ホーム 司教区 司教館 教会住所録 教区情報  お知らせ リン ク集
カテドラル 溝部脩司教 司教公式文書 講話集   教会の歴史  

◆司教講話集6

〜2004年5月30日 聖霊降臨のミサ〜

1)「聖霊」についてのカテケージス

2)堅  信  式

3)派遣の祝福の前に話されたことば

「聖霊」についてのカテケージス  2004/5/30

今から、カテケージスを行います。教皇さまは、青年たちのミサの中で、キリスト教についての基本的な勉強として、教理、あるいは教義を青年たちに伝えるように、そして、司教がその役目を果たすようにと話しています。わたしは、青年たちのミサの中で、これまで何度もくり返し、その勉強をやってきていますが、きょう、中央地区の合同典礼となっていて、それを「青年のミサ」としていますので、青年三人と一緒に、「聖霊」についてどのように考えたらいいのかまとめていきたいと思います。あまり長い時間はとれませんし、この中ですぐにまとめることはできませんが、堅信式も含め、このミサの中で短く基本的な考えをまとめていきますので、このミサが終わった時点で、みなさんが、聖霊とは何かとの考えがまとまり、その上でこの聖堂から出ていけるよう希望いたします。

  

〜 ここで、カテケージスに参加した青年三人の自己紹介 〜

 

溝部司教さま基本的に、わたしたちが話し合うことは、日本司教団から出されている「カトリック教会の教え」の中にある、「聖霊」と「教会のはじまり」という項目にすべて書かれていることです。それをこの青年たちの表現で話し、考えていきます。20分という限られた短い時間の中で、どれほど理解を深めていけるのかわかりませんが、みなさんも聞きながら合わせて考えていっていただければいいと思います。

 

 まず、「聖霊」と聞いたときどのようなことを連想するか、それを話してみてください。

 

青年Y(大学生男子 幼児洗礼 昨年堅信を受ける)

 素直に連想するものというのは、「光」とか「あたたかい」ものとか、そういうイメージが連想されます。

 

青年N(社会人女性 幼児洗礼 堅信も受けている)

 わたしの所属する教会は、聖霊に捧げられた教会で、祭壇の上に鳩のステンドグラスがあるのですが、形としては鳩みたいな形なんですけど、そのステンドグラスを通して入る陽射しはキラキラしていて、きっと、聖霊ってこんなキラキラした「光」じゃないかなと思います。あとは、自分の中に入ってくると、あったかい気持ちになれるので、あたたかい光じゃないかなと思います。

青年M(社会人女性 幼児洗礼 堅信も受けている)

 自分のことばでは、表現するのが難しかったので、わたしが行っている教会の神父さまのことばをちょっとお借りしてみると、「眼鏡」みたいなものかなと思いました。それは、わたしの目から見るととても嫌な感じだったり、あの人、意地悪そうと見えたりして、要は、色眼鏡で人を見ているに過ぎません。信仰の眼鏡を神さまからいただくと、見るべきものが見えたり、やらなくちゃいけないことがわかるのです。それを手に入れて、しっかり眼鏡をかけるのはなかなか難しいです。

 

溝部司教さま:「光」という連想があるようですが、聖霊というと、人の中に入っていって人の知恵を正し、人をなぐさめ励まして、助けてくれる内的な力ということを連想します。聖霊だけを考えようとするとわかりにくいかもしれませんが、聖霊はそのようなはたらきをするために遣わされていると考えてみてください。復活祭のあと、教会は典礼の中で、教会は聖霊とともにはじまった、聖霊降臨の日が教会のはじまりであると言い続けています。朗読の箇所にヨハネによる福音書をおき、問題を提起しているのです。

 「教会と聖霊」の関わりやはたらきについてはどのように捉えられそうですか?

 

青年M:わたしは、今まで「教会」というと建物というイメージがあって、ちょっと自分が巻き込まれそうなので関わりたくないと正直思っていました。ただ、司教さまとの黙想会をとおして、教会というのは建物だけではなく、わたしたちの心の中に神さまからの聖霊をいただいて、わたしたち一人ひとりがそのいただいた聖霊によってつくり変えられていくのが教会だというのを教えていただきました。これはどういうことなのかと今でも答えが出ていないのですが、これからじっくり考えていきたいと思います。

 

青年N:「聖霊が降って、弟子たちは復活したイエスさまがわかった」。弟子たちは復活したイエスさまと何度か会っているんですけど、聖霊が降らないと見えなかったということを、黙想会で司教さまに教わって、聖霊のはたらきがないと神さまのことはちゃんと理解できないんだなあといういうのはすごくよくわかりました。洗礼を受け、堅信を受けたあと、自分の力じゃない力がはたらいて、人のために働いたり、自分だけじゃなくて人に愛をもって接することができたりとか、イエスさまの生き方をならって生きることができるのかなと。教会というのは、イエスさまの教えを広めるところなので、聖霊が降って教会ができたということは、自分でも今、納得することができました。

 

青年Y:ぼくも昔は、教会と言えば、日曜日に侍者をやらされるというイメージが強かったのです。幼児洗礼だったもので、深く意味を考えずに教会に行くということが続いていたんですね。でも、初聖体をとおして、堅信をとおして、イエスさまとの交流みたいなものがあって教会に行くことができていました。それは、きっと自分の中に聖霊が降りてきて、自分の中に留まって、それで自分なりに消化できるようになってきたというか、わかってきたという感じだと思うんですね。昔、復活したイエスさまを弟子たちが見ても、聖霊が降ってこないとその復活というものがわからなかったというのですよね。昔の自分がまさに聖霊が降ってきてないときの使徒たちと同じだったと感じます。でも、今自分はそんなに変わったと断言できないけど、そこに聖霊が降りてきて、ほんとうの信仰が生まれるということは、なんとなく、理解できる今になっています。

 

溝部司教さま:「教会の魂が聖霊」です。聖霊をとおしてはじめてキリストが見えます。弟子たちは復活したキリストに出会っているのですが見えませんでした。聖霊をとおしてはじめて、信仰のある生き方が見えてきます。聖霊を受けなければ見えないということです。堅信の式を授けられるというのは、聖霊をとおして見えてくるようになる引き金になるということで、聖霊は中から人を揺さぶっていく力だと考えたらいいと思います。

 ところが、聖霊はイエス・キリストから遣わされると言われます。イエスさまは、「わたしは聖霊を遣わす」と言っています。「遣わす」とはどのようなことを言っているのでしょう?イエスさまがわたしたちそれぞれに、一つの使命を与えるということです。あなたはこのような使命をもって生きなさいと。それでは、その使命とはどんなことでしょう?「世界中のそこに生きるすべての人々にキリストの福音を宣べ伝えなさい」ということです。では、「キリストの福音」とはなんでしょうか?イエスさまはご自身のことを、「わたしは父から遣わされた者」と言っています。それはなんのために? 自分のすべてを捧げて人々を救うためです。「友のために命を捨てるほどの大きな愛」を実践するためです。イエス・キリストによって遣わされた聖霊は、降された人の中に入ってその人を変えていきます。人を愛して生きていくようにしてくれます。自分の命を人のために捧げることができる生き方に変えてくれるのです。

 それでは、わたしたちの仙台教区の教会にとって、今何が一番大事だと思いますか?

 

青年N:やはり、聖霊が一人ひとりの中にあるということを自覚して、それぞれの場で、キリスト信者として働かないといけないかなと思います。そして何よりも大切なのは「祈り」だと思います。自分のために祈るというのは誰でもすると思うんですけれども、お互いに、ほんとうの気持ちを話し合って、自分の問題点はなんなのか、ちゃんとそういうのを話すことができて、それでお互いに祈るということはわたしたち教会の中で、最も大切なんじゃないかなと思います。

 

青年Y:聖霊というのは一人ひとりに降りてくると思うのですが、その聖霊を自分の中にだけ閉じこめてしまって、周りの人に分け与えるというか、発するということをあまりしていません。まだ聖霊と出会っていない人、イエスさまと出会っていない人に、押しつけでなく、ちょっとだけでもそれを見せてあげることができる人になれればいいと思います。「受け入れて、温かく迎え入れる」ことが、教会で一番大切なことの一つじゃないでしょうか。

 

青年M:わたしたちが求められているのは、わたしたちがいただいた新しい命を最大限に生かすこと。今までは自分では見えなかったものを信仰のお恵みをいただくことで、どんなことに使っていただけるのか考えることです。自分は弱虫だし、勇気もないし、なんにもできないけれども、わたしを道具として使ってくださる神さまはなんでもできるはずです。わたしを道具として使ってくださる神さまに、わたしを使ってくださいと願うことです。だから、ほんとうに困ったときは「神さまを一番信頼して委ねる、道具として使っていただく」ということが大切かなと思いました。

 

溝部司教さま:これで終わりますが、「聖霊は、中から溢れる力」である。溢れ出る力は何かに向かう。それは人に向かう。人に向かうものは何か。それは「愛」。愛なのです。キリシタン時代でしたら、ご大切ということです。人に向かって、人への尊敬に生きる、このような生き方を誓った人の集団、これが教会です。わたしたちは、「人への尊敬と、人への深い愛をもつこと」を生涯の課題として受けとめるということを誓った集団です。

 今から堅信式が行われますので、聖霊が降るように一人ひとり心から祈るようにしましょう。

 最後に、ここに集まっている人たちに、あなたからのメッセージとなるほんとうの気持ちをひと言ずつ言って終わりにしましょう。これは予定外の質問です。

 

青年M:まずは、堅信を受けられたみなさま、ほんとうにおめでとうございます。これからは、わたしたちは一人じゃなくて神さまと一緒です。一人では解決できないこともたくさんあると思いますけれども、これからは神さまの道具となって歩んでください。

 

青年N:今、自分の置かれた環境ですごく悩んだり、苦しんだりしている人もたくさんいると思うんですが、必ず、神さまは道を開いてくださるので、聖霊にお願いをして、信頼して、自分の場所でがんばっていきましょう。

 

青年Y:今回、こういう場に出させていただいて、教会と聖霊について勉強できました。こういう機会がなければこんなに真剣に考えることもなかったでしょう。ぼくたちの話はつたないものでしたが、これを機会に、みなさんも聖霊や教会について考えていただければと願っています。決して、すぐに答えの出るものじゃないかもしれないけれども、自分が見つけた答えに素直に生きていける信仰にしたいと思います。きょうは、どうもありがとうございました。

 ページ先頭に戻る

堅  信  式

みなさん、これから「堅信の秘跡」を受けられる方々とともに、信仰を証しする決意を新たに致しましょう。列席のみなさん、みなさんに問いかけることがあります。あなたがたは教会の信仰をかたく守り、力強く証しすることを約束しますか。(はい、約束します)それでは今から、「按手の儀」に入ります。この按手をとおして聖霊が降ります。この聖霊は、堅信を受けられる方々の中に入って、その人を中から変えていく、中から変えていく聖霊の力をとおして教会が生まれ、教会がはじまります。教会は建物ではありません。組織でもありません。一人ひとりの心を変える聖霊の力が、今、この瞬間おとずれます。今、聖霊が降ります――― みなさん、洗礼を受けて神の子どもとなったこの人々の上に全能の神である父が聖霊を送って、その信仰を強め、御子キリストの姿にあやかる者としてくださるように祈りましょう。

 「全能の神、主イエス・キリストの父よ、あなたは水と聖霊によって、この人々に新しい命を与え、罪から解放してくださいました。今、この人々の上に助け主である聖霊を送り、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心をお与えください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

 聖霊は信仰によるものの見方を教えてくれます。聖霊は一致をつくり出します。わたしたちは、人間の頭だけで、自分の考えだけで、教会に一致をと考えます。そうではありません。組織をつくっているその人の心を変えるのも聖霊ですし、憎しみをもつ人の心を変えるのも聖霊です。聖霊がすべてと考えてもいいでしょう。わたしたちは、一致と平和、ゆるしと和解、これを求めて教会をつくっています。わたしたちは、ゆるしと平和、和解と愛、これらのことを求めて教会に来ています。そして、そこに聖霊のはたらきがあります。ミサの中で、聖霊の力を願い求めましょう。

ページ先頭に戻る

派遣の祝福の前に話されたことば

これで、堅信の式とミサを終わります。聖霊は一人ひとりの信者の心を変えて、一人ひとりが自分を、愛する教会のために捧げていくことでほんとうに教会になると言われます。組織を考えて教会があるわけではありません。一人ひとりが生き返ることをとおして教会が生まれるのです。このようなことをよく考えるようにしましょう。ほんとうに聖霊に満たされ、信仰に生きる人がいるところ、そこには新しい組織が生まれます。その反対、つまり、組織が人を新しくしていくのではありません。このように考える必要があります。

 みなさんお気づきになったかと思いますが、ご覧のように、わたしはいつもかぶっていた冠ではなく、白い冠をかぶっていて、杖も持っておりません。それは、もう仙台教区の司教としての権限を失ったということがあるからです。先週の日曜日(5月16日)から高松教区では、ミサの中で、“わたしたちの司教、溝部脩”で祈りが行われているはずです。聖霊は思うとおりに、自分の思うとおりに吹いている風です。それをわたしたちは受け入れなければいけないということです。きょうからみなさんは、“仙台教区に新しい司教さまが派遣されますように”と心から祈ってください。

ページ先頭に戻る

◆ホームに戻る