最近のホスピスへの転院は、症状がかなり悪化してからの事が多く、その為在院日数も少なくなりました。何より、残された時間をその方らしく生きていただく、言い換えれば生きていることの喜びを感じながら一日一日を過ごしていただくと言う最も大切なことが難しくなってきたのです。
一瞬、一瞬の喜び出さえ、見つけだし、感じていただくことが本当に難しいと思います。
このことは、ホスピスを理解されていないと言う問題とともに、やはり、もう少し戦ってみたい、もしかすると治療の効果が奇跡的に出るかもしれないと言うご本人やご家族の思いが強く有るからです。『死に場所には、行きたくない』と多くの方は思っておられるのです
昨年の、もう少し暖かくなった頃のことです。
高齢の、大変しっかりした女性を受け持たせて頂きました。全身状態はかなりお悪いのに、弱音を吐くこともなく、ホスピス理解も充分に有りました。私たちスタッフへの思いやりも絶やすことが事が有りませんでした。入院時から状態がお悪かったのですが、イレウス症状が更に悪化し、噴水の様に吐くようになると、その方のお言葉からも弱音が聞かれるようになりました。
有る夜のことです。か細いながらもしっかりとした口調で私に話しかけたのです。
「こんな苦しみはもう耐えられない。此処に来るまでも手術や治療で本当に苦しんできたの。もうへとへと・・・。私は今まで精一杯生きてきたから、命が惜しいという思いは無いのよ。只、もう耐えられないの。もう、楽になりたいの。此処は、楽にしてくれる所だと向こう先生に聴いたから、来ることに決めたのよ。でも、ちっとも楽にしてくれない。早く楽にして頂戴。お薬は沢山あるでしょう。」
その方が、“安楽死”を望んでおられると言うことに気が付くまで、間が有りました。
私自身、何とかして症状コントロールをしたいと頑張っていましたが、イレウス症状の悪化と全身衰弱のスピードに着いていけませんでした。こういう時の虚しさは言葉に表現できないほど辛いものです。
“緩和”と“安楽死”は全く異なるものです。確かに私たちは、日々の安らかな時間と旅立ちを願いながらケアをしています。でも、“安楽死”という全く自然ではなく、更に神の御心に背く行為は許されるものでは無いのです。
しかし、目の前で、生きていることの辛さを訴えておられる方の、その苦痛に対しては何とかしなくてはなりません。眠ることもひとつの選択です。
私は其れまでの関わりから、ユーモアを上手に受け入れてくださる方であることを事を知っていました。そこで、こう言ってみたのです。
「○○さん、今がどんなにお辛いか分かりますよ。此までもずいぶんと頑張ってこられましたものね。私なら、こんなに頑張れません。弱虫ですから・・・。○○さんは本当にお強い方です。でも、もう限界なんですね。其れも分かります。早くご主人のもとへ行きたいんですよね。でもね、お薬や注射では○○さんのご希望を叶えて差し上げられないの。其れは法律で禁止されているんですよ。たとへホスピスでも、其れは許されていないんです。私も看護師免許を無くすことになりますしね。
ただし、私は良いことを知っています。○○さんが本当にお望みで有れば、私はお手伝いしますけど・・・。
ポックリ寺って御存じですか?其処はたいそうな御利益が有って、其処をお参りすれば、必ずポックリあの世へ逝けるんだそうです。
良い所ですよね。○○さんがどうしても其処へ行きたいとおっしゃるのなら、私は休みを取ってご一緒致しますよ。今すぐにでも。
只、私は境内には入ることが事が出来ないんです。と言うか、其処のお寺さんの山門をくぐるには長い長い階段を登らなければならないです。本当に見上げるほどの長い階段だそうです。その階段を一人で、一段一段登り詰めなければ、願いは叶わないと言われています。苦しいでしょうね。数えきらないほどの段数でしょうから・・・。
でも、登り詰めたら願いは叶えられるんです。・・・ポックリと、逝けると言うことです。」
真面目なお顔で聞いておられた○○さんは、おっしゃいました。
「ふうっ!そんな階段を登ったら心臓麻痺で死んでしまうっちゃ!!そんな体力は残ってないよ。」
確かにポックリ寺と言うお名前は聞いたことが有りますが、決して私が言ったような寺院ではないでしょう。もっと真摯で有ると思いますし、健全な信仰の場で有ることは確かです。(勝手な引用をお許し下さい)
私は○○さんに嘘八百を言ってしまったわけですが、人の手を借りて死ぬことの間違いに気付いてくださいました。そして、ホスピスは“安楽死”を提供する場所ではないことも理解してくださいました。
その後も、私たちのケアは症状を緩和させるに至りませんでしたが、○○さんからは何時でも感謝のお言葉を掛けて頂きました。
そして、眠りの中でですが、神様が与えて下さった“命”を生きてくださったのです。
私は、今でも○○さん苦しみを考えると胸が痛くなるのです。