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◆◆◆「いのち」に寄り添って◆Ⅱ◆

赤井 聖子

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「いのち」に寄り添って Ⅱ

 「いのち」に寄り添って32
 こんな事を書くと、きっとご立腹なさる方が殆どだと思います。でも、私にとって「いのち」の重さはみんな同じだから、あえて書かせていただきます。
 私は、御存じのように大の動物好きです。大げさな言い方かもしれませんが、「いのちあるもの」全てが愛おしいのです。虫は苦手ですが可愛い存在だと思います。家の中に入ってきたら外に逃がします。我が家の猫に遊ばれないように・・・。我が家にはトムの他に、昨年の晩夏に保護を求めて自らやってきた黒猫のビリーがいます。どう見ても猫とは思えないほど痩せこけて、ぼろ雑巾のようでした。推定一歳半の小さな身体でした。こんな身体で冬の寒さや夏の暑さを生き抜いてきたのかと思うと、もぞっこくて(この仙台弁以外当てはまらない)、手放すことは出来ませんでした。私たち家族、二人と一匹はこのちびっ子ビリーが可愛くてたまりません。特にトムは、それまで一人ぬくぬくと温室育ちだったにもかかわらず、しっかりお母さん役をかって出ました。
 私が、母との別れから未だ立ち直れなくて、息子が心配していた頃のことです。
 母が私の為に贈ってくれたかのように、私の心はビリーという存在によって癒され始めました。

 「存在」はそれがどのような形のものであれ 、その人の支え、癒し、生きる力を与えてくれるものは宝です。一緒に暮らしていれば、猫であろうと大切な家族に変わり在りません。悲しみは、その「存在」との別れであり、自分自身の「存在」を失うことへの不安かと思います。

 さて、我が家の大切なビリーが大けがをしてしまったのです。私の不注意でした。ベッドの下敷きになってしまったのです。ベッドを上げたときは血の海でした。血まみれのビリーを抱え、行きつけの獣医さんのもとへ 急ぎました。泣きながら・・・
 他人の目には奇異な姿であったと思います。
 「ビリーは強い子だよね。ママが傍に居るから大丈夫。頑張ってね。頑張ってね。」
 人間と違い、動物はどんな状況でも生きることしか考えません。必死に生きようとします。小さな身体全体であえぐビリーからは、まさに生きようと頑張っている 力が感じられました。・・・でも、私は助からないと思っていたのです。
 麻酔が効いて眠っている姿を見て、涙が後から後から流れました。自分の不注意でこんな目にあわせてしまった。こんなに突然な別れ。どうすればいいの?どうすれば良いのかしら。完全にパニックです。普段の冷静さは何処にも有りません。只、苦しまないでほしいと思いました。「今この子は苦しんでいないんでしょうか?」「 大丈夫、眠っていますから、苦痛は感じていないでしょう 」
 ゴチャゴチャの頭の中で、『この会話は、何処かで聴いた事があるぞ。そうか、いつもと立場が逆なんだ』そう思っていました。たとえ猫だろうと私にとっては大事な家族です。必死の思いで・・・すがる思いで・・・先生や看護婦さんに聴いたのでした。
 突然の別れは耐えられません。たとえどのような形でも別れは悲しい。でも、寄り添う時間が有れば心に準備が出来ますし、十分に看護したり、看取る事への苦痛も少なくなります。ビリーの寝顔を観ながら、ホスピスでのご家族のお気持ちを考えて いました。
 たかが猫と、大事な人間の命を同等な目で見るんじゃないと、お叱りを受けることでしょう。人間の命をそんなに軽く見るやつだったのかと、がっかりなさった方も居られるかもしれません。

 誤解なさらないでください。私は、神様がお造りになられたものは全て尊く素晴らしいものだと思っています。

 別れは、必ず訪れます。それがどのような形で訪れるのかその時になってみないと分かりません。ただ、突然の別れはあまりにも悲しすぎるものだなと、しみじみと感じたのでした。
 たとえ、毎日「死」を意識するとは言え、ホスピスであるいは在宅で、限りある「いのち」をお互いに見つめながら過ごすことが出来るなんて、悲しいけれど素晴らしい事だなと思うのです。

 ビリーという一匹の猫を通して、ホスピスでの生活、そしてケアの在り方を改めて考えることが出来た数日間でした。

 ビリーは、奇跡的に助かりました。顎の骨がおれて後頭部にたんこぶが出来ただけでした。退院の日、その小さな身体の大きな「いのち」をしっかり抱きしめました。


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その31 

1ドル紙幣

 G郎さんは90歳というご高齢でホスピスに来られました。一年ほど前のことです。直腸癌のため人工肛門を造設しており、そちらの処置以外は何でもお一人でなされる方でした。

 好々爺とはこの様な方のために有る言葉だと思いました。何時もニコニコと笑顔を見せてくださり、少しもお年を感じさせない会話はとても楽しいものでした。「前はきむずかしい人だったのよ。此処では皆さんが優しくしてくださるから父も穏やかで居られるのよ」と、娘さんに言われたことが有ります。

 以前、どれ程きむずかしい方だったのかは分かりません。只、G郎さんの口から人生を嘆くようなお言葉を聞いたことは有りません。「G郎さんの明るさの秘訣は何?」と伺った時、「深く考えないことだね。明日の事は明日考えれば良いんだ」と、さらっとおっしゃいました。なんだか、イエス様が目の前で私に語りかけてくださっておられるのかと嬉しく思ったものです。

 G郎さんはストレスの処理方法がお上手な方だったのだと思います。美しく年輪を重ねて行く見本のような方でした。 「若い頃はこれでもいろいろあったんだ」と思い出話を聴かせてくださった日も有りました。

  

 そんなG郎さんに変化が見られたのは、梅雨の頃からだったと思います。「なんだが怠いんだねえ。どごが、ってんでも無いんだねえ。うんにゃ、いでわげでは無いのっしゃ」独特の言葉回しでした。それまでは、何時もデイルームで午後のお茶を楽しまれ、毎月の行事にも参加してくださっておられたのに、ぴたっと止まってしまわれたのです。倦怠感がとても強かったのでしょう。眠っておられることが 多くなりました。

 がんの進行と言うより、老衰のような感じでした。

 更に、大きな変化は、涙もろくなったことでした。「自分でも、わがんねんだねえ。なして、涙ばり出るんだべねえ。鼻水だべがねえ」。無意識に命の終わりを感じておられたのでしょう。お顔をクシャクシャにして涙を落とされるのです。

 

 「死」を感じた時、たとえ無意識で有ろうとも、また、たとえ人には年に不足は無いと言われるほどのご高齢で有ろうとも、誰もが淋しさを感じるのです。言葉に言い表すことが出来ないほどの寂寞 とした時を感じるのです。

 「死ぬのはこわぐねえのっしゃ。この年までいぎで来られだがらねえ。うんだねえ、寂しいんだねえ。」在る夜G郎さんのお身体を拭いている私にかけたお言葉です。『この夏を越すことが出来るかしら』と私も寂しく感じました。

 

 6月6日、G郎さんのプライマリーナースで、出産の為休職していた彼女に女の子が 生まれたことをお知らせすると、とっても喜んでくださいました。「いがった、いがったねえ。孫のようなものだがらねえ。」落ち込み気味だったG郎さんに久しぶりの笑顔が戻りました。その後も、曾孫さんのご結婚などG郎さんにとって楽しいことが続きました。それなのに、ふっと気づくと寂しそうに泣いておられるのでした

 

 G郎さんは、全てのホスピススタッフに愛されて、9月15日敬老の日の未だ陽も登らぬうちに旅立って逝かれました。静かで穏やかなG郎さんらしい旅立ちでした。

 

 G郎さんはジョークも解してくださる優しい方でしたので、思いで話も沢山あります。

 在る日、G郎さんといつものようにおしゃべりに花を咲かせていますと、「看護婦さんには何時も世話になってからねえ。」と良いながら突然引き出しから財布を取り出しました。『おっと、G郎さん。それはいけないよ』とあわてて手を横に振りましたが、「まずまず、いいがら、もらってけさいん。俺のたがらものだけんとも、使うごともなぐなったがらねえ。」取り出したのは一枚のピン札でした。ハワイの1ドル紙幣です。「ハワイのお金だがらね。看護婦さん、ハワイさ行ったらこれで買い物してけさい。日本では使えねんだよ。」しっかり注釈してくださいました。その注釈は、勿論G郎さん特有のジョークです。

 私にとっても、大事な宝物の一つになりました。ハワイに行けるかどうかは分かりませんが、たぶん行く日が来たとしても、その1ドル紙幣は勿体なくて使えないでしょう。

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