどうしても間に合いそうにないのです。後数時間で会えるのに・・・。中の良い兄弟だったのです。『大丈夫、神様はきっと会わせてくださる。』そう思いながらも私自身居ても立っても居られません。「○○さん、今まで本当に頑張ってこられましたね。今、又頑張ってと言われることがどんなにお辛いか分かります。でも後もう少しだけ、頑張ってください。もうすぐ弟さんが来られますよ。もう少し、もう少しだけ頑張って下さい。」

 意識も薄らいで おられるはずなのに、微かに頷いて下さいました。どんなに苦しい数時間だったでしょう。弟さんがお部屋に入り「兄さん!」というお声を聞くと、やっと安心したように旅立って逝かれたのです。そのお顔は、なんだか笑っておられるようでした。 私は、許して頂けたのだと思うことが出来ました。

 

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その 23  7/2更新

 私たちの心は絶えず揺れ動き、矛盾という中で生きているんだと感じる時があります。

 

 《『がん』の末期という現実から、逃れることの出来ない自分がいます。何度も手術や抗ガン剤の治療を受けました。副作用に苦しみながらも、これで治るのならと、歯を食いしばって頑張ってきました。そのたびに、家族も辛い思いをしたはずです。運良く治って社会に戻られた方もいらっしゃいました。でも、この『がん』は自分からは離れてくれなかった。

 今の自分は疲れ切ってしまい、もはや何の希望もない状態の中で、どうやって明日のことを考えられるでしょう。今は只、この苦痛を取ってほしいのです。この痛み、吐き気、怠さ・・・何もかもが辛いことだらけです。

 ホスピスは、苦痛を緩和してくれる所だと聞きました。今日という一日が、少しでも苦痛を忘れて過ごせるのなら・・・そんなささやかな望みを抱いて移ってきました。》

 

 ホスピスへ来られる方は、少なからずこの様なお気持ちを抱いておられると思います。

 しかし、その望みに対しても半信半疑で来られるのが正直なお気持ではないでしょうか。

 症状コントロールが成されてこそ、ここへ来て良かったと思われるのです。倦怠感やイレウス等の症状コントロールは難しいのですが、スタッフやシスターの関わりで精神的に落ち着かれる方もおられます。しかし、身体的苦痛が残っている間は精神的苦痛が癒されるのはとても難しいことです。それでも、私たちの思いは通じているようで、やはりここへ来て良かったと言って下さるのです。とても有り難いことだと思っています。

 

 入院された方は、苦痛が癒されても「死」から逃れたと思っているわけでは有りません。

 又、「死」を真正面から見つめられる方とそうでない方がおられることも仕方のないことです。一人の人間の思いですら、その時その時によって異なるのですから。

 更には、「死」を受け止めているのだけれど、「今」は未だ受け入れられないという思いが有ります。しかし、「今は未だ死にたくない」とゲストが口に出すと、たいていのスタッフは、あの方は未だ「死を受け入れていない」と思います。

 「死」を受け止めているなら、その時が何時でも良いと悟らなければ(受け入れなければ)ならないのでしょうか?

 「受け止める」という思いと「受け入れる」という思いは違います。この違いはとても微妙ですが大きいと思います。

 「死を受け止める時」の心の中には未だ自分の時間が有り、「死」は先のことだと思えます。でも「死」を受け入れてしまうと途端に自分の時間が見えなくなってしまうのです。だからなかなか受け入れることが出来ないのではないかと思うのです。その様な方が本当に「死」を受け入れられるのは旅立ちの時なのではないでしょうか(勿論、そうでない方も沢山いらっしゃいますが・・)。私は、「死」を受け止めただけでもすごいなと何時も思うのですが・・・。

 ゲストの方は、終末期という時の制限のある中で暮らしておられるので、より一層心は揺れ動き、いろいろな矛盾にぶつかり悩まれるのです。揺れ動く心、弱さ、そして「死」を受け入れられずに悩んでおられる時、生きているのだから当然の思いなのだと私たちがフォロー出来れば、ゲストやご家族はいくらかでも気が楽になるのでは無いでしょうか。

 

 極最近のことです。

 私のプライマリーゲスト(受け持ち患者さん)が旅立たれました。二月からの関わりでしたのでお互いの気持ちも理解し合えて、とても良い関係でした。三年もの間苦しんでこられた方なので、ホスピスで症状コントロールが成されると時々外出してご自分の時間を有意義に過ごしておられました。しかし自分の「死」を受け止めている分 、その時が来ることを内心では恐れていました。(決して口には出しませんでしたが)

 「俺は仕事も精一杯やってきたし、好きなことも悔いの残らないくらいやってきた。がんになったことは悔しくてたまらないけどなってしまったものは仕方が無いと思っている。でも今は早すぎるな。まだ57歳だよ。」

 「まだ早すぎる」が口癖でした。何年も生きていたいと言うのではありません。死にたくないと言うのでもありません。只、もう少しだけ生きていたかったのです。

 6月1日でした。「もう、10日で終わりだと思う。もう駄目だね。今はもう、死ぬ時苦しまなければ良いと思うよ。」否定も出来ずに私は言いました。「A野さん、ずいぶん頑張ってこられましたものね・・・。私も後で行くところですから、待っていてください。必ず又お会い致しましょうね。」「うん。手を振って待ってようか。」A野さんの最後のジョークでした。そしてもう、恐れは感じられないようでした。(実は、この時初めてA野さんが次ぎの世を信じていることが分かったのです)

 この日まで、何度同じ言葉を伺ったでしょうか。「死ぬのは仕方がない。がんには勝てなかった。でも、今はその時であってほしくはない。」私はそのたびに「そうですね」と答えたものです。

 正直な方でした。

 6月10日未明に旅立って行かれました。いつか私が逝ったとき手を振って待って居てくださることでしょう。

 

 

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その22 6/7更新

 旅立ち後の入浴について、そろそろ書かなければなりませんね。

 当ホスピスでは、開設当初から入浴を取り入れていたわけではありません。最初の頃はご家族の方と一緒に、お身体を拭くだけでした。それだけでも、ご家族には大変喜ばれたものです。一般の病院では、死後の処置は看護師だけで行うのが普通なのです。其れも、清拭バケツも別な専用の物を使用し、消毒薬を入れ、看護師は予防衣も取り替えゴム手袋をします。(そうでない施設もあると思いますが・・・) 私が、一般病棟にいた頃、そういうやり方がとても嫌で、ごく普通の、生きておられた時のように、お身体を拭かせていただいたものです。ご家族と一緒に清拭をしたことも何度もあります。しかし、その様なやり方は、当時としては異端と思われていたようです。

 さて、ホスピスでは旅立たれた後も、生きておられた時と同じように接します。私は其れが極普通のことだと思うのです。さっきまで息をしていた方が、その呼吸が停止した途端、忌み嫌われる存在になるなんて変ですよね。一般病棟で死亡診断後のカルテに「鬼籍」と書いた医者もいました。(その医者はとっても優しい素晴らしい方なのですが・・・)

 我が国では特に、「死」を忌み嫌う風潮が強いので「生」と「死」をはっきり区別した方が良いのかもしれません。でも、よく観察してみると、「死」を忌み嫌うのはたいてい第三者であって、肉親や愛する方に対してはその様な感情は殆ど浮かばないようです。ですから、ホスピスでの接し方が受け入れられるのでしょう。

 前置きが長くなりました。ホスピスでは開設当初は入浴はありませんでした。数ヶ月経った頃のことです。他の病院から転院された方が、直ぐに旅立って逝かれたのです。ご家族の悲しみは大きいものでした。せっかくホスピスに来ることができ、苦痛を緩和してもらいながら残された時間を共に過ごすつもりだったのですから・・・。奥様がぽつりと呟きました。「せめてお風呂に入れてあげたかった。お風呂が大好きなのに、何ヶ月も入れなかったんだもの・・・。」

 「今から、お風呂に入れて差し上げましょうか?」私たちから出た言葉です。深い意味はありません。悲しみに沈んでいる方の諦めきれない情念です。その思いが叶えられるのであれば、少しは慰めにつながるかもしれません。ホスピスには、特浴という寝たままで入浴できる浴槽があります。何の苦労も無く入れて差し上げられるのです。

 奥様は、喜んで受け入れてくださいました。一緒に入浴介助をしながら、答えることの出来なくなられたご主人にいろいろと話しかけます。「今まで、辛かったでしょう。よく頑張ったわね。もう良いのよ。何も心配しないでね・・・。」やせ細ったご主人のお身体を愛おしむように優しく洗います。

 その時の奥様のお顔は、悔いも無く自分自身の其れまでの看護に対する満足感さえありました。

 この時から、我がスペルマンホスピスに旅立ち後の入浴が取り入れられたのです。

 死に別れというものは、本当に悲しいものです。切なくて苦しくて息が詰まりそうになります。我が身が代われるものならばと思う方も多いでしょう。さっきまで息をしていたのに、どうして今はしていないの?と子供のように縋る方もおられます。どんなに望んでも、この世で会うことはもう二度と無いのです。本当に悲しい別れです。

 

 医師の死亡確認が済み小一時間ほど経つと、ご家族と一緒に最後の入浴へと向かいます。

 何時もと同じように話しかけながら、浴槽にお身体を沈めます。此処で、たいていのご家族は「ああ、気持ちいいでしょう?」と声をかけるのです。不思議ですね。殆ど同じタイミングで言葉が出るのですから・・・。そして洗髪をし、お身体を洗うのです。私たちはほんのお手伝い程度です。

 お身体を洗いながら、いろいろな感情が表出されます。お元気だった頃と変わってしまわれたお身体に触ること、は悲しみを更に引き出してしまいますが、其れさえ愛しいのです。きっと何年も昔の事が走馬燈のように心の中を巡るのでしょう。そして、「がん」で苦しんだ時の事やお互いに支え合ってこられた時の事などいろいろな思い出を話されるのです。たいてい、数人のご家族が介助なさいますので、お互いに労う言葉も出ます。

 私たちが、この入浴に求めているものは、次の世への旅立ちに際しての清めの意味もありますが、純粋にこの世での最後の入浴をしていただきたいと言う気持ちもあります。そして、ご家族の心のケアです。

 入浴時の心の表出は、たぶん他の場面では無いでしょう。其れまでの労苦や感謝の言葉が、素直に言葉となって表れるのです。

 ご家族のなかには、勿論入浴介助に入らない方もいらっしゃいます。私たちは、入浴に対しても決して無理強いをすることはなく、必ずご家族の意志に従います。でも介助に入らない方でも、入浴を望まれる方が殆どです。

 

 私たちは、ゲストの旅立ちで関わりが終わるわけではありません。その後は、ご遺族となられた方々との関わりが続きます。遺族ケアが其れですが、定期的にお便りをお出ししたり訪問したりします。何とか立ち直られるまで三年はかかります。

 しかし、何時も感じることは、旅立ち後の入浴介助に入られた方と、そうでない方とでは、立ち直るまでの気持ちの在り方が違うということです。

 別れは、皆同じように悲しいのです。何時でも会いたいという気持ちは消えませんし夢でも良いから会いたいと思います。

 只、悲しみの中にあっても、自分は良く看護したじゃないか、良い看取りが出来たじゃないかと思えるか思えないか、其れはケアをしている私たちに大きな責任があるのですが、残された方に、少しでも看護や看取りに対しての達成感 を持っていただくことが出来たら、ホスピスケアの半分は叶えられたと言っても良いでしょう。

 癒すとか癒されるとか、其れは本当に労りや優しさの賜だと思います。ホスピスナースだから出来るということでもありません。

 でも、旅立ち後のお身体を洗いながら、愛する方に話しかけるということは、それだけで、大きな癒しにつながっていると信じています。

 

 小さな子供さんでさえ、子供なりの清い心で「死」を受け止め 、旅立たれた方のお身体を優しく洗っておられます。この様な姿を拝見出来るのもホスピスに居ればこそです。

 

 「生」と「死」は一本の線の上に存在していると思います。私たちは、その線上に在る尊い「いのち」に寄り添っているのです。

 

 

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 その21 5/25更新

 「貴女に出会えて良かった・・・」

 時々、この様な素晴らしい言葉を頂きます。夜の静寂のなか、命の炎も静かに揺らぎ次の世への旅立ちを感じ始めた頃です。私は大体身体をさすっているか手を握っています。その方は、静かに目を閉じて時々思い出話などぽつり、ぽつりと呟きます。私は何を語るでもなく、黙って居るかたまにあいづちを打ちます。長く関わらせていただいた方もおれば、ほんの数日だけの方もおられます。

 相性というものが有るのかもしれません。若い方、老年の方、男性女性に関係ないのです。私たちは、どなたにも同じように接しているつもりですが、やはり未熟な人間ですから心の底のどこかで「気」の入れ方が違っているのかもしれません。いけないことかもしれませんが、私には其れをあえて否定するだけの度量が無いのです。

 

 ・・・「此処に来て、貴女に会えて本当に良かった」・・・

 ・・・「私もです」・・・

 夜の静寂の中で、たびたびこの様な言葉が囁かれます。

 その方が「がん」という病に冒されていなかったら、終末期でなかったら、出会うことの無い私たちなのです。この様な勿体ないお言葉も頂くことなど無いはずでした。

 悲しいけれど、こんなに素晴らしい出会いは有りません。神様に感謝するのです。

 

 

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その20

 クリスマスの夜、Y子さんのベッドサイドではご主人とお二人のお子さんがささやかな晩餐会をしておられました。高校生の息子さんと中学生の娘さんはとても素直で、Y子さんの自慢でした。Y子さんと私は同い年でしたから共通の思い出話も沢山ありました。子供の年齢もそんなに違いません。しかしY子さんは「がん」に侵されてベッド上の方であり、私は(一応)健康でした。同じ時代を生きて来た二人の現実は大きな違いが有りました。でも、只の一度としてやりにくいと感じたことはありませんでしたし、友情に似た感情が有りました。私が、素晴らしい看護師だからでは有りません。Y子さんが素晴らしい方だったからなのです。 明るくて、前向きで、決してくよくよしません。ある日私は、Y子さんに言いました。「Y子さんは、少しも辛いってこと言わないけれど、もしどうしても辛くてたまらない時があったら、言ってね。聴く事しか出来ないかもしれないけれど・・・」

 Y子さんは答えました。「有り難う。でもね、言ってしまえば悲しくなってしまう事も、言葉に出さなければ耐えられる事って有るんだよね。片意地張っているとか、やせ我慢している訳じゃないの。お父さん(ご主人)がいるから大丈夫なんだ。お父さんには何でも言ってるから・・・」 そう言うY子さんがまぶしいほどに美しかったのが忘れられません。

 ホスピスで、親子の絆の深さは何時も感じてましたが、夫婦の絆の深さに触れたのは、この日が初めてでした。

 Y子さんは自分の全てをご主人に託しておられたのです。心の底からご主人を信頼しておられました。「私が、自分の命以上に愛している子供達。あの子達の成長を見られないのは確かに悲しいよ。でも私はあの子達を信じているの。決して間違った道を歩かないって。だって、私とお父さんが育てたんだもの。それにね、私が居なくなってもお父さんが居るから、少しも心配じゃないのよ。お父さんに任せておけば大丈夫!!お父さんが居るから私は安心して逝けるんだ。」

 死を前にして、これほどまでに自分の全てを託せる人がいる。自分の肉体は無くなっても心はご主人と共に生きていけるのだと言われているようでした。この信頼こそがY子さんの強さだったのです。

 ご主人がいらっしゃるときは、なるべく訪室しないようにしました。大事な時を過ごしていただきたかったからです。

 クリスマスの夜、ご主人と二人のお子さんは、深い眠りの中にいるY子さんを囲んでささやかな晩餐会をしておられました。Y子さんには愛するご家族の会話が聞こえていたはずです。暖かな、空気が流れていました。

 Y子さんが、旅立たれたのはそれから四日後の二九日の夜でした。幼友達を亡くしたような悲しみが私にも有りました。

 

「言葉に出さなければ耐えられる」:この言葉を皆さんはどのように受け止められるでしょうか。私は、確かにそういう時もあると思います。しかし、Y子さんもそうであったように、最も信頼している方には訴えているのです。私たちが神様に甘えているように・・

 

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その19

 

  T美さんの時にも触れましたが、親子、特に母親と息子の絆はとても深いと何時も感じます。(私自身が、一人息子との母子家庭だから特に強く感じるのかもしれませんが・・・)

 H枝さんという五十代後半の方です。三人の息子さんを育て入院の頃は三男さんと暮らしていらっしゃいました。次男さんは家庭を持ち、長男さんは独身で東京に住んでおられました。次男さんは、さすが家庭持ちだけあってしっかりしておられ、入院の手続きをしたり、病状説明などを きちんと聞いてくださいました。三男さんはずっとお母様と一緒に生活しておられたため、心の中にポッカリ穴が開いたようでした。(お母様の病状もあまり聞きたくは無かったようでした。)仕事帰りには、どんなに遅くなってもお母様に会いに来られました。

 さて長男さんですが、この方が驚くほどに優しい方なのです。皇太子殿下に似ておられるので「殿下」とお呼びしたりしました。

 「殿下」は終末になるとホスピスに来られました。H枝さんは勿論息子さん三人をとても愛しておられましたが、「殿下」には特に甘えていらっしゃるようでした。「殿下」もお母様のお気持ちをしっかり受け止めて下さるのです。

 一二月でした。ベッドに起座位の状態でしかいられないH枝さんは、ご自分の命の有るうちに何かを作って起きたいと思いました。定年退職前にご病気になられたので、職場の方に迷惑をかけてしまったとおっしゃいました。其処で、その方々に手作りのクリスマスカードを送ることにしました。それなら、ベッド上のH枝さんにも作ることが出来るからです。当時、当ホスピスでは押し花がちょっとしたブームになっていましたので、美しく作られた押し花が沢山有りました。他のゲストも押し花カードを作って思いでに遺しておられました。

 「殿下」が来られると、カード作りが始まりました。H枝さんが花を選び、「殿下」と私がカードに仕上げます。何枚も何枚も作りました。最初手元のおぼつかなかった「殿下」も、とても綺麗なカードに仕上げることが出来るようになり、H枝さんも 満更ではないような表情をなさったものです。

 H枝さんはとても気丈な方で、私たちには滅多に苦痛を言いません。でも息子さん方には言いたいことを言い、何でもしてもらうのです。息子さん方もこれが最後の親孝行と思っておられたのでしょう。献身的にお母様に尽くしていらっしゃいました。(この三人の息子さん方の孝行ぶりや仲の良さは、今でも当ホスピスで話題に上がります。)

 寝るまで、息子さんに「ああだこうだ 」と甘えるH枝さんでしたが、夜中に訪室しますと、「息子にちゃんと布団が掛かってある?」とか、「静かにして起こさないようにね」ととても心配なさるのです。ご自分で布団を掛けてあげられない事がとても悲しそうでした。 H枝さんの生き甲斐は三人の息子さん方でしたから、大人になっているとは言え、遺して逝かなければならないことがどんなに辛く切なかったことでしょう。「あの子は(長男さん)一人でちゃんとご飯を食べているのかしら」と何時もおっしゃいました。そして最後に、「家に帰って息子(三男さん)に美味しいご飯を作って食べさせたい」とぽつりとおっしゃいました。

 クリスマスが過ぎ、二八日の夜明け頃旅立って逝かれましたが、H枝さんは最後まで母親の姿を保ち続けました。

 息子さんが選んでおいた、ジョーゼットの花柄のブラウスに着替え、綺麗にお化粧をしてお家に帰られたのでした。

 

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  その18 

 「いのち の かがやき」

最期のページを

最初のページのように

美しく書きたい

R.G.

ニコル

 

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  その17 (200249日)

 

ホスピスは、生きるところだと最初に書きました。それなのに、旅立ちの事ばかり書いてしまい、やっぱりホスピスは終の棲家、死ぬ場所なんだねと思われているかもしれません。

確かに、看取りが多いためその場面を多く書いていますが、穏やかに旅立たれていることを感じていただけているでしょうか。

 

 どんなに短い時間でも、ホスピスでその人らしく生きてくださったから、真の意味で生を全うしてくださったから、穏やかな旅立ちが出来るのではないかと思うのです。

 その直前でも良い、「良い人生だったな」と思っていただけたら幸せです。

 

 ほんの束の間でも、苦痛から解放されて生きていただきたいと思っています。そして、安らかで穏やかに幕を閉じていただきたいのです。

 

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その16  (200249日) 

「イヨッ!待ってました !」ディルームで朝食をテーブルに置いたまま、Mさんは喜びの声を上げました。関東で育ったMさんは、気さくな下町のおばちゃんという感じの方でした。

 病院食というものは、不味くはないのですがやはり家庭の味付けとは異なります。特に関東の味に慣れているMさんには物足りないのでしょう。食欲も落ちていましたから、何かぴりっとしたものを召し上がりたかったのです。ある日、「もう一度餃子を食べたいわね・・・」とおっしゃいました。しかし、一人暮らしのMさんには、病院食以外の物を食べたくても、持ってきてくださる方がおられないのです。そこで、翌日の朝食に間に合うように餃子を作り、急いで持ってきたのです。素直なMさんは必ず作ってきてくれると思い、私を待っておられたのです。「美味しい、美味しい!」と何度も言ってくださいました。

 (最近では、ゲストの方々がディルームでお食事をする姿をあまり見なくなりましたが、昨年あたりまでは、車椅子の方も皆さんそろって楽しそうに語らいながらお食事をされていたものです。病状の進んだ方の入院が多くなったせいでしょうか。その様な光景が少なくなったのは・・・)

 Mさんのお部屋にはお母様のお写真が飾られていました。セピア色にやけた印画紙には、丸髷を結った明治の女性が少し恥ずかしそうな表情でこちらを見ていました。Mさんは、お茶の時間に出されたお菓子や飲み物を、何時もそのお写真の前にお供えするのです。屋上からお花を切って来て飾りますと、とても喜んでくださいました。毎日、毎日、Mさんはお母様を見つめ、心の中でいろいろと話しかけておられたのでしょう。

 ある夜勤の日のことでした。もともと呼吸器のがんで入院され、常に酸素を流量していたMさんでしたが特にその夜は呼吸が苦しそうです。それまでも横になって休むことの出来ないMさんは益々前屈みの姿勢になり、大きく肩で呼吸をしていました。『間もなくだな』と思い、直ぐに医師に報告し、もう一人のスタッフと二人でMさんの傍に居ました。当ホスピスでは「人間座椅子 」という素晴らしい座椅子が有ります。Mさんのように横になることも出来ず(起座椅の姿勢)、更に症状が悪化し自力で座っていられなくなった方を、私たち(多くはご家族がしてくださいますが)が座椅子のように後から抱きかかえ身体を預けていただくのです。

 Mさんを人間座椅子で抱きました。大きく肩で息を吸うたびに、あらわになったMさんの背骨が悲しく胸に感じます。意識も遠のきそうになりながら、Mさんは何かを探しています。「お母さんのお写真ですか?」と伺いますとこくんと頷かれました。

棚の上に飾られていた、セピア色したそのお母様のお写真を胸に抱いていただきました。

 Mさんがお写真に何か話したと感じたのは、私の気のせいだったのでしょうか。

 そのまま、Mさんはお母様の所へ逝ってしまわれました。もしかすると、あの時お母様がお迎えにいらしたのではないかと、今でも思っています。

 

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その15 (2002年4月4日)

 

 神の目から見れば、人は全て愛する子です。こんな私だって勿体ないほどに愛されています。それなのに、私たち弱い人間は時として他人を嫌います。あの人は傲慢だとか、冷たい人だとか、何時も自分の尺度でしか見ることが出来ないのです。自分を愛するように他人を愛さなければならないことは分かっているのですが・・・。

 しかし、私がホスピスで出会った方々は全て素晴らしい方ばかりなのです。なぜでしょう。私が仕事と割り切っているからでしょうか。憐れみの感情が有るからでしょうか。いいえ、違います。その様な思いは全く有りません。では、どうして?

 これは私の考えで、医学的根拠が有るわけでも、データが有るわけでも無いのですが・・・(とは言え、「がん」はストレスと大きな関係が有ることは確かなようです)

 優しすぎて、真面目すぎて、そして忙しすぎて・・・ストレスを抱えてしまう。解消できない。おまけに人の分まで苦労を背負ってしまう。この頃体調が変だなと思っても、家族に心配をかけたくないから我慢してしまう。その様な方が多いのです。誰にも好かれる素晴らしく良い人が「がん」の餌食になってしまうのかと思うと悲しくなります。

 働き盛りの方は検査に行く時間も惜しんでしまいます。「もう少し早く検査していれば良かったなあ」という呟きを何度聞いたことでしょう。

 Hさん、Tさんは私と同い年でした。一生懸命働いて念願のマイホームを建てたのに、数年しか暮らすことが出来ませんでした。

Yさん、Oさんは一度もその家で暮らすことなく逝ってしまわれました。

 Oさんは入院中に一度、真新しいその家に行きたいと言われ、ご家族と共に私が付き添って行きました。木の香りが悲しく感じたことを今でも覚えています。広く明るいリビングに大きなリクライニングチェアーが置かれていました。「此処が俺の場所なんだ」とOさんは、はにかみました。家の中のいろいろな所にOさんの思いが取り入れられていました。「一回でも来れたから良いか」と、嘆きとも喜びともとられる言葉を残してホスピスに帰りました。

 HさんもTさんも、YさんもOさんも、そして他の方もみんな素敵でした。この様な方が自分の亭主だったら幸せだろうなと羨ましく思う時もあったくらいです。

 でもその分、遺されたご家族の悲しみや悔しさは、言葉に言い表せないほど大きいのです。

 

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その14(2002年4月4日) 

 

  ホスピスでは、面会時間の制限はありません。ご家族や、お会いしたい方が何時でも来られるようにという配慮です。時間に関してもそうですが、お会いしたい方には出来る限り会っていただきたいと思っております。ですから、ペットの面会も自由です。ペットは単なる動物ではありません。飼い主にとっては大切な家族であり、大きな癒しを与えてくれる、愛すべきパートナーなのです。ペットの面会が自由であることが分かると、たいていの方は連れてきます。ワンちゃん達も利口なもので、他に迷惑をかけるわけでもなく大好きなご主人に会えてとても嬉しそうにしています。この愛すべき面会者の力はとても大きく、苦痛の緩和、そして心の平安に貢献してくれるのです。

  ロンちゃんというミニチュアシェトランドシープドッグは、半月近くお子さん方と寝起きを共にしました。ホスピス中のアイドルでした。私たちも癒されたものです。

  ホスピスが開設して間もない頃の事です。一人暮らしで足のご不自由なYさんが入院されました。でも、Yさんはずっとお一人で暮らして来たわけではありませんでした。ミャー君というネコが一緒だったのです。最初の入院時は(他病院)、退院するまで知人に預かって頂いたそうなのですが、ミャー君がその家を逃げ出しYさんが退院するまで部屋の前で待っていたのだそうです。その後、ご自分の病状を理解され、もう戻ることの無い入院になると考えたYさんは、心を鬼にしてミャー君を追い出しました。「もう、戻ってくるな、行け、行け!」と叫んで追い出したと涙を流して話してくださいました。そうでもしないと、以前みたいに痩せこけてもじっと、部屋の前で待つからです。辛かった、悲しかったとぼろぼろ涙を流しました。「俺のことを恨んでも良いから、生きてほしかったんだ」と。

  ネコはイヌと違い、知らない所に連れて来ることが難しい動物です。ですから、他のゲストの方もネコを飼っておられる方は、連れてくることを我慢しています。でも、会いたい気持ちは同じです。

  さて、Yさんの病状が悪化して数日の命かと思われた時のことです。「ミャー君に会いたいな」と私に言いました。「トムでもいい?」と聞き返しますと、「いいよ。ネコに触りたいんだ」と応えます。夕方の事でしたのでさっさと仕事を終わらせた私は、脱兎のごとく家に帰り、直ぐにトムという私のネコを連れて行きました。「トムかあ・・・」Yさんはトムの姿にミャー君を重ねていたようでした。それから幾日も経たずにYさんは旅立たれました。

  それからトムは、ホスピスボランティアのメンバーになり、モルヒネコとして、ネコ好きの方の面会に来るようになりました。人好きで、今まで一度も爪を出したり噛んだりしたことのないおとなしい、愛すべき我がパートナーです。昨日(3/31)に9歳になりました。

 

 

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その13(2002年3月28日)

 聖週間です。教会ではイエス様の死と復活の意味を深く考えます。
 時は木の芽時です。
 不思議なもので、この時期旅立つ方が多いのはホスピスに限ったことでは有りません。とは言え、この数日間数人の方が続いて旅立たれました。私自身は、二日間で三人の方を見送りました。昨日私は、聖香油の御ミサにあずかるため、日勤を避け夜勤をしていました。要するに火曜日の夕方から水曜日の朝まで仕事をして教会に行くつもりだったのです。ところが、明け方からお二人の方が旅立ちまして、入浴、お別れ会が終わったのが11時半でした。おひとりは、私のプライマリーのゲストでしたので、ご家族の悲しみとともに、私自身の悲しみや淋しさもあり、また、楽になって良かったですねという気持ち、そして疲労感も大きくありました。年に一度の大切な御ミサなのに、行かないで身体を休めたいという思いがありました。でも、私を教会に行かせたのは、実は月曜日に看取った方の言葉が心の中をよぎったからなのです。Gさんという女性。しっかりしたプライドの高い方で、関わりの難しい方でした。・・が、どういう訳か気が合って可愛がっていただきました。数日前から、終末特有の不安や混乱が表れていました。月曜日、日勤の私はGさんを受け持ちましたが、もはや旅立ちは近いだろうなというように感じられました。眠っておられるGさんのお顔を見つめておりましたら、ふっと目を開けられまして少女のように微笑むのです。そして「お母さん」と言いながら私に抱きつい来られたのです。「お母さん、お母さん」とか細いお声で囁きます。私がお母様に見えたのでしょう。私は、Gさんを抱きしめて言いました。「Rちゃん、良く頑張ったね、偉いね、ほんとに偉いね、もう何も心配ないのよ」・・・と。Gさんは何度も私の顔を撫でながら呟きました。「お外に行きたい、お外に行きたい」・・・それが最後の言葉になりました。 まもなく旅立たれたのです。
 「お外に行きたい」、それは病床におられる方々の同じ思いでしょう。「お外に行きたい」、そのお言葉の持つ意味は大きいのです。いろんな事に思いを馳せておられるのでしょう。私は少々疲れていても、その行動を阻むものは何もないのです。今、私は何でも出来ます。
 Gさんのお言葉に導かれるように、そして全ての苦しむ方々の思いを背負って
教会へ行きました。春の雨が降っていました。
 

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その12 (2002年3月28日) 

 愛する方、大切な方との別れは、本当に辛いものです。逝く人も残される人も。
  
 これまで、何度か旅立ち後の入浴について触れましたが、今まで入浴出来なかった方に、せめて最後ぐらいお湯に浸かっていただきたい、きれいな姿で旅立っていただきたいという思いがあります。そしてご家族は、大切な方のお身体を洗いながらそれまでの思いを沢山言葉に出すことが出来るのです。気持ちはずいぶん落ち着きます。それは、その後の癒しに大きな影響を与えます。一つの、遺族ケアの始まりでも有るのです。
 
 入浴について、始めたきっかけとか、たくさんのエピソードが有ります。たぶ
ん皆様には、旅立ち後の入浴がどのようなものか想像もつかないと思いますので
折を見て書かせて頂くつもりです。
 その時まで、お待ち下さい。
                               このページの初めに戻る



その11 (2002年3月20日) 

  旅立ちが近いとき、ほとんどの方は眠っているようにご家族の呼びかけにも反応しません。ご家族は『もう、何も分からないのだ』とか、『もう、駄目なんだ』という悲しみに沈み、生きている証は無いのかと心は騒ぎます。「皆さん、最後まで耳は聞こえておられるのですよ。ご家族の声がけがどんなに嬉しいでしょうね。でも、それに応える力が残っていないので、手を動かし
たり、声を出したりする事が出来ないだけなのです。」 ご家族は、安心し、喜び、今旅立つ最愛の方の手足を優しく撫で、いろいろと思い出話などを語りかけるのです。
 又、これは私がよくやることですが、聴診器で心臓の音を聞いていただくのです。旅立ちが近くなりますと、ご家族に見守っていただくために、私たちは最低限度のケアしか行いません。脈拍や脈圧・呼吸状態を看る程度です。必要以上のケアが苦痛を与えてしまうことになるからです。血圧など測定出来るほどの状態でも有りませんし・・・。私は、心臓の音を聞いていただくために聴診器を持って行くのです。
 「○○さんの生きている証ですよ。弱いながらも、しっかりと動いておられるでしょう?ご家族のお声はしっかり届いていますからね。」 初めて聴く最愛の方の心音です。わくわくどきどきしてじっと聞き入ります。
  最後になるかもしれない、生きていることの証です。「ああ、生きてる!」・・・その声も届いているのです。
 

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 その10  (2002年3月19日) 

  家族ケアについては、前回書かせていただきましたが、その中で最も重要なことはご家族の思いです。ようするに、良い看取りが出来たと思えるかどうかという事です。どんなに尽くしても尽くしきれないし、些細なことに後悔するものです。私自身、家で母を看護し看取りましたが、未だに後悔する事ばかりです。いっぱい頑張ったじゃないのと言われても、自分の心の中には出来なかったことばかりが浮かんできて、悔やまれて仕方がないのです。
 ホスピスにおられるご家族も、ケアをしながら近い将来訪れる「死」を考えると、今からその時のことを考えて悩んでしまうのです。自分は良い看護が出来ているのだろうかと・・・。ですから私たちは、ご家族に対しねぎらいの言葉をかけたり、一つ一つのケアを認めます。認められるという事は嬉しいことでもあり、大きな励みにもなるのです。「○○さんはこんなにしてくださるご家族がいらっしゃってお幸せですね」という一言が、実はとても重みの有る言葉として受け止められるのです。
 私が受け持っていたゲストではありませんでしたし、その娘さんとも深い関わりを持っていたわけではなかったのですが、Kさんというその方の旅立ちが近いという夜、娘さんは一人で見守っておられました。いろいろと複雑な背景が有り、一人で看取らなければならない不安と、一人にしか看取られずに旅立つ母への憐憫の情で、娘さんは今にも泣き出しそうでした。夜勤でKさんを看ていた私は、娘さんに言いました。「お母さんは、きっと貴女に看取ってほしかったのでしょう。だから秋田から来られたのでしょう。他の誰でもない、貴女が傍にいてさしあげれば良いんです。大丈夫、私も一緒に居ますから・・・」
娘さんは自分自身を取り戻し、しっかりとそして静かにお母様を看取られました。
 

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 その9  (2002年3月18日)
 私たちは、家族の代わりにはなれません。と言うより、なってはいけないのです。アナムネーゼ聴取で、「あなたの支えは?」に対し、「家族」と答える方がほとんどです。元気な時にはあまり感じなかったかもしれません。年輩のご夫婦の場合は特に、病気になって初めて伴侶の大切さが分かったと言う方が多いのは、これも日本人特有の感情でしょうか。
 Sさんという、無口な真面目一本で生きて来られた方が、自力で座れなくなった時がきました。筆記用具を持たせてくれ言い、そして、一文字一文字ゆっくりと、大きく息を吸いながら、そして吐きながら何か必死に書き込んでいるのです。たたんだ紙を引き出しの奥にしまうように言われ、その通りにしましたが、私には、Sさんが何を書いたのか大体分かりました。奥様が離れたときに何時もおっしゃる言葉が有ったからです。
 私たちは、勿論ゲストを支えます。しかし、ゲスト自身が支えを望んでおられるのはそのご家族なのです。ですから、ご家族が心身共に良い状態でいられるように、私たちがご家族を支えるのです。まるで、ロンドゲームのようです。私たちがご家族を支え、ご家族はゲストを支え、ゲストの生き方に本当は私たちが支えられているのです。
 ホスピスに来る頃は、御家族も心身共に疲れ切っておられます。ですから、まずゆっくりと休んでいただきます。そして、悔いの残らない看取りが出来るように、サポートします。ご家族に対し、ゲストが気恥ずかしくて言えない感謝の言葉などは、私たちが代弁します。ご家族は「本当?」と言いながら嬉しいのです。直接言ってもらえたら、もっともっと嬉しいでしょう。他にもいろいろな形でご家族を支えます。苦悩をお聞きして思いっきり泣いていただくときもあります。ホスピスは、ご家族もケアの対象なのです。ご家族が生き生きとしていることは、死に向かっているゲストにとって大きな喜びであり支えになるのです。
 ところで、Sさんは紙になんと書いたでしょう。百箇日がすぎた頃、ご焼香に伺いました。奥様は微笑みながら、あの紙を見せてくださいました。「有り難うございました。私は幸せ者です。素晴らしい家族に恵まれました。私は、何の心配も無く逝くことが出来ます。・・・」   外は初夏の爽やかな風が吹いていました。
 

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  その8  (2002年3月18日)
 

 ホスピスに入院された方は、ほとんどが「死」を意識しながら生活しているわけですが、その中で希望を捨てているわけではありません。皆様、その方なりのささやかな希望を持っておられます。「もう、どうでもいいんだ」と、嘆いている方も「明日の朝も目覚めたい」と願いながら眠りにつきます。
 桜の花を見たいという希望・子供の結婚式までは生きていたいという希望・何か形見になる者を作りたい・ありがとうと言って死にたい・・・蜘蛛の糸の上を歩くような思いで願っておられるのです。そして、その希望が何時も同じというわけではありません。症状や残された命の長さは誰よりもご本人が一番感じておられるようです。それもたいていは無意識のうちに・・・ですから、希望も変わってくるのでしょう。昨日は一月先に希望をおいておられた方が、今日は一週間先のことしか言わないということが間々あります。
 私たちは、どのようなときでもゲストの方の希望を支えます。これは、とても難しいことです。いい加減に相づちを打ってはいけません。心の中で『それは無理』と思ったら、やはり本当に支持する事にはなりません。無理なことかどうか、それはご本人が一番良く御存じなのです。私は、本当にそうでありますように、と願いながら耳を傾けます。支持するということは、こちらも同じ思いを持つことが大切だと思います。「死」を意識しておられる方の希望はどんなにささやかでも重くそして大きいのです。 
 決して否定しないこと。どのような思いで願っておられるのか理解することが重要なのです。
 

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 その7  (2002年3月9日)

 前回の花見の話の中で、卵酒が出てきましたので引き続きお酒のお話をしたいと思います。
 ホスピスでの生活には特に規制は有りません。その人がその人らしく暮らしていただけるように支えることが私たちの役目であり、家庭の延長と思っていただければ最高に幸せです。
 さて、お酒のことですが、ディルームの大きな冷蔵庫にはいつも缶ビールが入っており、ゲストの方は好きな時に飲めるようになっております。(もちろんお代を入れる缶も有ります)ワインや日本酒などビール以外のお酒が飲みたい方も、それぞれ、程々にたしなんでおられます。
 私が酒好きと知っておられたKさんは、B勤(13時~21時半の勤務帯)が終わる時、お部屋に呼びお酒と焼き鳥を振る舞ってくださいました。焼き鳥は、息子さんが買ってきました。生来明るい方で、その夜もKさんの思い出話に押し笑いをし、楽しいひとときを過ごしました。私はほろ酔い気分になり、バイクを置き歩いて帰宅したのでした。普通の病院なら考えられないことです。
 ワインの大好きなTさんは、毎晩の食前に、夕暮れの遠い街並みを眺めながらグラスを傾けておられました。いつも、お部屋に入ると上等なワインの、甘酸っぱい香りに鼻をくすぐられたものです。
 しかし、どんなにお酒の好きな方でも病気には勝てません。症状が進むと身体が受け付けなくなります。寝返りもうてなくなったその方の口元を、綿棒に含ませたお酒で湿らせます。それだけでも、嬉しそうな表情を見せてくださるのです。 末期の水ならぬ、末期のお酒で喉を潤して旅立たれる方が多いのも、ホスピスだからでしょうか。
 

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その6 (2002年3月9日)

 3月も半ばになり、何となく春の気配を感じる頃になると、入院しておられる方は皆、桜の花のことが気になります。
 当ホスピスは南北に縦に長く、東側と西側に部屋が分かれています。東側の部屋からは病院の前の大きなしだれ桜が見えるのです。東側の部屋の方は、それぞれ自分の部屋からの眺めが最高だと思っています。西側の部屋の方も、南に丸く出っ張っているディルームから、その桜の木は見えるのですが、自分の部屋から眺める気分とは異なります。でも、ゲスト(当ホスピスでは入院患者さんを、こうお呼びしていますので、これからは患者さんではなく、ゲストと書かせていただきます)もそのご家族も皆、胸に抱く思いは同じなのです。

  『あの、桜の花を見ることが出来るのだろうか。せめて花を見てから逝きたいものだ・・・』
 仙台は、桜の開花はまだまだです。でも、一ヶ月先のいのちの保証の無い方にとって、桜の花を見ることは大きな目標であり、生き甲斐になるのです。「あの木は大きいから、見事に咲くでしょうね」とよく尋ねられます。「毎年、あの桜の下でお花見をするんですよ。皆さん総出で・・・。毛氈のうえに車座になりましてね、卵酒をいただいたり、おだんごを食べたり・・・。
 ベッドのままの方もいらっしゃいます。今年のお花見、楽しみに待ちましょうね。」 内心、無理かとお思いの方も、今までの楽しかったお花見を思い出しながら、今年のお花見に思いを馳せるのです。
 花の咲く前に逝ってしまわれる方もおられます。一目見て旅立つ方もおられます。Tさんは、大きな桜の枝を枕元に飾り、「さて、桜も見たことだしもう良いな」と言って息を引き取られました。
 毎年、春の気配を感じる頃になると、しみじみ思います。『みんな、やっぱり日本人なんだなあ』
 

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その5   (2002年3月3日)

 I さんご夫婦を受け持たせていただいたときのことです。ご主人が「がん」の終末期で、お子さんのおられない初老の方でした。志摩ちゃんという猫をかっていました。I さんご夫婦の支えはSという宗教でした。ホスピスに来られる前は個室ではなかったので、周りに遠慮され最も大事なお題目を唱えることも出来ず、寝たきりになられたご主人の耳元で奥様が声を押し殺すように唱えていたそうです。I さんご夫婦のよりどころである信仰心、毎日の勤行、それを気兼ねなく全面に出せること、その事を支えることも受け持ちナースである私の大きな役割でした。私自身、信仰を持つ意味がよく分かります。死を前にし、夫婦の別れを悲しみの中で待っておられるIさんご夫婦にとって、お題目を唱えながら気持ちを落ち着かせ、死後の成仏に対する願いは大きかったと思います。初めてお会いしたその日、私はまず、Iさんご夫婦の信仰を尊重する旨をお伝え致しました。それからの入院生活は、想像どおり朝に夕にお題目を唱え、穏やかに過ごされました。他のスタッフもプライマリーナースである私の考えを支持してくれました。ホスピスはチームケアですから、スタッフ全員が統一したケアを提供します。I さんの旅立ちが近づいてきました。ベッドの周りにはご友人方が集まり、I さんの為にお題目を唱えておられました。I さんはその中で息を引き取られました。小一時間ほどして、I さんの入浴をしようとした時の事です。I さんの瞼がぴったり閉じてくれないのです。たいていのご家族は瞼が開いたままだととても気になさいますので、何とか閉じさせようとしたその時、「看護婦さん、半眼半口(はんがんはんく)なんです。私たちのお題目で成仏した証拠なんです。」と言われました。確かに、I さんのお顔は、仏像のようにうっすらと瞼を開き、口元も微かに開いており、静かな美しさが感じられました。価値観は、それぞれ異なります。私はI さんの宗教を信じているわけではありませんが、信仰心は心の底から尊重しました。I さんご夫婦も私を信頼してくださいました。患者家族とナースの良い関係が築かれていたと思いました。
 旅立ち後のお顔は、皆さん本当に安らかです。I さんも生前から、成仏したいという希望が強く、信仰心に支えられ、願いどうり「半眼半口」というお顔で旅立つことが出来たのではないでしょうか。
 

 

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その4 (2002年2月17日)

四旬節に入りました。回心への摂理的な時であると教皇様のメッセージにもありますが、回心と言うと私はメタノイアという言葉を思い浮かべます。逆に呼べば愛のためと読めます。メタノイアという言葉は、ルカが好んで使っていた言葉のようですが、悔い改めは人間の努力によってではなく、失ったものを探す神によって達成されると言っています。今更、ホスピスナースが何の能書きを言ってるのかとお思いになるでしょう。
 昨年7月に受け持たせて頂いたYさんについてご紹介したいのです。Yさんは、身寄りの無いホームレスでした。家族も親兄弟も捨て、好き勝手に生き、肝がんになり保護され、最終的にホスピスに来られたのでした。憔悴しきっておられました。病状もかなり悪化しておりましたので、話すことさえ辛い様子でした。只、私には自分の受け持ちと思ってか、いろいろと話してくだ
さいました。「自分は、本当に多くの人に迷惑ばかりかけて生きてきた。道ばたでゴミのように死んでも仕方がないと思っていた。今は、ふっと目を開ければ何時も優しい目が自分を見ていてくれる。勿体ないことだ。最後の願い?聞いてもらえるの。うん、只聞いてくれるだけで良いから・・・それだけで嬉しいから・・・  自分には今26・7歳になる息子が一人いる。小さいときに離れたから何処にいるのかも解らない。どうしているのだろう、一目会えたらと思うけどそれはいけないことだと解っている。」涙を流しながらご自分の生き様を話されるのです。そして、後悔の言葉を言われるのです。私は、駄目もとの思いでYさんがおられた◯◯園のご協力を得て東京のお姉さんに連絡を取ることが出来ました。お姉さんはすぐにホスピスに来てくださりベッドの横に泊まって行ってくださったのです。Yさんはとても嬉しそうでした。しかしお姉さんもYさんの息子さんの消息は分かりませんでした。
 そろそろ、Yさんのいのちが終わろうとする頃、私はYさんに話しました。「Yさん、悲しいけど仕方ないよね。Yさんがお父さんとしてこれから息子さんにしてあげられるのはね、天国から見守って差し上げることだと思いますよ。きっとその思いは息子さんに届きます。」Yさんは、もう話すことはできませんでしたが、かすかに微笑んでくださいました。Yさんの旅立ちに間に合いませんでしたが、妹さんが来てくださいました。そして、Yさんのたった一つの遺品となった小さなバッグの中から手帳を見つけ、一緒に見させていただきました。そこには、きれいな字で、この様に記されておりました。「酒とタバコは自分の人生に無縁なものにしょう。・・・医者としっかり約束した。今までの自分は・・・。70歳まで生きて人の為に良いことをしよう・・・。」Yさんは旅立つ4ヶ月前に生き方を変えておられました。たった4ヶ月、いや、Yさんの人生の中で、身体的苦痛はあったにせよ精神的には最も落ち着き穏やかな時間だったのでは、と思うのです。70歳まで生きることは出来ませんでしたが(61歳の人生でした)、愛のために、生きることを変えたYさんはすばらしいなと感じたのです。ホスピスでは八日間の関わりでしたが、忘れられない方です。少し違うよと言われるかもしれませんが、「ただで受けたのだから、只で与えなさい」と言う福音のように、最後のいのちを生きられたのでは無いでしょうか。
 

 

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その3 (2002年2月17日)

Kさんという女性を受け持たせて頂いた時のこと。
病気も進んで、年を越す事は難しいかなと思っていたときです。普段から大人しくあまり感情を表出されない方でしたが、大きな目を見開いて私の手を握りしめ、かすれたように、しかし、はっきりとおっしゃるのです。「死ぬのが怖い。どこに行くのか解らないから怖い。小さいときにお寺で見た地獄へ行ったらどうしよう。」Kさんは、地獄の存在は、恐怖と共に、信じておられるようでしたので、天国の話をしてみました。「私も残念なことに、まだ行ったことが無いけれど天国は絶対に有ると信じていますよ。そこに行けば、父や兄に会えるんだなと思うと、何となく楽しみでも有るんです。」Kさんは少し表情を和らげました。「で
も、やっぱり怖い、だって、本当かどうか解らないんだもの。」
 確かにKさんの言われる通りです。信じたい気持ちは有るのに信じるには何か足りないのです。信仰と同じで、見えないものは考えるのでは無く、感じなければなりません。「Kさん、Kさんは若い頃小学校の先生をしておられたので、始めて学校に上がる子供達の気持ちって解りますよね。昔は幼稚園とか有りませんでしたから、小学校はまるで未知の世界でしたね。私もそうでした。いくら楽しい所だって言われても、親から離れる時間が自分に迫って来ていることが怖くて仕方がなかったものです。それなのに、入学して一日、二日と時間が経つにしたがい友達も出来るし先生は優しいし、自分はなにを怖がっていたんだろうって思ったものです。解らないって、本当に怖いものです。」私の話をじっと聞いておられたKさんは「そうねえ、思い出したわ。子供達の顔。しばらくすると先生、先生って離れないのよ。今は、信じる事がとても大切なんだって解る・・・」
 本当に穏やかなお顔に戻られたKさんは、その後不安や恐怖など払いのけたかのようでした。そして数日後、眠るように天国へ逝かれました。Kさんが昔先生で無かったら、どのようなたとえ話をしていたかなと、この頃思います。
 

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その2 (2002年2月11日)

私は、神学者でもなければ哲学者でもありません。信者としても熱心に勉強しているわけでも無いと思います。そのような私ですが、信仰について何時も感じることが有ります。無宗教は無信仰か?ということです。ホスピスで多くの方と関わる中で、たいていの方は無宗教ですと言われます。では、何も信じていないのかと言えば、そうでもありません。日本人的曖昧さと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、八百万の神であるとか、ご先祖様の御霊を大事に守っておられます。ベッドの枕元にはお守りがそっと置かれて有ったり、節気や節句のまつりごとを大事にしているのです。たぶん、健康な頃には楽しむためのまつりごとだったと思われますが、自分の「いのち」を考えるようになると、何かに縋りたい、何か目には見えないけれど決して不確かではない大きな存在を信じるようになるのでは、と思うのです。
 病気になって、新たに宗教に入る方もおられますが、たいていの方は、たぶん自分の心の中で無意識に育てられていた「信じる心」に気づかれるようです。「死」は「無」であると思っている方もおられますが、最後までそのような気持ちで逝かれる方はほとんどいらっしゃいませんでした。自分の魂の行く場所が有ると信じられるから、「死」に対する不安や恐れを克服出来るのではないかと思います。ただし、そればかりでは無いと言うことも付け加えておきますが・・・・。

 最初に戻ります。多くの日本人は大きな信仰心を持っています。只、気がつかないでいるだけ。私自身はカトリックですが、日本人が先祖から受け継いでいる素朴で自然な信仰心が好きですし、何時も尊重して関わらせていただいております。それも、ホスピスナースとしての大事な役割だと思っています。

 

 

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その1 (2002年2月7日)

 私は、光ヶ丘スペルマン病院のホスピスで看護婦をしています。ホスピスについては、御存じかと思いますので詳細は省きますが、少々思い違いをしている方もおられるようです。確かに、ホスピスには「がん」の末期の方が入院して来られますが、それは、終の棲家としてではなく、最後の命を「生きる」為に来られるのです。全ての人に理解されることは困難なことかもしれませんが、なるべく多くの方に理解していただけたなら、名前を伏せて入院される方も少なくなるかもしれません。私が受け持たせていただいた方で「此処(ホスピス)はとっても良い所だけれどあの人は死に場所に行ったのねと思われるのが悲しい」と悲しみました。この様な思いをした方は少なくありません。たとえ、残り少ない「いのち」でも、その体が「がん」に冒されていても、「いのち」の重さ、そしてその「いのちを生きる」ことは尊いのです。
 私は、多くの「いのち」に寄り添い支えながら、実は自分自身が生かされていることを感じます。「人は生きてきたように死ぬ」とよく言われますが、私にとって、今目の前にいる方がどのように生きてこられたのか全く関係のないことです。残された「いのち」を穏やかに生きていただくには、そして安らかに旅立っていただけるためにどのような関わりを持てばよいのか、何時もそう考えるのです。そして、皆様すばらしい時を生きて逝かれます。それは、決して私自身の力ではないと思っています。私には決して揺るがない信仰があり、私を支えてくださる方がおられる。もし私が、「いのちの尊さ」や「生きている喜び」を知らない人間だったなら、今のような仕事は出来ないと思います。
 ホスピスで4年経ちました。いろいろと考えさせられました。成長しました。これからも「いのち」に寄り添って行きます。
そして時々、私が経験した「いのち」の重さを載せていただきたいと思います。皆様も、一緒に考え、そしてホスピスを理解していただければ幸いです。

 

 

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