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         ◆◆◆訪問者からのお便り ◆◆◆

           

 

目 次

 

 連 載

「いのち」に寄り添って9 0〜79  
「いのち」に寄り添って8 60〜69

赤井聖子

「いのち」に寄り添って7 50〜59

「いのち」に寄り添って6 43〜49 

「いのち」に寄り添って5 39〜42    
 「いのち」に寄り添って4 35〜38
「いのち」に寄り添って3  33〜34      
「いのち」に寄り添って2  31〜32
 「いのち」に寄り添って1   1〜30 
一昔前の仙台              山田虎夫
戦後50年に当たって   千葉倫久
音訳者の独り言1〜5       佐藤百合子
 
  巨匠彫刻家 舟越保武氏の死を悼む 深沢守三

 

巨匠彫刻家 舟越保武氏の死を悼む         

深沢守三

 

 日本彫刻界の重鎮、アンジェリコ舟越保武氏の逝去は、日本にとっては勿論のこと、カトリック教会にとっても大きな悲しみであり、惜別の情切なるものがある。氏は旧制盛岡中学時代、小生より3年先輩であり、亡くなった兄神父とは同学年であっただけに、氏の死は堪らなく悔やまれてならない。

 氏の手になる作品は、改めて何もいう必要もない程著名であるが、かつて、30年程前のこと、塩釜教会で、当時石巻教会の主任司祭であった兄神父も交えて、3人で歓談した折、氏から聞いた話しを二、三紹介してみたいと思う。氏は中学生時代から、右足、左足いずれであったか定かではないが、カリエスのため膿の出る病気で、足首に常に包帯を巻き、不自由な歩き方をしておられた。ところが、来仙した氏を仙台ホテルに迎えに行った時、その歩行が全く正常であったので不審に思い、塩釜教会での会話の中で、失礼をかえりみずそのことについて尋ねてみた。氏は、「イヤー全くそうなんですよ。実は、長崎の26聖殉教者の像の制作中(1958−1962)に突然足が治ったんです。私も驚いて早速医者に診て貰ったんですが、医者は、『この病気は年をとると時として固まるということもあり得ますからネ。』と半信半疑で言うんです。しかし、その頃私はまだ50才ですからね。人は何と言おうと私は奇跡だと信じています。」と話してくれた。

 「原の城」(1971)については次のようなことを話していた。「あれを作っている時、芸大の学生たちから、先生、こんな亡霊みたいなものを作ってどうするんですか?といわれたんですが、私は彼らに言ってやりましたよ。君らこの像から何か聞こえて来ないかネ。島原の乱で信仰に殉じて命を落としたキリシタン武士の切ない祈りの声が、この半開きの口から聞こえて来ないかネ、と言ってやりました。あの作品を作る時、私は能を舞う人の姿をイメージしていました。」と。(この像はローマのヴァチカン美術館に寄贈)

 氏の最高に愛した作品「病醜のダミアン」についてはこんな思い出を話してくれた。「ダミアン神父の像製作中も、みんなから、こんな醜い人間を作っても、誰か買ってくれる人がいるんでしょうかネといわれたんですが、○○県美術館(多分兵庫県)で購入してくれたんですよ。私の心情を理解してくれる人もいたんですネ。」と。

 氏の作品には、何かしら高貴な気品を感じる。特に宗教的題材の作品は、彼の厚い信仰から溢れ出る格調の高さを感じさせられる。長崎の26聖人の像の作者である氏の死が、同聖人たちの祝日、2月5日であったということは単なる偶然だけですまされるものであろうか。氏は正に「文化功労者」、ローマ教皇からの「大聖グレゴリオ騎士団勲章」に値する巨匠彫刻家であった。氏の、死を心から悼む。

 

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