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◆◆◆「いのち」に寄り添ってⅩⅠ

赤井 聖子

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100 普通であること

 

 看護の現場を離れて1年になります。

 私の一日は日の出前に猫に起こされることから始まります。黄金色に染まる東雲の空に感嘆のため息を漏らし、茜色に変わる夕暮れ空に一番星を見つけては喜びに小躍りします。

 雲の流れに見とれたり、ベランダの花木に囁く風の声に耳を傾けることも日課です。

 狭い室内を歩くと、猫はどこへも行かないでねとでも言うかのように足下にまとわりつき、夜は私の胸元で眠ります。このように特別な変化もなく単調な時を過ごすしているわけですが、私はこの上ない幸せを感じているのです。裕福な生活を送っているわけでもなく、何もかもが上出来というわけではありません。ただ、今日が昨日と同じであることが幸せなのです。たぶん、明日も又今日と同じように静かな時を過ごすのでしょう。 

 忙しなく時を過ごしてきた分、この1年はのんびりと過ごさせていただきました。そして思うことはホスピスで生活しておられる方々のこと。

 「こんな穏やかな時間を送ることができて幸せだけど、がんになるまで叶わなかったことが情けないよね。」 「一生懸命生きることは忙しいものだとばかり思っていました。」

 「死を前にして人生観が変わったのは、悲しいからじゃなくて、穏やかな時間を与えられたせいかもしれない。」 ホスピスという区切られた空間ではありましたが、そこを流れる時はあくまでも穏やかで優しいものでした。 普通であることから遠のいてしまった時、僅かな時間を愛おしく生きてくださったのです。

 

 普通であることが難しくなっている時代だからこそ、いっときいっときを何気なく、そして感謝しながら生きていきたいと今日も思っています。

なかよし

 

99芳香剤

 

 金木犀の甘酸っぱい香りに誘われて、外に出ました。

 普段は歩いたことのない小径へ足を踏み入れると、大きなザクロは紅い果肉をのぞかせてかせて輝き、熟れた無花果は鳥たちについばまれています。

 空はどこまでも高く、久しぶりにいわし雲の流れるさまを見ました。

 金木犀の香りはいつまでも私を包み、私はTさんを思い出していました。

 Tさんは高齢の女性で、ホスピスに来られた時には起きあがることも出来ずただ黙って目を閉じておられるのでした。眠っているのかどうかもはっきりわかりません。声をかけて良いものかどうかいつも迷いました。

 ある日私は、Tさんに秋を届けたくて金木犀の小枝を消灯台に飾りました。いつものように目を閉じておられたTさんでしたが、しばらくすると目を開けることもなくおっしゃるのでした。

 「お便所に行ってきた。歩いてお便所に行ったんだよ。ああ、気持ちいいねえ。」

 そして静かに目を開けると黙って私を見つめ、にかっと笑います。

 「寝ていたらね、家のお便所の匂いがしたんだよ。お便所に行きたいなあって思ったらね、歩けたんだあ。・・・夢だったんだねえ。」

 「お手洗いの芳香剤は金木犀の香りと同じですものね。・・・なんだか、切ない夢を見させてしまいましたね。」

 後悔している私を慰めようと思われたのでしょうか。Tさんはまた、にかっと笑うのでした。

 「良いんだ、良いんだよ。夢でも歩けただけ幸せだっちゃー。もう、お便所にも行けないと思っていたからねえ。んだねえ(そうだね)。この花とお便所の匂いは同じだ。」

 Tさんとはこの時が初めての会話で、笑顔を見たのも初めてでした。この後私たちはトイレの芳香剤に花が咲き、消灯台に飾られた金木犀はちょっとむくれているように見えました。

 

 金木犀の香りをかぐと、Tさんのにかっと笑ったお顔を思い出します。

金木犀

  

98 お迎え

 ホスピスにいて、科学では証明できないことを沢山経験しましたが、「お迎え」のこともそのひとつです。

 ゲストの方全てが会話できるわけではないのですが、それでも、多くの方から「お迎え」のお話しをお聞きできたことは大きな感動を覚えました。

 入院中、死を遠ざけておられる方もそうでない方も、先に身内を亡くされている方は、よく思い出話を聞かせてくださいます。日本人は、先祖を大切にする気持ちがとても強い民族ですが、先に逝かれた方の魂を敬い、そして、天国や極楽というこの世ではない世界から自分たちを見守っていると思っているようです。そして、次第に自分もそこに行くのだろうと、無意識に感じるようになるのではないでしょうか。

 さて「お迎え」の話ですが、単なる夢だと言ってしまえばそうなのかもしれません。それは、小さい頃から読み聞かされていたことを夢に見ているだけなのかもしれません。

 

 「不思議な夢を見たんです。綺麗な花が沢山咲いていて川が流れていました。その川もやはり綺麗でね。ふと川向こうを見たら、眩しいほどの光りの中にお袋が立っていたんですよ。そして、こっちへ来いと言うように手招きをする。私は、未だ行きたくないと言ったら夢から覚めました。行きたい気持ちもあったんですがね、未だ行きたくないなあと思ったんです。」

 これは、ゲストがまだ病状の落ち着いておられる時に見た夢の話です。人によっては、手招きではなく声を出して呼ばれることもあるようです。

 ゲストは次第に病状が悪化し、ご自分の身体をもてあますようにようになります。その頃にまた々夢を見ます。

不思議なのはこの頃になると、川向こうからの誘いを断らないということなのです。

 夢の話が出来なくなりますと、うわごとを言うようになります。さも、夢の相手が傍らにいるように手を掴む仕草が見られます。ただの、不随な動きとは思えません。

 やはり、ご先祖様がお迎えに来ているのではないかと、安心してこの世を去ることができるようにお迎えに来ているのではないかと思わずにはいられないのです。

 

 去年のこと。

 Iさんという高齢の女性が、意識も混沌として旅立ちが近いと思われた頃のことです。

 「リュウちゃん。リュウちゃん。」

 何度も呟きます。呟くと言うよりもっと明確なことばでした。

 それまで、リュウさんという方にお会いしたことが無かった私は、出来ればIさんに会わせてほしいとご家族に伝えました。

 私の話を聞いたご家族は、微笑みを浮かべておっしゃいました。

 「リュウはおばあさんが可愛がっていた犬なんです。小さいときから育てて、雨だろうが雪だろうが毎日一緒に散歩していたんですよ。もう、死にましたけどね。・・・おばあさんたら、息子よりリュウに会いたいんだ。」

 私はその時思いました。

 『そうか、Iさんにはリュウちゃんがお迎えに来ているのね。お迎えは人間って決まっている訳じゃないものね』と。

 

 私が逝くときは、ビリーちゃん(エピソード32)が来ればいいなと思っています。

蓮の花

  

97 憧れの人

  夏の日差しがじりじりと照りつけるようになりますと、戦争の話題がいつも以上に多くなります。戦後生まれの私ですが、まだまだ戦争の影は至る所に残っていて、その傷を感じながらの子供時代だったように覚えています。

 3年前の初夏のことです。ホスピスに入院されたKさんは、予科練入隊の体験を持っておられました。当時の少年が何も知らずに憧れたように、Kさんも胸を膨らませて予科練に入ったと言われました。

 私自身は戦争体験がないのですが、十分に理解を持って聞くことは出来るのでした。ホスピスにおられる方は、自分の将来の話ができない分、思い出話は尽きることがありません。特に青春時代のことは甘くても苦くても心の中に深く残っているのです。

 ある朝のこと、窓から差し込む光に眩しそうな瞬きをしたKさんは、照れ笑いをしておられました。

 「予科練時代の夢を見たんですよ。私たちの傍に従軍看護婦さん達がいましてね・・・。話をすることは無かったんだけど、真っ白いブラウスを着て肩から鞄を提げてね、てきぱきと働いておったんです。長い髪を三つ編みに結って、それをひっつめにしてね。化粧なんかしていないのに、綺麗だったんですよ。私らは、その姿にどれだけ力づけられたか・・・。その看護婦さんの夢を見たんですよ。赤井さんにそっくりでした。」

 言い終わったKさんは顔を真っ赤にして、「いやあ、夢って可笑しいですなあ。」と照れるのでした。

 「髪型が似ているだけで、そんなに素敵な夢を見ていただけて、嬉しいですねー。患者さんから見た看護師は、たとえブスでも、美女に見えるんですってね。」

 笑いながら答えた私は、Kさんの夢に登場した看護師さんの姿を想像し、そういう風に人の心を力づける存在でありたいと思いました。

 

 お盆になり、私は大工の棟梁みたいに髪の毛を切ってしまったのですが、その頭を見たKさんはポカンと口を開けたまま、一言も言葉を発しませんでした。そして、その後しばらくの間まともに口をきいてもらえなかったのです。

 「私、Kさんの夢を壊しちゃったんですね。」

 「うん、そうだね。憧れの人が消えちゃったよ。」

 しばらくしてから、私の声がけにぼそぼそと答えたKさんでした。

 「憧れの人は、胸の奥に大切にしまっていてくださいな。私はこんな頭になっても、ずっと同じ私ですよ。看護師と言うより、大工の棟梁ですが。」

 「ははは・・・。いい夢を見ただけ、もうけものってことですな。」

 2人でひとしきり笑い、私たちの関わりは以前のように戻ったのです。

 

 戦争という辛い青春時代の中で、Kさんの憧れはKさんのいのちを支えていたのでしょう。

 毎年、戦争の話が耳にはいると、Kさんが照れ笑いを浮かべた朝のことを思い出します。

テッポウユリ 

 

96 あなたのままで

 ホスピスで何度も話したことば。

 「あなたはあなたのままで良いのですよ。」

 

 自分自身の病気を悲しみ、家族を思って悲しみ、このようになってしまったこと運命(さだめ)なのかとまた悲しむ。来る日も来る日も、何もできないことへの悲しみに涙するゲスト。

 病状が進み身体の自由も思うようにならないと、嘆きは更に増すばかりなのです。

 何もできないのは、傍にいる看護師の私も同じこと。

 でも、私は傍にいることができるのです。そして、その方は私が其処にいることを許してくださる。私が傍にいる間だけでも、少しは悲しみが離れてくれると言ってくださる。

 「○○さんはとても優しくて、何にもあらがうことをなさらないから、悲しくなるのでしょう?憎んだり、恨んだりしないから・・・。悲しみはきっと癒える時が来ますよ。○○さんが○○さんのままでいてくださることが、すばらしいことなんですよ。誰もが自分を失ってしまいますのに。」

 慰めにはならないことば。でも、死を前にした人がどこかで自分を哀れんでいるとき、そして自分を(うと)んじているときには、このことばをかけてしまうのです。

 悲しみが少しは和らいで、ご家族に笑顔を見せてくださるときもありました。

 

 私も、どうしようもなく辛かったとき、同じ言葉に救われたことがありました。

 

 今日、友人に誘われて行った版画展。がんを患いながら作品を仕上げておらると・・・。

 同じことばをこの方は、自分で探し出されたようでした。

 

95 悲しいことば
 

 

ホスピスで、ゲストやご家族と交わしたことばは沢山ありますが、あまりにも悲しくてその方から目をそらし、窓の外の遠い景色をいつまでも眺めていたことがあります。

 Kさんは、職業婦人だったせいかしっかりと自律されており、明朗な方でした。そして、とても話し好きでもあり、訪室するとついつい話が弾むあまり、次の部屋へ行くことが遅くなってしまうほどでした。

 なんでもご自分で出来るのに、その一つひとつを私たちに確認するという心配性な一面もありました。それは、確認するという場面を借りての甘えではないかと、私は感じておりました。

 就寝前の訪室時には、決まっておっしゃるのです。

 「夜中も見に来てくれるでしょう?声はかけなくていいけど。」

 熟睡感の得られないKさんでしたが、「よく眠っておられましたよ」という朝の声がけに安心なさるのでした。

 

 時間の経過とともに病状も悪化し、様々な不安がKさんを襲うようになった頃のことです。

 笑顔が消えてしまったKさんは、この先のこと全てが恐ろしいとおっしゃるのです。

 「神様とか、仏様とか、ご先祖様とか・・・、Kさんが手を合わせる対象は何ですか?」

 私は、K さんの背をさすりながら伺いました。

 「そんなもの何も無いわよ。私は神も仏も何も信じていないの。信じられるのは自分だけ。頼れるのも自分だけ。」

 吐き捨てるように言い放ったそのことばがあまりにも悲しくて、私は遠くを見てしまったのでした。

 それまでの人生の中で、『神も仏もない』としか思えないほどの辛いことが、Kさんは体験しておられたのです。ご自分を見失うことなく生きてこられたことが、言わせたことばだったのでしょう。

 でも、もはや頼れる自分の存在が消えようとしているのです。

 人は、どんなに苦しいときでも自分以外の存在を信じ、愛されていると思えるから耐えられるのだと、私は思っていました。

 悲しくて、切なくて、Kさんがこのまま何も信じることなく逝ってほしくないと思いました。

 「私はいつもKさんのことを思っています。せめて、ここでは私たちを信じて下さいませんか?」

 私自身の救いを求めて、ことばをかけたのです。

 「あったりまえでしょ。あなた達を信頼しているから安心してここにいるのよ。」

 久しぶりに見るKさんの笑顔でした。

 それ以来、あまりことばを交わすことなく旅立たれたのですが、私はKさんの最後のことばに救われたと、いつも思うのです。そして、どのような時にでも信じる対象を持っていられる幸せが、とても大きなものであると感じるのです。

 祈り

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94花筏 (はないかだ)

家の近くを流れる梅田川の澱みに、花筏が見られました。夜来の雨が、満開の桜を散らせたのでしょう。

 

 「今年の桜は、見ることができないかもしれませんね。」

 3月初め、ホスピスに入院されているAさんを見舞った時、娘さんに話した言葉です。

 Aさんは高齢で、寝たきりの状態でしたが声がけには微笑みをかえして下さり、そのお部屋は私にとって癒しの空間でした。娘さんは毎日お見舞いに来て下さいましたし、他のスタッフにも愛されていました。しかし、今年に入ってからのAさんは、意識レベルも低下し、声がけに応えることもなくなりました。

 そして、3月のその日、私は娘さんに聞かれたのでした。

 「赤井さんだから聞くのよ。正直におっしゃってね。母のいのちはあとどのくらいだと思います?」

 静かな声でありながら、しっかりとした口調です。曖昧な答えはできないなと思いました。

 娘さんとは関わりも深く、お互いの性格も分かり合っておりましたの、辛いその質問を投げかけたお気持ちも察することができました。

 「Aさんは、今まで本当に一生懸命生きてこられましたね。ご家族の支えが大きかったのでしょうね。」

 何となく言葉を濁している私に、娘さんは又おっしゃるのでした。

 「赤井さんが感じた通りでいいの。私も、心を決めなければならないから。」

 「その時がずっと先であることを願っていますが・・・。もしかすると、今年の桜を見ることは・・・、難しいかと思います。」

 医師でもない私が、予後について言っていけない事だったのかもしれません。でも、もう医師の口からは告げられていたのだと思いました。娘さんは確認したかったのでしょう。

 「そうですか。やはり桜の花までは難しいのね。」

 寂しそうに呟く娘さんでした。

 三月の末、Aさんは静かに旅立たれました。

 初七日が過ぎた頃、私はご焼香に伺ったのですが、娘さんは、いつもの優しくて明るい笑顔で出迎えて下さいました。

 「やっぱり、桜の花は無理でしたねえ。でも、こんなに沢山のお花に囲まれて、母は幸せですよ。旅立った時の顔もね、とても綺麗だったの。死に顔がこんなに綺麗なものだとは思いませんでした。」

 娘さんは、Aさんの思い出話を微笑みながら話して下さいました。そして、お母様を看取ることが出来て幸せでしたとおっしゃるのでした。

 

 梅田川の花筏を眺めていると、Aさんがその筏で戯れているように思えました。 

花筏

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93  思い出語り

   

 昨日は首をすぼめて歩いていたのが嘘のように、長閑な昼下がりです。仕事から離れて鈍ってしまった身体にはうってつけの散歩日和。

 枯れ草の中にはオオイヌノフグリやぺんぺん草の愛らしい花が咲いています。毎年私は、初めてオオイヌノフグリの花を見つけたとき、小躍りしたくなるような幸せを感じるのです。そして、その日を「一年で一番幸せな日」と呼んでいます。

 

 数年も前のことです。

 受け持ちのさんのお顔から笑顔が消えました。全身倦怠感が強くなり、身をもてあましているのでした。それまでは、何時も輝くような微笑みを浮かべておられたのに。

 「もう、生きているのが辛いのよ。」

 ため息しかつくことのできなくなったさんでした。

 その頃のことです。青紫色の小さな花を見つけたのは。

 私はすぐに、その花をデミタスカップに入れてさんに届けたました。

 カップの中の、ひと株のオオイヌノフグリ。

 「ああ・・・。春なんだね。もう春なんだね。」

 血の気が失せた頬に、うす紅色の喜びを見せて下さったさんでした。

 

 やはり私にとって、「一年で一番幸せな日」を与えてくれる花なのです。

オオイヌフグリ

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92  優しくなれたね

  

 私は、9年近くをホスピス病棟の看護師として過ごして来ましたが、11月に腰を痛めてしまい、臨床から去ることに決めました。悩んで悩んで・・・の、結論です。

 何も分からないことからの出発で、最初の頃は無我夢中でした。

 いつもゲストやご家族のことを考えていました。

 ゲストやご家族との関わりの中で、私を変えたものがあります。それは優しくなれたことです。

 「死」を目の前にし、苦悩と絶望のどんぞこにおられるはずなのに、人としての温かさが満ちていました。

 人は皆、温かくて優しいのだといつも感動したものです。

 怒りの時も、拒絶の時も、どんな時もその人の優しさを見ることが出来ました。少し見方を変えるだけで。

 

 立春が過ぎても冬の寒さは続きます。

 でも、よく見ると新しい木の芽が芽吹いていることに気が付きます。

 時の流れや移り変わりにも 美しさを感じます。

 

 部屋の日向の中で、4匹のネコがまどろんでいます。

 私は眼を細めて眺めつつ、優しくなった自分がしっとりと自分の器の中に収まっていることに気が付きました。 ホスピスは私に優しさを与えて下さいました。

 心から感謝です。

 病院のマリア様   

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 91新しい朝

   

 前日の荒れ模様が嘘のように、新たな年は目映い輝きのなかで始まりました。

 時はいつもと同じように流れているはずなのに、数時間前とは違った空気を感じたのは気のせいでしょうか。

 ホスピスにおられる方々にとって、この夜明けがどんなに喜ばしい事か、昨日と今日の違いがどんなに大きなものであるか・・・、私たちは考えなければなりません。

 ところで、お正月と言えば年賀状です。

 友人や知人からばかりではありません。ご遺族の方からのはがきも多いのです。

 一緒に泣き、時には笑った方々です。たった一日、いえ、数時間で旅立たれた方もおられます。そして、ご家族とはその後お会いすることはほとんど無いのです。

 でも、こうして毎年送って下さるのです。この一枚一枚はとても重くて暖かいと、いつも思います。

  悲しみの中で出会った方々ですが、少しずつ癒されていることが分かります。

 「ホスピスで過ごすことができて幸せでした。」

 添え書きが微笑んでいます。

 悲しかった日々を、愛おしく懐かしんでおられるのです。

 旅立たれた方の「いのち」の分も生きて下さいねと、願わずにはいられません。

 

  そして私は、昨日までの衣を着替えてみようかと思う新しい朝でした。

寄り添って

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90  夫婦の別れ

  母は、11人の子供を産み、私は8女で末っ子。母が40歳の時の子供です。

 上から2番目の姉は、やっと言葉を話せるようになった頃に疫痢で亡くなっています。

 20歳になるかならずの若い母は、その悲しみをどのように表すことが出来たのか分かりません。

 「子供達の中で陽子が一番綺麗で聡明だった」と、亡くなった姉のことをいつも話していましたが、そう思うことが夭逝した我が子に対するせめてもの供養だったのでしょう。

 その後、子供達はみな元気に育ったのですが、長兄が45歳の時に肝臓を患い、妻子を遺して旅立ちました。

 老齢に入っていた両親にとっての逆さ別れが、どれほど辛かったことか・・・。母は、苦しみの表情が残っている息子の顔を撫で、声を殺して涙を流していました。父は座ったまま、犬の遠吠えのような声をあげ、涙をぬぐうこともできませんでした。

 両親の憔悴は大きく、私は一ヶ月間仕事を休み側についていたのです。

 それから3年後、私と母の側で父は眠るように逝ったのですが、母は自分の夫を胸に抱きしめると、その頬に顔を寄せて泣きじゃくりました。母の目から流れ落ちる涙は、あたかも父の涙でもあるように流れていくのでした。

 「こんな悲しいことがあるだろうか。連れ合いを亡くすことがこんなにも悲しいなんて・・・!」

 母はあらん限りの声を出して泣き続けるのでした。

 母のそのような姿を見たのは、その時が初めてでした。

 

 ホスピスでは、様々な別れがあります。そして、悲しみの表し方もまた様々です。

 涙を流す方。堪える方。または、涙も流せない方。

 どのような情景であれ、遺された方にとって別れは悲しくて苦しいものであることを、私たちは決して忘れてはなりません。

 そしていつも感じることなのですが、長年連れ添った夫婦の別れには、また特別な涙が流れているような気がするのです。

 Sさんというゲストの奥さまは、おおらかで笑顔を絶やさない方でした。

 そして、Sさんのお部屋には奥さまが画かれた花の絵が幾枚も飾られていました。その11枚には奥さまの深い愛が込められていました。

 短いメッセージが書かれた花の絵は、Sさんのお心を慰め、力づけておられました。

 Sさんが旅立たれたとき、奥さまは誰にも涙を見せず、「静かに神様の元へ逝ったのが救いです。」とおっしゃいましたが、Sさんの棺には、幾枚もの美しい花の絵が納められたそうです。

 その絵は、奥さまの深い愛と、ぬぐいきれないほどの涙で描かれたのであろうと思いました。

                                    在りし日

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