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◇◇ 主日の説教 ◇ B年 ◇   担当 佐々木 博 神父

主の昇天・B年(12.5.20

「全世界に行って、福音を()べ伝えなさい」

宣教の歴史に感謝! 

  主の昇天を祝うことは、教会の本来的使命が、すべての造られたものに福音を()べ伝えることにあることを改めて確認することにほかなりません。

  では、まず手始めにこのわたしたちの教会の宣教の歴史を振り返って見ましょう。手元にある『三本木文化史夜話』という三本木郷土研究グループが、昭和3354日に発行した小冊子を手掛にして調べてみました。少し長くなりますが、本文を引用してみます。

  「三本木にキリスト教(かトリック)がはじめて入ったのは明治30年(1897年)の頃で、当時酒造業を営んでいた三浦万之助氏(三浦常雄氏の祖父)の二階を集会場として青森から神父を迎え、ささやかながらも心に光を求める生活をはじめた。最初の神父はフランス人のフォーリ師であるが、この人は有名な植物学者で、自分が受け持つ青森浜町の教会の教会堂わきに、赤い屋根の植物採集の小屋をたてていたほどである。三本木へ来ることになったのも、八甲田の植物採集のために立ち寄ったのがきっかけになったといわれるが、この時彼の熱心さをあらわす次のような話が残っている。

  古間木駅に下車して馬車に乗りかえ、三本木に来る途中のことである。馬車の中から或る植物をみつけた師は、早速馬車を止め、その植物を調べていたが、あまりにも観察が長いので馬車は師を待ちきれずに出発してしまった。そこで仕方なく歩いて当時の三本木村までたどりついたという。・・・

  フオーレ師によって布教がはじめられた三本木も、その後信者がふえたので二代目三浦万之助氏から敷地の寄付をうけ、明治40年(1906年)には小さいながらも独立した教会堂が建てられ、昭和6年(1931年)同じ場所に現在の教会堂が建つまでの25年間、信者の生活の中心としての役割を果たしてきた。」(143-144頁)。ところが、『十和田カトリック教会100周年記念誌』には、すでに明治16 年(1883年)に盛岡の信徒万木豊冶が、三浦万之助と親交を結び教理を教えると書かれています。そして明治17 (1884)植物学者フォーリ神父、函館から伝道師伊藤文助を採用、三浦万之助、タキ夫妻、フォーリ神父より洗礼をうけると、記載されています。ですから、外国の宣教師が単独ではなく、最初から日本人信徒も奉仕していたことが分かります。

  とにかく、この教会は、1884(明治17)年から1930(昭和5)年までが「パリ外国宣教会時代」であり、次に1930(昭和5)年から1950(昭和25)年までが、「カナダのドミニコ会時代」であり、その後、つまり1950(昭和25)年から20093月までが「ケベック外国宣教会時代」であり、三年前に初めて邦人の教区司祭が主任司祭として着任したのであります。  

全世界に行って、福音を()べ伝えなさい

このように当教会は、100年以上にわたってすべて外国の宣教師の方々の献身的な働きによって育てられたまさに宣教された共同体であります。

  けれども教会が共同体として自立するためには、遅かれ早かれ宣教活動を始めなければなりません。なぜなら、復活のキリストが天に昇られる(のぼ)前に、弟子たちを福音宣教のために全世界に派遣されたことが、まさに教会の本来的使命だからです。したがって、それぞれの教会共同体が一人前に成れるのは、自分たちも福音を宣べ伝えることを実践したときです。

  とにかく、日本の教会は、外国から来てくださった大勢の宣教師や修道者によって育てられ今日に至っているのですが、日本の教会全体が自立して行くためには、今度は自分たちも海外に出かけていって福音を()べ伝えて行かねばなりません。幸いに、ようやく今年になって、日本の教会からも特に男女の修道者の方々が、海外の教会へ派遣されるようになりました。皆さんもご存じのフランシスコ会の佐藤宝倉神父様もフィリピンで(おも)に障害者の方々のために働いておられます。

  そして、信徒の方々も、宣教者として特に貧しい国々に派遣されるようになりました。1978 年に「日本カトリック信徒宣教者会」が発足(ほっそく)しました。この会の目的は、「神の温かい心をより多くの人々と分かち合っていくために、自ら人々の中に入って行かれたイエス・キリストに倣い、信徒として派遣され、人々とともに生きること」です。現在は、アジア、太平洋を中心とした地域に派遣され、現地の言葉を学び、文化、歴史、宗教を尊重し、それぞれの地で自らの技術、信仰、タレントを生かし、女性自立支援や衛生教育などのプログラムを実施しています。また、派遣者は、派遣中や派遣後も活動を通して得た体験、恵みを多くの人と分かち合い、派遣の実りを自らの活動だけにとどめず、より豊かなものにしています(『カトベディア 2004』カトリック中央協議会、473頁)。確かに、イエスは、最後の晩餐の席上、弟子たちに向って告別説教を次のように語りました。

  「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」(ヨハネ15.16-17)。このおことばを地で行くのが、この信徒の会の目的と言えましょう。この会員で現在派遣先のから一時帰国している渡辺怜子さんのお便りを、紹介したいと思います。

  「こちらでの生活は、最近、そんな地元住民との関わりとNGOの仕事の両方が、わたしの毎日を張り裂けんばかりに占めていると感じています。もし、私にメッセージをくれる神様がいなかったら、今の活動を続けていられたのでしょうか? 1023日は「世界宣教の日」。所属の横浜教区大和(やまと)教会でミサにあずかっていたら、神父様がわたしを「信徒宣教者」として紹介してくださいました。そこで、私は「宣教者」であるということをあらためて考えてみました。私の宣教者としての使命、それは、ティモールではなく、日本にあると思っています。3年で3回日本に帰ってきましたが、毎回、報告会をしたり友人に会ったりすると。ティモールでどんなことをしているのか? どんな場所なのか?どんな人たち? 何を食べているの?小さなニュースでも、ティモールと聞けば耳に入ってくるようになった、世界のことに関して、もっと知らなきゃ、と。皆がティモールに興味をもち、話を聞き、ティモールで働いている私を見て、話を聞いて元気を出してくれていると感じます。人を元気づける力を、私は持っているんだな、と感じ、それは神様が私に与えてくださったもの、神様は私に「この力を使って働きなさい」と言っているのだろう。それは、私なりの宣教になるのだと思っています。」(「きずなNo.117,2011.12.1日本カトリック海外宣教者を支援する会」8頁)。

  イエスは、今日も、また改めてわたしたちを派遣なさいます。

  「全世界に行って、すべての造られたものに福音を()べ伝えなさい。・・・一方(いっぽう)、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16.15,20)。

東ティモールの子どもたち

復活節第6主日・B年(12.5.13

「わたしがあなたがたを愛したように、

互いに愛し合いなさい」 

聖書が語る「愛」は、どこまで定着したか

ある作家によれば、「愛」という言葉は、明治時代に外国の文学作品が日本語に翻訳され始めたときに、使われるようになったと説明しています。同時にこの言葉のもともとに意味が正しく理解されたかどうかについては、問題が残されていると指摘しています。つまり、横文字のlove とういう言葉は、あくまでもキリスト教の文化のなかで使われるようになったという背景があるというのです。ですから、キリスト教の伝統がない日本においては、love という言葉の本来の意味を正しく理解するのは難しく、もしかすると誤解を招くかもしれないというのです。たとえば、仏教において愛という言葉が使われるのは、愛欲、愛着、渇愛、強い欲望を表すむしろ否定的な意味で使われるのです。

  ちなみに、キリシタン時代には、聖書が語るラテン語で愛を意味するcaritasを「愛」と翻訳することを避けて、「お大切」と言い換えていました。

  ところが、先日買い求めた英和辞典(The Super Anchor English-Japanese Dictionary, Gakken)のlove という単語に特別なコラムがあり、次のように詳しく説明しています。「(1)キリスト教でいう愛は『神の人間に対する愛』『人間の神に対する愛』『人間の人間に対する愛』と三大(さんたい)別される(べつ)。第一は、キリストが人間に代わって十字架上で贖罪(しょくざい)の業を成し遂げて示された神の恵みのことであり、第二は、そのキリストが示された赦免(しゃめん)の恵みに信仰を持ってこたえることである。第三は、第二の愛の日常的具体化であり、隣人愛に代表される(教会は隣人愛の実現の場とされる)。」これほどまでの丁寧な聖書的説明が、辞書の中にあることは驚きであります。ところで、たとえば英々辞典として定評のあるThe Concise Oxford Dictionary of Current English(1990英国で出版)love という単語を調べてみると、これまた驚きですが、聖書的あるいはキリスト教的な説明が全くありせん。また、米国で最近出版されたOxford Advanced Learner’s Dictionaryにも、聖書的な説明は記載されていません。

  では、前置きはこのくらいにして今日の朗読聖書のテーマである「神の愛と人間の愛」がキリストによって見事に実現したことを、少し詳しく説明したいと思います。

神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる

早速、今日の第一朗読ですが、異邦人であるコルネリウスが洗礼を受けたことを伝えています。彼は、イタリア出身のローマ市民によって編成されていたイタリア隊の百人隊長でした。彼は、カイサリアで不思議な(まぼろし)を見ます。つまり、天使が現れて神からのお告げを伝えます。「さあ、今、ヤッファに人を遣わして、ペトロと呼ばれているシモンという人を招きなさい」(使徒言行録10.5)と。一方、ヤッファに滞在していたパウロも、(まぼろし)を見ます。「天が開け、四隅を吊るされた大きな敷布のような容れ物が地上に降りてくるのを見た。その中には、地上のあらゆる獣や、地を這うもの、および空の鳥などがいた。その時、『さあ、ペトロ、屠って食べよ』という声がした。しかし、ペトロは言った、『主よ、そんなことはできません。わたしは、今まで一度も清くないものや、汚れたものを食べたことはありません』。すると、再び声がして、『神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない』と言った。このようなことが三回あって、その容れ物は、たちまち天に引き上げられた」(同上1011-16)。そこへ、コルネリウスからの使いが到着し、コルネリウスが見た幻について知らされます。そこで、ペトロも、自分に示された(まぼろし)の意味を悟ることができ、翌日、早速、使いの者たちと一緒にカイサリアに向かって出発しました。それから、ペトロが、コルネリウスに迎えられるところから、今日の朗読箇所が続いているのです。ただし、27節から33節が省かれています。さらに36節から43節も省かれていますが、そこに集まっていた人たちにペトロは、説教したのです。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」と。ペトロも、自分が見た幻によってようやくこの神の御心を悟ることができたのです。つまり、異邦人も神の愛の対象であることの理解であります。

  しかも、その場で、ペトロの説教を聞いていた人たちの上になんと聖霊が降ったのです。そこで、ペトロは、宣言します。「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と。実は、すでに旧約時代に、メシアの時代が到来するときには、すべての人々に神の霊が降る(くだ)ことは、次のように預言されていました。

  「その後、わたしは、わたしの霊を すべての人の上に注ごう。お前たちの息子や娘は預言し、老人たちは夢を見、若者は(まぼろし)を見るだろう。その日、わたしは、僕やはしための上にも、わたしの霊を注ごう」(ヨエル3.1-2)。

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい

ところで、今日の福音は、聖書が教える愛についてのまさに核心に触れるイエスのおことばを伝えています。まず、そのおことばが語られた文脈を福音記者ヨハネは、次のように説明しています。「イエスはこの世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と(ヨハネ13.1)。そこで、イエスは、弟子たちに対してお別れの説教で愛をこめて切々と語られたのです。

  「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。・・・わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と。また、同じヨハネは、今日の第二朗読で、神に対する愛と兄弟愛とのつながりを、さらに詳しく説明しています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです」と。さらに、ヨハネは教えてくれます。「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛したのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」と(ヨハネ一、4.11-12)。

  最後に、ある精神科医が書いた本のさわりの箇所を、参考のために引用したいと思います。「衝動的で気分が変わりやすく、虚無感が強い。ふいにカットとなって怒りをコントロールできなくなり、攻撃的になる面と、ひどく落ち込んですぐに死を考えたりする面が共存しているー。今の青少年の間で激増している、こうした人格傾向を『境界性人格障害』(ボーダーライン)と言います。・・・また、とても重要なこととして、幼児のようなきわめて強い愛情欲求を持っているということもとても大きな特徴です。強い愛情欲求を持つようになる原因には、幼児期に親の過度の愛情を受けた『過保護型』と、幼児期に親に虐待された『愛情飢餓型』があります。アメリカは後者が圧倒的に多く、日本では逆にほとんどが『過保護型』です」(『心の壊れた子どもたち』町沢静夫、朝日出版社)。より多くの人たちに、神の愛と隣人愛をあかしする使命があります。

復活節第5主日・B年(12.5.6

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」

復活のイエスに出会ったパウロ

  今日の第一朗読は、最初期の教会において特にユダヤ人以外の異邦人のために中心的な活躍をした使徒パウロの活動の一コマを報告しています。ここでは、パウロのヘブライ名サウロとなっています。また、「サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ」と、彼の決定的な体験が要約されていますが、この出来事こそ、異邦人の使徒として目覚ましい宣教活動に専念するように、彼を根本的に変えたてしまったのです。この使徒言行録とパウロ自身の手紙をも手掛かりに彼の実像に迫って見たいと思います。まず、彼の最初の重大な出来事が、同じ使徒言行録で次のように、極めて劇的に語られています。

  「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かし(おびや)、殺そうと意気込んで、大祭司の所に行き、ダマスコの諸教会宛ての手紙を求めた。それは主の道に従う者は、男も女も見つけしだい縛りあげ、エルサレムへ引いてくるためであった。ところが、旅を続けてダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。彼は地に倒れ、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。そこで彼が、『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、その声は仰せになった。『わたしはお前が迫害しているイエスである。さあ、起きて町に入れ。そうすれば、お前のなすべきことが告げられる』。彼に同行していた者たちには、声は聞こえたが、(だれ)も見えないので、物も言えずに立ち尽くしていた。サウロは地面から起き上がって、目は開いたが、何も見えなかった。そこで、人々は、彼の手を引いてダマスコに連れていった。・・・しかし、主は仰せになった、『さあ、行きなさい。彼は異邦人や王たち、また、イスラエルの子らの前にわたしの名をもたらすために、わたしが選んだ器である。わたしの名のために、どれほど苦しまねばならないかを、わたしは彼に示そう』」と(使徒言行録9.1-16)。

  このように、彼は、それまでは熱心なユダヤ教徒としてキリスト者つまり神の教会を徹底的に迫害し、滅ぼそうとしたのです(ガラテヤ1.13,フィリピ3.6参照)。このダマスコ途上の出来事は、パウロの「回心」と説明されていますが、その後の彼の人生を根本的に大転換させてしまったまさに広がりと深さがある変え替えのない体験だったのです。それは、復活のイエスが、パウロによって迫害されていることに気づかされただけでなく、すでに彼が母親の胎内にいる時に神によって選ばれていたことをも明らかにする出来事になったのです(ガラテヤ1.12-17参照)。

  さらに、復活のイエスとの出会いが、パウロの生き方を根底から変えてしまったこと、彼自身が雄弁に語っています。

  「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の儀については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらのことなどは、(くず)にすぎなかったと思っています。・・・わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」と(フィリピ3.5-11)。

豊かな実を結ぶ人生とは 

  次に、今日の福音ですが、ヨハネ福音だけが伝えているイエスの告別説教であります。つまり、最後の晩餐の席上で、イエスが弟子たちに向かって愛を込めて切々と語られた内容です。実は、すでに旧約聖書においてイスラエルが、神の選んだぶどうの木あるいはぶどう畑のイメージで語られています。そこで、イエスは、十字架に架けられる日の前の晩、新しいイスラエルのぶどうの木であるご自分に、弟子たちが枝としてしっかりつながっているようにと訴えたのです。

  「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたはすでに清くなっている」と(ヨハネ15.1-3)。

  豊かに実を結ぶために、なんと父である神ご自身が、枝であるわたしたちの手入れをなさると言うのです。しかも、それは、具体的にはイエスの語られたおことば一つひとつによって清めてくださることにほかなりません。実は、イエスが、福音書において種まきのたとえを用いてわたしたちが実り豊かな人生を生きることができることを強調なさいました。

  「石地のものとは、みことばを聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じでも、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、みことばを聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実を熟する(じゅく)までに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心でみことばを聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と(ルカ8.13-15)。

  ですから、豊かな実を結ぶ人生とは、この世の富を蓄えるなど、世間的に成功することではありません。それは、まさに天に宝を蓄える人生なのです。イエスは、愚かな金持ちのたとえを用いてこのことを、教えておられます。

  「ある金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。[さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ]と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』といわれた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12.16-21

  また、イエスは、次のような具体的な勧めをなさいます。

  「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」と(同上12.33-34)。

  ところで、イエスは、この告別説教の最後に、極めて大切なことを、次のように強調なさいました。

  「あなたがたがわたしにつながっており、わたしのことばがあなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる」と。

復活節第4主日・B年(12.4.29

 「イエスの名によって救われる」

イエスの名によって救われる 

  復活節の典礼によって、その恵みにより豊かにあずかることができるように、

今日もまた朗読された聖書の箇所をご一緒に味わって見たいと思います。

早速今日の第一朗読ですが、エルサレムで聖霊によって誕生した最初期の教会が、使徒たちを中心に人々の救いのために華々しい使徒的活動を推し進めている様子を報告しています。実は、すでに3章で、ペトロが、生まれながら足の不自由な人を癒した奇跡が、次のように感動的に語られています。

  「すると、生まれつき足の不自由な男が運ばれて来た。この男は、神殿の境内に入る人々に施しを乞うために、毎日、『美しい門』と呼ばれる神殿の門の所に置いてもらっていた。・・・その男は、ペトロとヨハネとが神殿に入ろうとするのを見て、彼らに施しを求めた。そこで、ペトロは、言った、『わたしたちには銀も(きん)もない。しかし、わたしたちの持っているものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』。そして、彼の右手を取って立ち上がらせた。すると、立ちどころに彼の足とくるぶしが強くなり、躍り上がって自分で立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、弟子の二人と一緒に境内に入って行った」(使徒言行録3.2-8)。

  ところが、ペトロとヨハネは、祭司たちによって捕えられ、議会で取り調べを受けることになったのです。そこで、ペトロが聖霊に満たされて自分たちの行った救いの業について勇敢に証言し始めました。

  「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの(ひと)イエス・キリストの名によるものです。・・・ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と。

  ですから、すべての救いに御業(みわざ)は、すべてイエス・キリストの働きにほかなりません。したがって洗礼を受けていない人が救われるのも、そこにイエスがおられるからです。

  たとえば、昨年のあの大津波に流されながらもまさに九死に一生を得て、現在は、掛け替えのない日々を生きておられる新山(にいやま)多恵子さんが救われたのは、イエスが助けてくださったのではないでしょうか。実は、「広報、とわだC」の最後の頁にその方のインタビュー載っています。「あれから一年、生活は一変した でも“今”を生きる命がある」というタイトルです。昨年の311日、新沼多恵子さんは、岩手県九戸郡(くのへぐん)野田村で大震災と大津波に襲われたのです。大きな揺れのあと、義理の父親と近所の住民はすぐに高台に避難したのですが、多恵子さんは、中学生の娘さんの帰りを待って、すぐには避難しませんでした。突然、目の前に、防潮堤(ぼうちょうてい)の高さをはるかに超えた津波が迫っていました。防潮(ぼうちょう)(りん)が、一本ずつ次から次へと、なぎ倒されました。少しでも高いところへと夫と共に二階に駆け上がって窓越しに見たのは、蛇が鎌首をもたげたような茶色く淀んだ壁―津波でした。・・・瞬間、背後から勢いよく濁流にのまれてしまい、夫とつないでいた手か離れてしまいました。どれくらい流されたのでしょうか。体が浮いて、水面から顔を出し、近くに浮いていた大型車のタイヤにやっとつかまることができました。・・・静寂(せいじゃく)―これは、夢? 水の冷たさ、鼻につく油の臭い。死への恐怖が押し寄せてきました。「子どもを残してここで死ねない。」・・・「誰が助けて!」と力を振り絞って叫びました。その叫び声が届いたのでしょうか。近くの屋根から現れたのは、なんと夫だったのです。その夫に引き寄せられ「助かったよ」と、抱え込まれたとき、意識を失ったのです。その晩は、空き家の二階で過ごしました。生まれて初めての長い夜でした。その後、新山さんは肺炎で八日間入院しましたが、まさに奇跡的に家族全員が無事だったのです。・・・あれから、一年。生活は一変しました。家族と離れて暮らす日々。将来への不安。「これからのことはわからない。けれども、家族みんなが生きていることが支えです」と。昨日があって、今日が来てー“今”を生きていることを実感しているのです。

  ペトロによれば、わたしたちを救ってくださるのは、イエス・キリストしかいません。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 

主は羊飼い 

  ちなみに、今日の福音は、羊飼いのイメージでイエスが、わたしたちの救いのためにご自分の命を捨ててくださることを宣言しています。

  この羊飼いのイメージですが、すでに旧約聖書において神が羊飼として登場しています。たとえば、預言者エゼキエルは、神自らが、羊飼いとしてわたしたちを守り、養い育ててくださることを強調しています。

  「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。・・・わたしは良い牧草地で彼らを養う。・・・わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」と(エゼキエル34.11-16)。

  また、詩編においても羊飼いである神への揺るぎない信頼が、美しく謳われてれて(うた)います。

  「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

  主はわたしを青草の原に休ませ 憩の水のほとりに伴い

  魂を生き返らせてくださる。

  主の御名にふさわしく

    わたしを正しい道に導かれる。

  死の陰の谷を行くときも

    わたしは災いを恐れない。

  あなたがわたしと共にいてくださるから。

  あなたの鞭、あなたの杖 

  それが私を力づける。

・・・・

  命のある限り

  恵みと慈しみはいつもわたしに伴う。

  主の家にわたしは帰り 

  生涯、そこにとどまるであろう」(詩編23.1-6)。

  不安と恐れが湧き上がってくるとき、この詩編によって祈るなら、必ず、試練を乗り越えることができるのではないでしょうか。

  なぜなら、イエスはわたしたち一人ひとりのためにご自分の尊い命を、天の御父にささげられたからです。それはまた、復活のイエスが、日々わたしたちと共に歩んでくださるからです。

羊飼いである主キリスト

復活節第3主日・B年(12.4.22

 「心の目を開いてください」

神の思いに対する人間の無知 

  復活の主日を祝ってから早くも二週間が過ぎましたが、復活節の前半に入った今日の典礼のテーマは、「心の目が開かれ、復活の証人として、まず、神の掟を忠実に守る」に設定できると思います。

  まず、今日の第二朗読において、使徒ヨハネは、「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありませんと、極めて厳しい口調で断言しています。ここで、言われている「掟」という言葉は、「命令・戒め・委託」を現しています。つまり、天の御父である神とキリストによって示される行動指針に使われる言葉です。ですから、普通使われる日本語の「掟」が、あくまでも人間的発想の枠内にあるのに対して、聖書で言われる「掟」は、神からのものであることを十分にわきまえる必要があります。つまり信仰の世界で使われる「掟」とは、本来的に神から与えられる指示であります。したがって、神の思い、神の御心が土台になっていることを十分に心得ていなければなりません。ちなみに、すでに旧約聖書において神の思いと人間の思いがどれほど異なっているかを、次のように明確に説明されています。

  「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道とは異なると 主は言われる。天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている」と(イザヤ55.8-9)。ですから、イエスがペトロを厳しく戒めた時にも、このことをはっきりと強調なさっておられます。

  「サタン、引き下がれ。お前は、わたしの邪魔をする者。お前は神のことではなく、人間のことを考えている」と(マタイ16.23)。

  ちなみに今日の第一朗読において、ペトロは、神の思いを全く分かっていなかった人々の「無知」のために、「命への導き手である方を殺してしまった」ことを、はっきりと指摘しています。そこで、ペトロは、民衆に向って宣言しました。「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同じように無知のためであったと、わたしには分かっています」と。

  ですから、イエスは、神の思いに対する無知であるのもかかわらず、一方的に自分の考えを自己主張することを、潔く止めて、全面的に神の思いに従うことが、つまり、自分を捨てることが信仰の生き方の基本であることを強調なさいました。

  「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を担って、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのため、また福音のために、命を失う者は、それを救う」と(マルコ8.34)。 

心の目が開かれて 

  さて、今日の福音ですが、復活のイエスが、弟子たちのところに現れてくださり、弟子たちが主の復活をあかしするために、全世界に派遣されることを伝えます。

  ちなみに、今日の場面が語られる前に、すでにイエスが復活させられた日の午後に、エマオという村に向かって逃亡の旅に出たクレオパともう一人弟子に同行なさったことを、同じ福音記者ルカは詳しく報告しています。

  つまり、この二人の弟子に道すがらご同行なさった復活のイエスに信仰の目が遮られていたために、彼らは、全く気付くことができなかったことを報告しています。

  「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、このことがあってから、もう今日(きょう)で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体は見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。そこで、イエスは言われた。『ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの

言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光の入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者たちから始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」(ルカ24.21-27)。

  ですから、今日の箇所でも、イエスは同じことを繰り返し念を押されています。

  「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」と。

  結局、イエスは、今日の場面でも全く同じことを強調なさっておられます。つまり、聖書全体は、まさにイエスの死と復活を中心に書かれているので、復活のイエスにお会いできるためには、聖書全体を切り離さいで総合的に読み通すことが大切なのです。そのために、イエスは「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いてくださった」のです。エマオに向かって旅に出かけたクレオパともう一人の弟子も同じ体験でした。つまり、イエスから聖書全体にわたって解き明かしていただき、その後で、宿での夕食の席上初めて彼らは復活のキリストに気づくことができたのです。すなわち、わたしたちの信仰の目を開くことが出来るために、聖書全体の総合的な理解と、ミサの後半の「感謝の典礼」がなくてはならないのです。

  とにかく、復活信仰は、わたしたちのものの見方、考え方、価値観を根本的に変えてしまうのです。最後にパウロが復活のキリストに出会ったことによって自分の生き方を全面的に変えることが出来たことを教えてくれます。

  「しかし、わたしのとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを(ちり)(あくた)と見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。・・・わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」と(フィリピの信徒への手紙3.7-11)。

エマオへの道(ブオニンセーニャ

復活節第2主日(神のいつくしみの主日)12.4.22

「世に打ち勝つわたしたちの復活信仰」

復活節の由来 

  すでに、二世紀には、主が復活されてからの50日間を復活節として祝い続ける典礼の伝統が成立しました。ですから、「50日間は、復活の日のように祝い、すべての日々はまるで唯一の日曜日のようである」と、聖アンブロジウスが証言しています。したがって、復活のキリストの臨在を象徴する「復活のろうそく」は、50日間つまり聖霊降臨の主日まで、ミサにおいてともし続けます。

  また、この間の典礼で朗読される第一朗読は、旧約聖書からではなく、初代教会の聖霊に満たされて成長して行く姿を振り返るために、『使徒言行録』からとられます。 

偉大な力によって復活を証しする 

  まず、今日の第一朗読ですが、エルサレムにおいて使徒たちを中心にして誕生した最初期の教会は、聖霊の力に満たされた共同体となり、主イエスの復活を証ししていたことを、次のように報告しています。

  「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」と。多分に理想化した教会共同体の素顔ですが、とにかく大切なのは信者同志の一致と交わりです。ですから、たとえ持ち物を共有していなくとも、お互いに対するきめ細やかな配慮が大切なのです。そこで、パウロは、教会が共同体として成長するために、どれほどお互いの密接な関わりが大切かを、次のように力説しています。

  「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間となり、キリストの満ち溢れる豊かさにまで、成長するのです。・・・愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、(かしら)であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々(ふしぶし)が補い合うことによってしっかりと組み合され、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられていくいのです」と(エフェソ4.12-16)。

  次に教会は最初の出発からイエスの復活を証するという使命を忠実に遂行したことが報告されています。

  「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活をあかしし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」と。

  すでに、イエスが天に昇られる直前に、弟子たちに宣教の至上命令を下されたことを、マルコは次のように伝えています。

  「その後(のち)、彼ら十一人が食卓についている所にイエスは現れ、その不信仰と頑な心をお咎めになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは仰せになった、『全世界に行き、造られたすべてのものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罪に定められる。』と」(マルコ16.14-16)。

  この世界宣教へ派遣されている教会は、聖霊を受けて初めて、イエスの死と復活を宣べ伝えるために宣教共同体になることができるのです。このことを、イエスが天に戻られる前に、はっきりと次のように約束なさいました。

  「聖霊があなた方の上に降るとき、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリア、また地の果てに至るまで、わたしの証人となるであろう」と(使徒言行録1.8)。 

初代教会の宣教を担った信徒たち

従って、最初期の教会が、どのようにして復活のキリストを人々に伝えて行ったのかを次のように詳しく説明しています。

  「使徒たちが去った(あと)、教会は、すべての信者が、福音を伝える連帯責任を担っていることを自覚したのです。特別な委任状を持たない、ただ洗礼によって受けた信仰の力によって信者たちは、積極的に福音を伝えていたのです。それは、家族や職場や好友関係のネットワークに広がっていったのです。それは、むしろ控えめな宣教でした。つまり、昼間の広場や市場において公にはなされず、音もなく、耳に低い声で交わす言葉によって家族の家庭の集まりのむしろ陰で行われていました。口から耳へ、妻から夫へ、奴隷から主人へ、主人から奴隷へ、靴屋から客へ、屋台店の秘密のなかで行われたので、『伝染』という表現がまさにぴったりの表現だったのです。また、大勢の弟子たちは、自分の財産を貧しい人々に分配し、ついで祖国を離れ福音宣教者の使命を遂行するために出発しました。彼らは、信仰の教えをいまだ聞いたことのない者に説教し、福音を力強く伝え、そこに牧者を任命し、自分たちが導いた人々の世話を任せ、また別の地方や国へ向かって出発したのです。最初に福音を聞いた者は、家族でした。ですから、福音は、全家庭、配偶者や子どもたちに広まりました。」(アマン著『初代キリスト教徒の日常生活』参照)。 

世に打ち勝つ復活信仰

ところで、今日の第二朗読は、わたしたちは信仰によって、世に勝つことができることを強調しています。

  「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」と。

  実は、イエスが最後の晩餐の席上で語られた告別説教の後半で、宣言なさいました。

  「今になって信じるのか。見ているがよい。あなた方が散り散りにされて、それぞれ自分の所へ帰り、わたしを置き去りにするときが来る。いや、すでに来ている。しかし、わたしは一人ではない。父がわたしと共におられるからである。・・・あなたがたは、世にあって苦しむ。しかし、勇気を出しなさい。わたしは、すでに世に打ち勝ったのである」と(ヨハネ16.31-33)。

  イエスご自身が、この世の権力によって処刑されるというまさに決定的な敗北をこうむったこと自体が、まさに勝利を勝ち取ったことになるというのです。わたしたちも、イエスの復活を信じることによって、この世の権力と富に打ち勝つことができるのです。

  すでに、イエスは、宣教活動を始めるに当って、サタンの40日間の誘惑と闘われました。その二番目の誘惑が、もし、悪魔に頭を下げるなら、この世の富と権力を獲得できるとうものでした。

  「次に悪魔はイエスを高い所に連れていき、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そしてイエスに言った。『この国々をすべて支配する権力と繁栄とを与えよう。それは、わたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。』イエスは反論なさった。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』」(ルカ4.5-8)。

復活の主日・B年(12.4.8

 

「わたしたちは復活のいのちを生きる」

復活の希望によって死に打ち勝つ

    かれこれ今から五年前になりますか、わたしが宮城県の石巻教会を担当していたときのことです。四十代ので突然亡くなった部下の追悼ミサに参加するため、東京から駆けつけた設計事務所の会長さんと、会食の席上、たまたま隣合わせになりました。恐らく、この会長さんは、初めてカトリック教会の追悼ミサに参加なさったと思いますが、そもそもキリスト教が死をどのように捉え、亡くなられた方のためにどのように祈るのかを是非知りたいと思っていたのでしょうか。わたしに向かって、彼がミサに参加したご自分の心境を、話されました。「今日の説教を聞いて、自分もせめてだけでも復活を信じたいです」と打ち明けられました。、それまでは仏式の葬儀に参列する機会が多かったと思われますが、もしかすると、カトリック信者である部下のための追悼ミサの中にある叙唱という祈りを聞いたとき、復活への希望を感じとることができたでしょうか。

とにかく、教会は、葬儀ミサの叙唱で次のように祈ります。

  「キリストのうちに、わたしたちの復活の希望は輝き、死を悲しむ者も、とこしえのいのちの約束によって慰められます。

  信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わったも、天に永遠のすみかが備えられています。」

  次に、キリシタン時代の厳しい迫害の、復活信仰を見事に生き抜いた殉教者の姿を、ここで是非紹介したいと思います。

  1619年の初め、時の将軍徳川は、キリシタンに対する迫害をさらに強化したのです。逮捕されたキリシタンたちは、投獄されました。その獄舎生活は、過酷さを極めたため、牢獄で亡くなるキリシタンもいました。とにかくは、キリシタンを、男女、そして大人と子どもを問わず容赦なく処刑することを厳しく命じたのです。

  11910月6日、京の都を引き回されたキリシタン52人は、鴨川の近くにあるの正面に引き出されました。そこにはすでに27本の十字架が立てられていました。男性26人、女性26人、15歳以下の子どもたちは、11人でした。そこで、中ほどの十字架にはリダー格の十字架のヨハネの身重の妻テクラと5人の子どもたちがいたのです。母親のテクラは、まだ3歳の末っ子ルイサをしっかりと抱きながら立ち、両脇には12歳のトマスと8歳のフランシスコが、母親と同じ縄で縛られていました。また、隣の十字架には、長女で13歳のカタリナとで6歳のペトロが、一緒に縛れていました。

  鴨川に夕日が映るころ、とうとう役人たちによって火がそれぞれの十字架のもとに用意されたに点火されました。そこで、炎と煙が一面に立ち込めてきたときです、娘カタリナが、突然、叫び出しました。「母上、もう何も見えません」と。そのとき、母親のテクラは、力強く皆を励ましてくれました。「大丈夫よ、間もなく何もかもがはっきりと見えて、また、一緒に会えるからね。」これは、明らかにテクラの復活に対する信仰告白にほかなりません。つまり、死という門を一瞬のうちにくぐり抜けて復活の新しいいのちへと迎えられることを固く信じでいたのです。

ミサで復活のキリストにお会いできる

ところで、わたしたちは、死んでからだけでなく、すでにこの世において復活のキリストに果たしてお会いできるのでしょうか。

実は、ルカ福音記者は、クレオパともう一人の弟子が、復活なさったイエスにお会いできたという感動的なエピソードを伝えています。

  この二人の弟子たちですが、イエスが十字架上で残酷にも処刑さられたことを知って痛烈な衝撃を受け、自分たちがイエスの弟子になったことが間違っていたのではないかという挫折感に襲われたのではないでしょうか。ですから早速エルサレムから30キロぐらい離れたエマオとう村を目指して逃亡の旅に出かけたのです。恐らく、イエスの弟子である自分たちも、恐らくイエスのように捕えられ、十字架の刑に処せられるのではないかと恐ろしくなり、逃げるが勝ちと思ったのでしょうか。

  恐れと失望に打ちのめされたこの二人の弟子は、足早にエマオを目指した歩きながら、イエスの受難と十字架上の死というむごたらしい出来事について語り合っていたのです。そこへ、なんとイエスご自身がこの二人に近づき一緒に歩き始められたのです。けれども、この二人の弟子たちは、まだ信仰の目がさえぎられていたので、その方がイエスであるとは全く気づきませんでした。

  すると、イエスのからこの二人に向かって話しかけたのです。「歩きながら、語り合っているその話は一体何のことですか」と(24.17)。そこで、彼らは突然、暗い顔をして立ち止まってしましました。そして、彼らは、大変悲しく出来事について説明し始めました。

「ナザレのイエスのことです。この方は神と民全体の前で、行いにおいても言葉においても力ある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長や議員たちが、この方を死刑にするために引き渡し、十字架につけてしまったのです。・・・ところが、仲間の数人の婦人がわたしたちを驚かせました。というのも、彼女たちは朝早く墓に行きましたが、イエスのご遺体を見つけないまま帰って来たのです」と(24.19-23)。

  クレオパともう一人の弟子も、直接イエスの指導を受け、弟子としての資質も身に着けたのかもしれませんが、イエスのこの世での最も重大な出来事、すなわちイエスの受難と十字架上での死、そして三日目のについては全く何も分かっていなかったのです。ですから、イエスは、心の底から嘆かれました。「物分かりが悪く、予言者たちが語ったことすべてを信じるには、心の鈍い者たち、メシアは必ずこのような苦しみを受け、その栄光に入るはずではなかったか」と(24.25-26)。

  それから、モーセとすべての預言者から初めて、聖書全体にわたってご自分について書かれていることを、二人に丁寧に解き明かされ、まさに信仰教育の総復習をなさったのです。それから、一行が目的のエマオの村に入ったとき、イエスはなおも先へ行きそうだったので、彼らはイエスを無理に引き止め、一緒に食事の食卓に共に着いたときです。今度は、イエスの方が早速パンをとり、賛美の祈りをささげて、それを裂いて、二人の弟子にお渡しになったのです。すると、この二人の信仰の目が開かれ、目の前に座っておられる旅人が、復活したイエスであると初めて気づいたのです。つまり、復活のキリストは、わたしたちのささげるミサの只中に来てくださるのです。道すがら、イエスが聖書全体について説明なさたように、わたしたちは、ミサの前半である「ことばの典礼」において、聖書を朗読し、詩編で歌います。続いて、ミサの後半である「感謝の典礼」で、イエスの体になったパンとイエスの御血になったぶどう酒を、天の御父に共同体としてささげます。この復活の恵みのであるミサを共にささげるごとに、復活のキリストがわたしたちの真ん中におられ共にささげてくださることに、心のより感謝したいと思います。

復活のキリスト(元寺小路教会小聖堂

受難(枝)の主日・B年(12.4.1

「マルコ受難劇からのメッセージ」

イエスの受難に躓いた(つまず)弟子たち 

  今日(きょう)の受難劇からのメッセージを、しっかりと読み取るために、まず、マルコ福音が描いている弟子たちの実像を確かめることから始めたいと思います。

  結論から言うならば、この福音書に登場するイエスの弟子たちは、極めて出来が悪いことを、イエスご自身が、あからさまに嘆かれております。

  「まだ分からないのか。悟らないのか。あなた方の心はそんなに(かたく)なのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。あなた方は覚えていないのか」と、まさに弟子としての資質に欠けているとおっしゃるのです8.17-18)。

ですから、イエスのこの世における短い人生のクライマックスである受難と復活についての最初の予告を、弟子たちが初めて聞いたとき、彼らは、全く理解できませんでした。そこで、ペトロが、イエスを脇へお連れして、なんといさめ始めたのと言うのです。

「主よ、とんでもないことです。決してそのようなことがあってはなりません」(マタイ16.22)。それに対して、イエスは、弟子たち全員を見ながら、ペトロを厳しく叱り付けました。

「サタンよ、引き下がれ。あなたの思いは、神のものではなく、人間のものである」(マルコ8.33)。

つまり、イエスが逮捕されたのも、弟子のユダの裏切り、すなわち間違った人間の思いによるものだったと言えましょう。このイエスが逮捕される場面では、確かに、ペトロが、(つるぎ)を抜いてイエスを守ろうとしますが、結局、「弟子たちはみな、イエスを置き去りにして逃げ去って」(14.50)しまいました。

また、弟子たちの(かしら)として一目置かれているペトロですが、強がりを言って「たとえ、みながつまずいても、わたしはつまずきません」と、断言します。  けれども、イエスは、彼も裏切ることを予告なさいました。

「あなたにはっきり言っておく。そう言うあなたが、今日(きょう)今夜(こんや)、鶏が二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう。」ところが、ペトロは、自信をもって言い張ります。

「たとえ、あなたと共に死ななければならないとしても、決してあなたを知らないとは言いません」と、すると、ほかの弟子たちも口をそろえて同じことを言ったのです。 

弟子たる者は自分の十字架を背負うべき 

  ところで、イエスが、前もってご自分の死と復活を、弟子たちに向かって最初に予告なさった(あと)ですが、そこに居合わせた群衆をも呼び寄せてはっきりと宣言なさいました。

  「わたしの(あと)に従いたい者は、自分を捨て自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と(8.34)。

  ここで言われている「自分を捨てる」とは、先ず()を張ることを止め()、自分の思い、考えなどを潔く(いさぎよ)捨てて、神の思い、神の御心(みこころ)従うことにほかなりません。ですから、イエス自ら(みずか)が、このことの模範を示されました。それは、ゲツセマネでイエスの御苦しみ(おんくる)最高潮(さいこうちょう)に達したときです。マルコは、その場面を次のように生々しく(なまなま)描いています。

  「そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時がご自分から去るようにと祈り、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この(さかずき)をわたしから取り除いてください。しかし、わたしの思いではなく、御旨(みむね)のままになさってくだい。』と」(14.33-36)。 

主の受難は、すべての人々に開かれている 

  ところで、マルコは、弟子たちがみな逃げてしまった受難劇に、新たにイエスに従った人々を登場させています。たとえば、弟子のユダが、宗教指導者たちとイエスを裏切る取引を成立させた同じときに、ベタニアでは、イエスの死に備えて高価なナルドの香油を、イエスの頭に注いだ一人の女がいました(14.3-9)。

  また、イエスの十字架の道行(みちゆき)で、衰弱しきったイエスに代わって十字架を背負ってくれたキレネのシモンも期せず()してイエスの代役(だいやく)を演じてくれました(15.21参照)。

  また、マグダラのマリア、ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメと呼ばれていた三人の女性たちは、遠くからですが十字架上のイエスを、しっかりと最後まで見守っていました(15.40参照)。それだけではなく、ガリラヤからエルサレムまでイエスについて上ってきた大勢の婦人たちも、十字架の現場から逃げないで、そこに忍耐強く留まって(とど)いました。

  さらにこのドラマのクライマックスで、真っ先にイエスに対して信仰告白をしたのは、死刑執行人であった異邦人であるローマの百人隊長でした。

  息を引き取られたイエスを、恭しく(うやうや)仰ぎならが「本当に、この人は神の子だった。」と。 

イエスの十字架の道行での自分の生き方 

  先ほどの受難劇の朗読では、それぞれ自分の役割を担いましたが、肝心なのは、日々の生活の只中でイエスの十字架の道行にどこまで忠実に従っているかです。今日から始まった聖週間は、自分の信仰の生き方を振り返る恵みの時ではないでしょうか。その意味で典礼は、日々のキリスト者としての生き方をしっかり学ぶリためのハーサルと言えます。

  「わたしの(あと)に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を担って、わたしに従いなさい」(8.34)。

四旬節第5主日・B年(12.3.25

 

「多くの苦しみによって従順を学ばれた」

わたしの心は柔和で、謙遜であるから 

  いよいよ四旬節の最後の週を迎え、イエスの過越の神秘により豊かにあずかるために、イエスの生き方の基本を学ぶ大切な時期を迎えました。それは、イエスご自身の御父に対する心の姿勢である従順と謙遜であります。

  まず、イエスは、次のような御父を賛美する祈りをささげられました。

  「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や、賢い者に隠し、小さい者に現してくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした。」(マタイ11.25-26 )次いで、わたしたちに向かって優しく呼びかけてくださいます。

  「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの(くびき)を受け入れわたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂に安らぎを見出す。」と(同上11.28-29)。

  イエスの救い主としての御業の頂点は、言うまでもなく、十字架上での死と復活でありますが、それはまさにイエスの御父に対する徹底した従順の表れであると、すでに初代教会では讃美歌によってそのイエスのみ姿をほめたたえていました。

  「キリストは神の身でありながら、

神としてのあり方に固執(こしつ)しようとはせず、かえって自分をむなしくして、 (しもべ)の身となり、人間と同じようになられました。

その姿はまさしく人間であり、死に至るまで、十字架の死に至るまで、

へりくだって従う者となられました。

それ故(ゆえ)、神はこの上なくこの(かた)を高め、

すべての名に勝る(まさ)名を惜しみなくお与えになりました」(フィリピ2.6-9)。

 苦しみによって従順を学ぶ 

  では、もっと具体的にイエスご自身がどのようにしてこの素晴らしい従順を身につけられたのでしょうか。

  その答えは、パウロが今日の第二朗読で教えてくれます。

  「キリストは、・・・激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子(おんこ)であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と。

  ですから、わたしたちの祈り方もイエスに倣う必要があります。つまり、自分の思いや、考えを御父に押し付けて自己主張するのではなく、あくまでも、御父の御心の実現を願うことこそが、わたしたちの祈りなのです。このイエスの御父に徹底して従われたお姿を、ゲツセマネで御苦しみが最高潮に達したとき見事に示されました。

  「さて、一同がゲツセマネと呼ばれる所に着くと、イエスは弟子たちに仰せになった、『わたしが祈る間、ここに座っていなさい』。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れていかれたが、イエスはひどく恐れ、悶え始め、彼らに仰せになった。『わたしの魂は悲しみのあまり、死ぬほどである。ここにいて、目をさましていなさい』。そして、すこし先の(ほう)に進み、地にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう仰せになった、『アッバ、父よ、あなたにはおできにならないことはありません。わたしからこの(さかずき)を取り除いてください。しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください。』と」(マルコ14.32-36)。

  ところで、今日の『カトリック新聞』のトップ記事は、「カトリック東京ボランティアセンター」が主催した「3・11南相馬市一日巡礼」についてです。そのミサで説教した司教総代理の梅津神父の説教の次のようなさわりの部分が紹介されています。

  「わたしたちは、震災のつらい出来事の中でも、人間が本来持っている美しい心に助けられ、勇気づけられました。復興とは、元の生き方に戻ることではありません。人の痛みを自分の痛みとして共感し、助け合って生きていく姿に、イエスの福音があり、本当の再興あるのだと思います」と。また、ミサ後の交流会では、原町教会の信徒会長の高野郁子(いくこ)さんが、震災後一年たっても家族の遺骨を家に置き、生きる目標を失い、泣いて暮らしている人たちがいることを話され、「一年前の震災が今も続いている」現状を語られました。

  とにかく、今回わたしたちが体験した想像を超える苦しみと悲しみは決して無駄にならないと思います。旧約聖書に登場する苦難の人ヨブは、最初の災害をこうむったとき、次のように祈ることができたのです。

  「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。

『わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。

主は与え、主は奪う。

主の御名はほめたたえられよ』と」(ヨブ記2.20-21)。

  けれども、このヨブは、善人である自分になぜこのような恐ろしい(わざわい)が次から次へと降りかかってくるのか。「神に向かってなぜと問う」こと自体が間違っていることに、さんざん悩み苦しみぬいた果てにやっと気づき回心したのでした。

  実は、被災地のカトリック大船渡教会の山浦さんが、東京のカトリック成城教会でご自分の体験を講演した際に、次のような発言をしております。

  「人生は災害の連続です。確かに悲しいことです。津波でなくても人が死ぬのは本当に悲しいです。そして、それとは別に災害が起こるのも当たりまえのことなのです。この世界はそういうようにできています。『なぜ』と問うこと自体意味がありません。・・・我々が、神さまに取るべき態度はただひとつ『神さま、あなたは私をお創りになりました。何のためにお創りになったのですか?私はどういう道具なのでしょうか。どうぞ、教えてください』、これしかないのではないでしょうか。自分に与えられた器に従って、どのようにしたら神さまに喜んでいただけるのか。『お前、よくやったな。めんこだ、めんこだ』と言っていただけるように、身の周りに起こる出来事の中に神さまのみことばを常に追い求めることだと思います」と、結んでいます。 

死ねば多くの実を結ぶ

ところで、今日の福音で、イエスは、ご自分がどのような最期(さいご)を迎えるのかを麦のイメージで語り、イエスに従うことを命じておられます。

  「人の子が栄光を受ける時が来た。・・・一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。・・・わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。・・・わたしに仕える者がいれば、父がその人を大切にしてくださる。」

  イエスにならって苦しみのただ中で、御父に対する従順とまことの謙遜を身に着けることができるよう共に祈りたいと思います。

原町教会(南相馬市)

四旬節第4主日・ B年(12.3.18

 

「一人も滅びないで、永遠のいのちを得る」

 

「喜びの主日」の由来

  四旬節もいよいよ後半に入り、今日の典礼は、復活祭の喜びを先取りして「喜びの主日」と呼びます。ですから、入祭唱は、イザヤ書の6610節から11節を、歌います。

  「神の民よ、喜べ、神の家を愛するすべての者よ、ともに集え。

  悲しみに沈んでいた者よ、喜べ

  神は豊かな慰めで

  あなたがたを満たしてくださる」と。

  実は、中世のローマの習慣によれば、この日にローマ教皇は、特別に優れた人たちに与える金のバラを聖別することになっていました。これは、恐らくローマの春の祭りに花を飾っていたことに由来するのかも知れません。また、典礼の色は、紫ではなくバラ色の祭服を、16世紀ごろから着るようにました。

  ところで、今日のミサで、洗礼志願者の清めと照らしのための特別な祈りがあります。

  まず、「集会祈願」ですが、「あなたの教会を聖霊の喜びで満たし、成長させられますように。・・・」と祈ります。

  また、「奉納祈願」では、「神よ、喜びのうちに ささげる供え物を受入れ、救いを完成してください。わたしたちが この神秘に ふさわしくあずかり、洗礼志願者と ともに永遠の いのちに導かれますように」と祈ります。

喜びの源泉を求めて

  このように、今日の典礼で、まさに復活祭の喜びを一足先に味見をしているのです。ところで、キリスト者にとって信仰がもたらす「喜び」を、一年中の日々の生活の只中で体験できるのでしょうか。例えば、パウロは、次のように勧めています。

  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。」と(テサロニケ一、51619)。

 わたしたちの体を神殿として宿っておられる聖霊の火のぬくもりが喜びのなのでしょうか(コリント一、619参照)。

 また、イエスは、最後の晩さんの席上、弟子たちに語られた告別説教で、次のように強調なさいました。

  「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にいつも包まれて生きなさい。あなたがたがわたしの掟を守るなら、わたしの愛に包まれて 常に生きることになる。・・・わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたたちのものとなり、あなたたちの喜びが満ち溢れるためである」と(ヨハネ、15911)。

  イエスご自身の喜びが、わたしたちにまで伝わって来るのをまだ感じていないのかも知れません。

一人も滅びないで、永遠のいのちを得る

  ところで、今なお多くの傷跡が残っている昨年の大震災と原発事故ですが、たとえ仮設住宅に住むことができても、たとえば一人暮らしのお年寄りの方々がだれからも看取られることなく孤独の中で亡くなられるとう悲しい後遺症はだに続いています。気に掛けていたことですが、今週、遅ればせながら、仙台の仮設住宅の一人暮らしの方を訪問しようと思います。

  また、大津波の激流がすべてをさらってしまい、後には瓦礫の山を残していきました。さらに大勢の方々の行方が分らず捜索活動を続けなければなりません。このような悲惨な現状が多く残されています。

  あの恐ろしい日から丁度一年目に当たる先週の日曜日には、全国各地で「3.11東日本大震災犠牲者追悼と復興祈願ミサ」が、ささげられましたが、特に亡くなられた方々は永遠のいのちへと、極めて苛酷な状態で旅立つことができたのでしょうか。

  今日の福音は、救い主イエス・キリストこそ、全人類に永遠のいのちを与えてくださるためにこの世に来られてことを、はっきりと語っています。

  「それは信じる者が皆、人の子によって永遠のいのちを得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠のいのちを得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と。

  このイエスのおことばですが、永遠のいのちを得ることができるのは、信じる者、特に独り子を信じる者であると強調しておられます。そうすると、救い主イエス・キリストを信じていない方々は、永遠のいのちを得ることができないのでしょうか。この永遠のいのちを、得ることが救われることにほかならないとすれば、信仰がなければ救われないと言うことなのでしょうか。

  例えば、第二ヴァチカン公会議前まで、全世界の教会で使っていた『カトリック要理』(公教要理)によれば、「洗礼は救いを得るのに必要ですか。」と言う問いの答えは、「イエズす・キリストのお定めにより、洗礼は、救いを得るのに必要です」でした。しかしながら、公会議後の新しい神学は、洗礼を受けないで亡くなってしまう方々の永遠の救いの可能性について極めて肯定的な見解を示し、次のように説明しています。

  「なお、神はすべての人にいのちと息とすべてのものを与え(使徒172528参照)、また救い主はすべての人が救われることを望んでいる(テモテ一、24参照)。事実、本人の側に落ち度かないままに、キリストの福音とその教会を知らないが、誠実な心をもって神を探し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恵みの働きもとに、行動によって実践しようと努めている人々は、永遠の救いに達することが出来る」(『教会憲章』16項)と。

  最後に、マタイの福音が告げる世の終わりと救いの完成についての荘厳な宣言を改めて確認したいと思います。

  「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、・・・そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢のいたときに訪ねてくれたからだ』と」(マタイ25:21-36)。

  この世における愛の実践によって永遠のいのち生かされることが出来るよう共に祈りたいと思います。

3.11大震災被災者追悼と復興祈願ミサ(2:46の黙祷・元寺小路教会)

3.11東日本大震災犠牲者追悼・復興祈願ミサ12.3.11

 

「目を覚ましていなさい」

オリーブ山上で

 今日の福音の朗読個所は、マルコ福音の13章の最後の段落32節から37節までになっていますが、この13章全体にわたる文脈から説明したいと思います。

  この13章に集められている各段落は、すべて世の終わり、つまり救いの完成の時についてのイエスの預言について語っています。

  そこで、まず導入として、イエスはエルサレムの神殿の崩壊を予告なさいます。

  弟子の一人が、その神殿を見上げて、「先生、ご覧ください。なんとすばらしい建物でしょう。」とほめたたえ時です。イエスは、思いがけない予告をなさいました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここでにの石の上に残ることはない。」と(1-2節)。実際にローマの軍隊が、西暦70年の8月から9月にかけてエルサレムを占領し、その神殿を破壊したのは歴史的事実であります。神の子の到来を拒絶する者たちのとなってしまった神殿も、イエスの予告通りも残さず見事にのです。

  けれども、イエスが弟子たち欲しかったのは、世の終わりつまり、人の子が再び来られるという重大な出来事のことです。ですから、弟子たちと一緒にオリーブ山の上から神殿を見降ろしながら、イエスは語り始めました。

  「人にように気をつけなさい。・・・戦争のや戦争のうわさを聞いても、はいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、に地震があり、が起こる。・・・あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。

地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。・・・しかし、まず、福音があらゆる民にべ伝えられねばならない。・・・それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までになく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。・・・それらの日には、このような苦難の、太陽は暗くなり、月は光を、星はから落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。・・・天地は滅びるが、わたしのことばは、決して滅びない。」と(13.5-31節)。

  そして、今日の箇所に続くのです。

  ですから、この終末つまり世の終わりそして救いの完成のときを、信仰の目を覚まして忍耐強く待ち望むのです。そして、祈りながら、あらゆる苦難を堪え忍び、神の国の完成のために働き続けることが出来るのです。

  実は、ペトロも世の終わりについて、極めて適切な勧告をしてくれます。

  「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そではなく、一人の人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日はの日のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に、地とそこで造り出されたものはしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。・・・わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」と(ペトロ二3.8-13)。

 

新たな創造に向って立ち上がる

  ところで、わたしたちが、一年前の出来事によって体験している甚大な被害と困難を、信仰によって受け止め、地域の人々と連帯して新たな創造に向って歩み続けることが出来るよう、「決して滅びないイエスのことば」を日々いただくことがです。

  今日の第二朗読で、パウロはわたしたちを励ましてくれます。

  「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐はを、は希望を生むということを。希望はわたしたちをことがありません」と。

  最後に、皆さんのお手もとに(式次第のしおりの最後の二頁)ある池長大司教様の書簡の後半の箇所を読み上げたいと思います。

  「このように、地震と津波、そして原発事故によって引き起こされた悲しく辛い現実から一年が過ぎつつあります。亡くなられた方々が、神のみ手の中にて、永遠に憩われるように祈り、そして、被災地が一日も早く復興し、被災者の方々が一日も早く元のような生活を立て直せるようにと、私たちカトリック信者は心を一つにして祈りましょう。

  私たち日本の司教は、東日本大震災から一年を迎えて、当日のミサを教区の皆さまと共にささげ、犠牲になった方々を追悼し、被災地の復興を祈ります。日本各地でこのようなミサがささげられ、祈りの集いが、多くの方々がともに祈りをささげることができますよう、願っております。また、信者の皆さまには、このような公的な祈りに参加することも大切ですが、個人的な祈りも続けてくださいますよう、お願い申し上げます。

  さて、日本のカトリック教会は、国内の義援金とともに各国のカトリック教会からも復興支援を目的とする義援金をいただきました。これらの義援金を活用しながら仙台教区とカリタスジャパンを中心に、カトリック信者以外の方々と一緒になって復興ボランティア活動が続けられています。また、男女修道会の活動や三教会管区(東京・大阪・長崎)が分担する地域における復興支援活動も継続的に行われ、各教区内の信者を中心にしたボランティア活動も軌道にのりつつあります。

  これらの復興ボランティア活動は、これから何年にもわたって行われてゆくことになり、そのためのボランティアも引き続き必要とされています。

  皆さまの祈りと行動を通して、これからも復興支援を続けてくださいますようにお願いいたしします。 

 2012311日、日本カトリック司教協議会・会長 池長 

四旬節第2主日・B年(12.3.4

 

「きっと神が備えてくださる」

 

試練の最中に神の計らい

  四旬節の第2週目を迎え、信仰の道をより忠実に歩むために、今日の第一朗読は、アブラハムの人生における最大の試練をどのように乗り越えたのかを、見事に描いています。

  朗読個所で省かれている部分を加えながら、彼の体験をくわしく振り返ってみたいと思います。

  まず初めに、アブラハムが100歳になってからようやく授かった一粒種のイサクについて説明します。アブラハムが75歳を過ぎたころ、神は彼を祝福し次のような約束を荘厳になさいました。

  「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地ののようにする。大地のが数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」と(創世記12.14-16)。

  けれども、この神の約束は、なかなか実現しませんでした。ですから、彼の妻サラは、自分も年をとってしまって子どもを産むことができなくなるのではないかと、あせりを感じ、自分の考えで、女奴隷にアブラハムの子どもを生むように仕組みました。

  しかしながら、神の計画はあくまでも、アブラハムとサラとの間に授ける実の息子が跡取りになることでした(同上15.4参照)。ですから、とうとうアブラハムが100歳、サラが90歳になったとき、一人息子のイサクが誕生したのです。

  したがって、アブラハムはイサクを溺愛するようになったとしても当然だったと言えましょう。

  しかしながら、神はどうしてもアブラハムの信仰を確認するために最大の試練の与えたのです。

  今日の箇所は、「これらのことの後で、神はアブラハムを試された」という22章の冒頭の文章に続くところです。当時、神に対する礼拝として、動物や農作物などをいけにえとして焼き尽くす儀式を行っていました。

  ところが、神は何と「あなたの愛する独りイサクを連れて、モリアの地に行きなさい。・・・彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と、まさに残酷な命令を下されたのです。

  ところで、かなり前のことになりますが、九州のある小教区を訪問したときでした。三十代前半の一人の母親に、彼女がかかえている耐え難い苦しみについて聞かされました。つい最近、5歳になる長男を、保育園に通う路線バスに乗せたのですが、なんと半ドアにはさまれたまま、バスが発車してしまったのです。そのバスを追いかけ、ストップさせたときには、息子さんはすでに息を引き取っていたのです。父親は、すでにその運転手を許す気持ちなれたのですが、母親のほうはどうしても自分の気持ちを収めることができず苦しみ続けていたのです。その後のことは、何も聞いておりませんが、きっとその母親は、その残酷な試練を信仰によって乗り越え、おそらく新たにお子さんを授かったのではないでしょうか。

  一方、アブラハムの方ですが、その苛酷なな命令を受けたのはおそらく夜だったのでしょうか、「次の朝早く、アブラハムはロバに鞍を置き、献げ物に用いるを割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った」(3節)と、テキパキと早速、行動に移っています。

  「三日目になって、アブラハムは目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、そこまで一緒だった若者二人に、命じます。

  「お前たちは、ロバと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる」と。ここでは、息子も一緒に戻ることを暗にほのめかしているのです。

  それから、親子二人だけが、目的地に向って黙々と一緒に歩き続けます。そしで、藪から棒に、イサクが、父親に呼び掛けます。

  「わたしのお父さん。」父親は、さりげなく答えます。「ここにいる。わたしの子よ」と。イサクは、ことの異常さに気づき思い切って尋ねます。

  「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」と。

 

神の摂理への信頼

  そこで、アブラハムは優しく答えます。

  「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と。これこそ、アブラハムの神の摂理に対する信仰にほかなりません。神は、特にわたしたちが試練の最中、その苦難の重さで倒れてしまわないように、必ずすべてを良きに計らって下さいます。ですから、パウロも、試練を乗り越えることができる手段を、必ず神が用意してくださることを、次のように強調しています。

  「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実なです。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と(コリント一、10.13)。

  今日の箇所の13節の句ですが、「目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。・・・アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも『主の山に備えあり(イエラエ)』と言っている。」

  信仰をもって、現実を冷静に見据えるならば、きっと神の計らいに気づくことができるのではないでしょうか。

 

神は愛する者を鍛える

  最後に、同じパウロが書いたとされているヘブライ人の手紙の中で、なぜ神はわたしたちを試練に遭わせ強めてくださるのかを、説明している箇所を引用したいと思います。

  「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」と(ヘブライ12.5-6)。

  この四旬節にあたって、試練を信仰によって乗り越えることが受けることができるように共に祈りたいと思います。

神にひとり子イサクを捧げようとするアブラハムと、それをとどめる使レンブラント

四旬節第1主日・B年(12.2.26

 

「神の国は近づいた。回心して福音を信ぜよ」

 

イエスの生と死にあずかる時

  219日付けで、平賀司教様は、仙台教区の皆さんに宛てて、書簡を送られました。そのタイトルは、「2012年・四旬節にあたってーこらからの仙台教区を考える」であります。

その書簡の冒頭の箇所を、まず、ここで引用したいと思います。

  「東日本大震災が発生した2011311日は、灰の水曜日から三日目の金曜日でありましたが、昨年の四旬節はまさに苦難の季節の始まりでした。そしてあれからの一年間、わたしたち仙台教区は大変なの中を歩んで来ました。けれどもその大艱難に立ち向うため、また、被災者・被災地支援のために、『仙台教区[新しい創造]基本計画』のもと、教区内の皆さまのたくさんの犠牲と献身的なご協力をいただいて参りましたこと、本当にありがとうございました。

  また、全世界からの支援をいただきながら、そして特に日本全国のカトリック教会(全教区と多数の小教区、男女修道会、学校や団体など)からの大変な支援に助けられ、同時に全国から駆け付けていただいたボランティアさんたちの助けをいただきながら、そのお陰をもって教区が今日まで来られたことを、共に深く感謝申し上げたいと思います。しかし、艱難は過去のものとなったわけではなく、この先何年も厳然としてわたしたちの目の前にあり続けるであろうことを覚悟しておく必要がありましょう。2万人に近い数の犠牲者・行方不明者を悼みますとともに、大地震・大津波・原発事故の被災者として今も苦境におられる何十万もの方々の心情を察しながら、わたしたちは、谷間におかれている人々と共にある教会、苦しんでいる方々のそばに寄り添う教会であり続けたいとおもいます。」と。ところで、四旬節は、特に典礼を中心に、キリスト者の生き方の原点に立ち返る、まさに回心の時であります。それは、イエスの生と死により深くあずかることができる恵みの時期であります。それは、個人的に回心の業に励むだけではなく、教会が共同体ぐるみで本来のあり方に立ち還る時なのです。

 

地域の人々と連帯する教会

 ですから、司教様が改めて確認なさったように、「谷間におかれている人々と共にある教会、苦しんでいる方々のそば寄り添う教会であり続けなければなりません」。実は、既に50年前に開かれた第二ヴァチカン公会議がこの教会の基本的姿勢を、初めてに宣言しました。

  「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。」と(『現世界憲章』1項)。

  特にこの度の被災地にある教会は、まさに地域の方々と共に最大の困難と苦しみを分かち合ったので、瓦礫の中から共に立ち上がる力をも分かち合うことができたのではないでしょうか。つまり、この大震災は、結果的に教会の姿勢を根本的に変えさせたと言えます。教会が一度も入ったことのない町や村にまで、全国から駆け付けたボランティアの方々と共に、教会が、率先して援助の手を差し伸べることができました。そのため、敷居が高く地元の方々がなかなか入りづらかった教会に、地域の人々が憩いをもとめて集まれる場所にができたのです。

  そしてまた、信者さんたちは、教会の建物と境内から出て、例えば、仮設住宅で寂しく一人暮らしをしている方々を、定期的に訪問し、話し相手になるという地道な活動を始めることができたのです。

  ここで、東京教区ボランティアセンターのメンバーの活動報告の一部を紹介したいと思います。「松木町教会(福島市)では、教会の茶道クラブのメンバーが中心となり、『ふれあい茶の湯』というプログラムを企画、現在は仮設住宅で避難されている方々に季節のお茶菓子とお抹茶を提供し、ほっと一息くつろぐ、楽しい時間を共に過ごしています。このプログラムには東京からのボランティア派遣や物資の支援で協力しています。・・・行政や、他の団体からの援助の届きにくい福島市内・仮設住宅での炊き出しは、東京近郊の小教区や修道会などがグル―プで福島の食材を使って食事を作り温かくて心のこもった食事を囲み、心豊かな時間を過ごしています。『仮設住宅から皆さまが笑顔で故郷に戻られるまで、最後のお一人まで関わらせてください。』ふれあい茶の湯のリーダーが、仮設住宅の自治会長さんに伝えて言葉です。」

「新たな福音化」

 次に、今日の福音ですが、イエスがいよいよ最初の宣教活動を、出身地のガリラヤで始められたことを伝えています。このイエスの活動は、今日まで教会が引き継ぎついで来ました。そしてさらに、世の終わりまで、すなわち、救いが全世界において完成するまで忠実に継続して行く重大な責任を担っています。

  既に、1975年に第二ヴァチカン公会議終了十周年を記念してパウロ六世教皇は、『現代世界における福音化』(Evangelii Nuntiandi)という使徒的勧告を発布なさいました。その中で、先ず教会が絶えず福音化されねばならないことを強調し、教会が取り組むべき福音宣教が何であるかを、次のように明確に説明しておられます。

  「教会にとって福音をべ伝えるとは、『良い知らせ』を人類のすべての階層にもたらし、『わたしは万物を新しくする』とあるように、固有の力で人類を内部から変化させ、新しくするということにほかなりません。けれども、先ず初めに洗礼を受け、福音に従った生き方によって福音化された人々がいなければ、新しい人類は生まれません。ですから、福音化の目的は明らかに、この内面的刷新であります。」(18項)

  また、ヨハネ・パウロ二世は、1980年代から福音宣教には、常に新たな熱意、新たな方法そして新たな表現による「新たな福音化」が必要であることを強調なさいました。ですから、1990年に発布なさったご自分の回勅『救い主の使命』(Redemptoris Missio)で、次のように説明しておられます。

  「現代は教会に新しいチャンスを提供しています。・・・抑圧するイデオロギーや政治制度が弱まって来ていること。情報伝達技術の向上によって、国境が開放され、世界の一致がより一層強められること。イエスがご自分の生活において受肉させた福音的価値(平和、正義、兄弟愛、差し迫った生活に困っている人々への配慮など)が、人々に受け入れられたこと。・・・教会の前には、福音の種を蒔くために神によってよく準備された人類が広がっています。新たな福音化と諸国の民に宣教する使命とに、教会のすべての力を傾けるとが来ているとわたしは感じます。」(3項)

  さらに、ベネディクト16世は、特に伝統的なキリスト教諸国において信仰における深刻な危機に直面している現状を打開するための「新たな福音化」が急務であることを強調なさっておられます。ちなみに今年の秋に開かれる第13回定例シノドス(世界代表司教会議)のテーマはこの「新たな福音化」です。

シノドス(前回)

年間第7主日・ B年(12.2.19

 

「子よ、あなたの罪は赦される」

わたし自身のために、あなたの罪をぬぐう

  今日の朗読聖書によるテーマは、罪の赦しについてのまさに聖書的とらえかたを説明していると言えましょう。

  早速、第一朗読ですが、旧約聖書のイザヤ書が特にイスラエルの民の罪の赦しについて語っています。しかも、バビロンからの解放という神の救いのみ業を背景にした体験を説明しています。

  「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。・・・わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」と。

  これは、あきらかに、捕囚の民が50年以上にわたる強制移住から解放され、ようやく故国に変えることができるという、救いの出来事が間もなく実現するという希望と慰めに満ちた預言に他なりません。そのために、先ず、過去の出来事を振り返るのではなく、神がまさに始めようとしておられる「新しいこと」に注目しなければならないと言うのです。確かに、バビロンにおける捕囚という体験は、民の罪がその原因だった。そのことを、次のように神ははっきりと宣言されました。

  「ヤコブよ、あなたはわたしを呼ばず イスラエルよ、あなたはわたしを重荷とした。・・・あなたの悪のために、わたしの重荷を負わせた」と。

  けれども、神はイスラエルの回心をまってから彼らを赦すのではなく、既に彼らの罪をすべて吹き払ったので、今こそ、神に立ち帰ることができると言うのです。イザヤはそのことを、次のように大胆に描いています。

  「イスラエルよ、あなたはわたしの。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを」と(イザヤ44.21-22)。

  なぜなら、罪が赦されることによって、まさに神の栄光を表すことができるからであります。神は、わたしたちの罪の赦しを、あくまでも、神の視点で受け止めておられるのです。

  「わたし、このわたしは、わたし自身のために あなたの背きの罪をぬいぐい あなたの罪を思い出さないことにする」と。

  自分の小さな殻から抜け出で、神の視点で自分の罪を見ることが、赦しの体験の本質なのです。ですから、神は何のために人間の罪をお赦しになるのか、その本音をしっかりと聞かねばなりません。

  「わたしはこの民をわたしのために造った。かれらはわたしの栄誉を語らなければならない。」

 

個人の罪の赦しを願って

  また、詩編には、ダビデ王が自分の犯した重大な過ちを悔み、ひたすらへりくだって罪の赦しを願う次のような祈りがあります。

  この回心の祈りは、ダビデ王が部下の妻バト・シェバを奪ってしまった後、預言者ナタンのもとで深く悔い改め、赦しを願ったときと説明されています。

  「神よ、慈しみによって、わたしを顧み、豊かな憐れみによって、わたしのを消し去ってください。

  悪に染まったわたしを洗い、罪に汚れたわたしを清めてください。

  わたしは自分のを認めます。わたしの罪はいつも目の前にあります。

  ・・・

  実に、わたしは生まれた時から悪に染まり、母の胎内に宿った時から罪に汚れていました。・・・

  み顔を背けて、わたしの罪を見ず、わたしの悪をすべて消し去ってください。神よ、わたしのうちに清い心をつくり、わたしの霊を強めて、新たなものとしてください。・・・」(詩編51.3-19)。

 

子よ、あなたの罪は赦される

  次に、今日の福音ですが、イエスのおことばには、わたしたちを変える力が込められていることを、見事に描いているのではないでしょうか。

  恐らく寝たきりになっていたの人を、四人の親切な友人が、何と人様の家の屋根をはがして、イエスの前につり下ろしたと言うのです。そこで、イエスは、まずその四人のイエスに対する信仰、つまり、全面的に信頼していることに、気づかれたのです。つまり、信仰における連帯が、どれほど大切であるかを示しています。そもそも、その病人をイエスのもとへ連れて来たのは、病気を癒す力を持っておられるイエスに対する信仰があったからです。ですから、群衆に阻まれている現状を打開する知恵と勇気をも与えられたのではないでしょうか。そして、何よりもイエスのおことばに対する確固たる信頼を四人はすでに持っていたということです。

  かなり前の話になりますが、イエスのおことばに秘められている力は、わたしたちを変えてしまうことができることを、まざまざと見せ付けられた出来事がありました。

  ある日、突然見知らぬ中年の男性が、司祭室のドアをノックしていきなり入って来ました。「先生、わたしの話を聞いてください。お願いします」と、まさに切羽詰まった様子で目の前に現れたのです。御肉屋さんの主人なので、白い仕事着を着たまま、教会に飛び込んで来たのです。店の若い者と、奥さんとの関係に気づいて、すごく腹を立てて、自分が握っていた肉切り包丁で、奥さんとその若者を刺し殺したいという思いを、必死に抑えて、教会に逃げ込んだというのです。

  彼は、「『イエスは、敵をも愛しなさい』と聖書に書いてあることは、知っていますが、それは本当何ですか」と、強い口調で問い掛けて来ました。

  いきなり、言われたので、正直、すぐに答えることができませんでしたが、

おもむろに「確かに、イエスはそのように言われたとわたしは信じています」としか言えませんでした。それから、重苦しい沈黙が続きました。・・・二三十分も経ったでしょうか、いきなり「先生、電話を貸してください」と立ち上がり、家に残っていた奥さんに「今、教会にいるが、すぐ帰るから、昼飯を用意してくれ」と。彼の心に沸き上がった殺意と、イエスのおことばとの強烈な葛藤を経て、とうとう、相手を赦す気持ちに辿りついたのです。

  イエスが言われた「子よ、あなたの罪は赦される」、また「起きて、を歩け」のいずれのおことばにも、現実を根本的に変える力が秘められています。

  イエスのおことばを、多くの人たちに伝えることが出来るように共に祈りたいと思います。

年間第6主日・B年(12.2.12

 

「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べ」

 

偏見と差別、さらに人権が無視された

今日の福音が伝える、重い皮膚病のいやしの出来事は、ただ病気そのものの回復だけではなく、当人の社会復帰をも暗示しています。既に、旧約時代からこの病気の患者は、宗教的に汚れた者とされ厳しい掟が課せられていました。それは、『レビ記』で次のように命じられています。

  「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は一人で宿営の外に住まねばならない。・・・」

また、もし、その病気が治った場合には、清めの儀式が必要でした。

  「祭司は宿営の外に出て来て、調べる。患者の重い皮膚病が治っているならば、祭司は清めの儀式をするため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、糸、ヒソプを用意させる。・・・」(レビ記13.45-46:14.3-4

  実は、聖書で「重い皮膚病」と訳されている言葉は、数年前までは、「らい病」と言われていました。けれども、昭和28815日に制定された「らい予防法」は、結果的に患者の方々に対しての偏見や差別だけでなく基本的人権を侵すような実態を改善できなかったので、平成841日に廃止されました。ですから、聖書の中でも言われていた「らい病」という言葉も一種の差別用語になっていたので、「重い皮膚病」にすべて改めたのです。

  とにかく、旧約時代から、「ハンセン病」に対する偏見や差別、さらに人権を侵害していたのは歴史的事実です。

  例えば、196564日、ヨハネ・パウロ2世によって福者にされ、さらに2009年、教皇ベネディクト16世によって聖人にされたベルギー人の宣教師ダミアン神父は、ハワイの島モロカイで、ハンセン病で苦しんでいた大勢の患者の方々に対する献身的な奉仕に生涯をのです。

  当時、ハワイの島々では、ハンセン病患者の方々の世話をする人は誰もいませんでした。そのことに気付いたダミアン神父は、モロカイ島に隔離されていた患者さんたちの世話をするために、187359日、その島に向ったのは彼が初めてだったのです。それまでは、その島で患者さんたちの看護をする人が全くいなかったので、誰からも看取られずに孤独のうちに亡くなって行くのが、ハンセン病患者さんたちの宿命だったのです。そのような荒れ果てた環境改善に、ダミアン神父は取り組んだのです。けれども、患者さんたちと心を通わすことは、なかなか難しかったのです。つまり、神父も「貴方たちらい患者―」に、向う者であり所詮部外者だったのですが、そこで、神父はもう患者さんの患部に触れること、感染の可能性をも恐れなくなりました。そして、とうとう神父自身もハンセン病に感染し発病してしまったのです。

  こうして、神父は、初めて「我々らい患者―」として関わることができたのです。しかしながら、その後、かれの病状は悪化し、1889415日、協力者の司祭や、シスター、患者さんたち、医師に見守られてその苦難に満ちた生涯を終えられました。

ちなみに日本に現存する最も古い歴史をもっているハンセン病の療養所は、パリ外国宣教会の宣教師テストウィド神父によって創立されました。1883年、水車小屋にひそかに隠れ住んでいた6人のハンセン病の患者さんたちに出会った神父は、その後度々そこを訪問するようになりました。それから、6年後の1889516日、ハンセン病者のための療養所として「復生病院」が正式に開所したのです。また、1923年には、ただ一人の看護婦として井深八重さんが着任しています。実は、八重さんは、1919年ハンセン病と診断されて、復生病院に隔離入院させられました。ところが3年後の1922年にそれが誤診だったと分ったのですが、五代目の院長レゼ―神父の患者さんたちを献身的に看護している姿に感銘し、退院しないで病院に留まることを決意します。その後、看護婦の資格を取得し、その病院の最初の看護婦として働くようになりました。当時は、ハンセン病とその患者に対する厳しい差別と偏見があった時代であったにも関わらず、極貧の状態だった復生病院の婦長として献身的に看護にあたり、その生涯をハンセン病患者の救済のために献げたのです。彼女の働きは、国際的にも高く評価され、1959年には教皇ヨハネ23世により聖十字勲章を、1961年には、赤十字国際委員会よりナイチンゲール賞を受賞し、また、日本カトリック看護協会の初代会長に就任しました。

  ダミアン神父にしろ、井深八重婦長にしろ、の福音が伝えているイエスの働きに見事に参加したイエスの弟子たちと言えるのではないでしょうか。

  実は、わたくし自身も一年間だけでしたが、宮城県の北部にある国立ハンセン病療養所の信者さんたちのために、毎日曜、ミサをささげ、聖堂に来ることができない方々には病室を訪問し、聖体を授けました。或る日曜日、いつものよう個室に入っていた重症の患者さんを訪問したときです。「神父さん、みことばをください」と、か細い声で訴えたのです。その方は、もう何も口にすることができなく、ただ点滴に頼って最期を迎えた方でした。ですから、ご聖体を頂くことができなかったのです。そこで、せめて、みことばから生きる力をもらいたいと切に願ったのです。「みことばをください」との願いにどのように対応したらよいのか、結局、その日のミサでの説教を録音して、毎週届けるようにしました。その方は、62年間の闘病の人生を全うし、神のもとへ旅立たれました。火葬で残されたのは、真っ白に輝いていたお骨でした。すでに、復活の恵みを先取りしたかのような、美しい場面がいまでも鮮明に残っています。

 

キリストに倣う教会となる

  次に、今日の第二朗読ですが、パウロが創立したコリントの教会に、分裂騒ぎ起こり本来の教会の姿を損なうような状態を修復しるために書かれたパウロの手紙からとられています。先ず、キリスト者の基本的生き方を確認しています。

  「あなたがたは食べるにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシャ人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい」と。

  つまり、偽善者にならないように、信仰を生活のすべてにおいて表すような生き方に徹しなさいということです。まして、つまずきを与えるような行動は、極力避けなければなりません。ですから、イエスは、弟子たちと別れる前に、新しい掟を与えられたのです。

  「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と(ヨハネ13.34-35)。

  また、この一週間、日々愛の実践に励むことができるように共に祈りたいと思います。

ダミアン神父と井深八重さん

年間第5主日・B年(12.2.5

 

「試練を乗り越えるために」

 

苦難に満ちたヨブの人生

  今日の第一朗読は、『旧約聖書』の中で独自の文学類型をもっている『ヨブ記』からとられています。著者は、恐らく当時のオリエント世界の多くの国々を旅して、幅広い知識と経験を積み重ねたので、このような優れた文学を生みだすことができたと考えられます。この文書が書かれたのは、紀元前500年から400年の間と思われます。とにかく旧約聖書の中で、なぜ義人(正しい人)も苦しまなければならないのかという難題に、正面から取り組んだ唯一の書物です。

 

  当時は、人間が体験する精神的、肉体的な病気や障害など、災いをもたらすのは悪霊(汚れた霊)の仕業であると考えられていました。また、同時に、人間が体験する様々な障害は、罪の結果であるという「因果応報」の解釈も広まっていました。ですから、イエスの時代にも、たとえば、生まれつきの視覚障害者に出会った弟子たちは、イエスに尋ねました。「ラビ、この人が、生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。それとも両親ですか」と。それに対して、イエスは、お答えになりました。「この人が罪を犯したのでもなく、この人の両親が罪をおかしたのでもない。むしろ、神の業がこの人のうちに現れるためである」と。そして、早速、彼の障害を取り除かれました(ヨハネ9.1-7参照)。

  

  ところで、ヨブが被った禍は、罪の結果ではなく、すべて神の許しを得て、サタンが仕組んだことになっています。ですから、冒頭で、ヨブは、次のように紹介されます。

  「この人は、非の打ちどころがなく、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけていた。彼には七人の息子と三人の娘が産まれた。・・・彼は東のすべての国々の中で一番の大いなる者であった。」

  けれども、彼に、次から次へと禍が容赦なく降りかって来ました。

  「ある日、息子と娘たちが、長男の家で食べたり、ぶどう酒を飲んだりしていた時のことである。一人の使いがヨブのもとにやって来て言った、『牛が耕し、ロバがその傍らで草をはんでいると、シェバ人が襲いかかり、それらを奪い取りました。・・・』。」

  「この男がこう話していると、さらに一人の男が来て言った、『ご子息さまやお嬢さまたちが、ご長男の家で、食べたり、ぶどう酒を飲んだりしておられると、荒れ野の向こうから 大風が吹いてきて、家の四方を襲いました。それで若い方々の上に家が倒れ、みな死んでしまわれました。・・・』そこでヨブは立ち上がり、マントを裂き、頭を剃り、地面にひれ伏して礼拝して言った、『わたしは裸で母の胎を出た。裸で、そこに帰ろう。主が与え、主がお取りになった。主の名は祝されますように』。これらすべてのことにおいても、ヨブは罪を犯さず、神に愚痴ひとつこぼさなかった。」

  そして、とうとう最大の試練を受けることになりました。

  「するとサタンは主に答えて行った、『皮膚には皮膚です。人は自分の命のためなら、持ち物一切を差し出します。今、あなたは手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってごらんなさい。彼はきっと面と向かって、あなたを呪うでしょう』。

  そこで、主はサタンに仰せになった、『では、彼をお前の手に任そう。しかし、彼の命だけは助けてやれ』。そこでサタンは、主の前から出ていって、足の裏から頭のてっぺんまで、悪性の腫れ物でヨブを苦しめた。彼は灰の中に座り、陶器のかけらで体中をかきむしった。」

  そこに、三人の友人が彼に下ったすべての不幸を聞いて慰めにやって来きますが、ヨブは自分が体験している禍について嘆き始めます。今日の朗読個所は、地上における人間の苦しみについて嘆く場面であります。ヨブが最も悩んだのは、なぜ、このよう最悪の禍が自分に降りかかってきたのか、そのを知りたいということでした。

  けれども、とうとうヨブは、神に向って「なぜ」と問うことを止めなければならないということを悟ります。ですから、神に向って次のような信仰告白ができたのです。

  「あなたは、どんなこともおできになり、どんな計画でもできない方ではないことを、わたしは悟りました。・・・わたしは、あなたのことを耳にしていました。しかし、今や、この目であなたを見ています。それ故、わたしは塵と灰の上に座り、自分を退け、悔い改めます」と(ヨブ記1.1-42.16参照)

  自分に与えられた試練は、ただひたすら従順に受け止め、それを乗り越えなければならないのです。パウロは、試練について次のような適切な説明をしています。

  「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるように、逃れる道をも備えていてくださいます」と(コリント一10.13)。

 

癒し主であるイエス

  次に、今日の福音ですが、イエスのこの地上での3年間にわたる働きの中で、最も多かったのはあらゆる病気を癒されたこと、次いで、悪霊を追い出されたことを伝えています。

  ところで、今週の土曜日は、「世界病者の日」ですが、1984年2月11日、「ルルドの聖母の記念日」に前教皇ヨハネ・パウロ二世が発表なさった使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリスー苦しみのキリスト教的意味』によるものです。そこで、今年も教皇様はこの日に因んでメッセージを御出しになりました。その全文は、今日の「カトリック新聞」の四面に掲載されています。その中から少し長くなりますが、引用したいと思います。

  「福音書を読むと、イエスが常に病者に特別な配慮を示しておられたことがはっきりと分ります。イエスは病者の傷をいやすために弟子たちを遣わしただけでなく、病者の塗油も制定しました。ヤコブの手紙は、この秘跡のわざが、すでに初期キリスト共同体で授けられていたことを証言しています。全教会は、長老の祈りを伴う病者の塗油によって、苦しみを負い栄光を受けられた主に病者を委ねます。主が病者の苦しみを和らげ、彼らを救うためです。教会はさらに、神の民の善に貢献するために、キリストの受難と死に霊的に一致するよう病者を励まします。・・・いやしの秘跡は、病者がキリストの死と復活の神秘にこれまで以上に完全に一致するのを助ける、神の恵みの尊い道具です。・・・わたしは聖体の重要性も強調したいと思います。病のときに聖体を拝領することは、唯一の方法によって、ある変容を起こす力となります。すなわち、キリストの体と血を受ける人が、すべての人の救いのために自らを御父にささげた方と結びつくのです。全教会共同体、とりわけ小教区共同体は、健康や年齢上の理由により礼拝の場に行けない人が、頻繁に聖体拝領することができるように注意を払うべきです。このようにして、この兄弟たちは十字架に架けられ復活したキリストとのきずなを強めることができます」と。

  ですから、信徒の皆さんも、病人の方々を訪問し、聖体をさずけることができます。とにかく、いやしの奉仕を忠実に続けることは、共同体に託された大切な務めです。

サタンに苦しめられるヨブ(ブレイク)

年間第4主日・B年(12.1.29

「黙れ。この人から出て行け。」

解放者モーセの召命

今日の第一朗読は、『申命記』からとられていますが、この書物が実際に書かれたのは、恐らく紀元前7世紀に、祭司、あるいはレビ人(びと)、またはそのような人たちの小グループによって書かれたと思われます。内容は、40年にわたる荒れ野の旅の(あと)、ようやく約束の地カナンをヨルダン川の向こう岸に眺めることができる東河畔が場面です。そこで、モーセがイスラエルの民に情熱を込めて語った説教集であります。ですから、実際にカナンに到着したのは、紀元前13世紀末ですから、6世紀以上も(あと)に書かれたという隔たりがあるわけです。 今日の箇所では、モーセが、同胞の中から選ばれて預言者となったことが説明されています。なぜなら、彼は、口に神のことばを授けられ、神の命ずることを人々に告げていたからです。

  けれども、彼の預言者としての召命は、同時に同胞をエジプトの奴隷の家から救い出すという解放者の召命でもあったのです。ですから、先ず神ご自身が、苦しみあえいでいるヘブライ人たちを救い出すことを、モーセに向って次のように宣言しています。

  「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、負い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、・・・広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、・・・へ彼らを導き上る。見よ、イエスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。・・・今行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と(出エジプト、3.7-10)。

けれども、頑ななモーセは、その命令に二つ返事で従いませんでした。

「ああ、主よ。わたしはもともと弁の立つ(ほう)ではありません。あなたが僕におことばをかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」と。それに対して、主は励まして言われます。「さ、行くがよい。このわたしがあなたの口になって、あなたが語るべきことを教えよう。」

  ところが、モーゼはなかなかハイと言いません。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけて、遣わしください」と。そこで、主はとうとう怒りを発します。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。・・・その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向っている。・・・彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。・・・」と(同上4.10-15参照)。

  結局、モーセは兄のアロンの協力によって、同胞たちをエジプトから脱出させるという重大な使命を実行することができたのです。

  いつの時代においても、神は、苦しみ、抑圧され、虐げられ、搾取されている人たちを救い、解放する神でありますが、神の道具となって働く人々をもお選びになります。

  例えば、アメリカ合衆国における黒人解放運動と公民権運動の指導者マルティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)牧師も、最期は暗殺されましたが、まさに神から選ばれた代表的な解放者の一人です。また、中米のエルサルバドルの殉教者オスカル・ロメロ大司教は、最初は保守的な立場を維持していたのですが、不当な国家権力によって弾圧され、抑圧され、搾取されている貧しい人たちとの関わりをとおして、自分も彼らと連帯することによって、抑圧から彼らを解放する神の道具となったのです。その時から、彼は、まさに預言者として、自分の命を危険にさらすことになりました。治安部隊が貧しい人々のデモ隊に向けて発砲した直後で、ロメロ大司教は、次のようにはっきりと宣言しました。

  「人々の解放を求める叫びは神のもとに届く叫びです。何ものも、誰も、これを引き止めることはできません。・・・わたしたちの解放の偉大な指導者は、油を注がれたお方、主であります。主が貧しい人々のもとに良い知らせを告げようと、囚われた者を解き放とうと、行方(ゆくえ)不明者に知らせを伝えようと、嘆き悲しむ多くの家庭に喜びをもたらそうと、主が来られるのです。・・・キリストはまさしく、新しい社会、よい知らせ、新しい時代を告げるために来られるのです」と(『オスカル・ロメロ、エルサルバドルの殉教者』149150頁)。

  1980 324日、ミサでパンとぶどう酒を奉献しようとしたとき、一発の銃弾が彼の心臓を貫く直前、静かに語りました。

  「命を、キリストの愛のために、そして他者への奉仕のうちの捧げる者は、死んだ種のように生きるでしょう。・・・すべての人々のために、このいけにえとして献げられた御体と御血が、わたしどもを養い、キリストがなされたように、わたしどもの体と血を献げることができますように。・・・」(同上157頁)。

解放者イエスの働き

次に、今日の福音ですが、イエスの教えは特別の力を孕んでいることに人々が驚いたことを報告しています。つまり、イエスのおことば一つ一つに、現実を変えることができるインパクトが込められているということです。ですから、

  「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はたちどころに出で行ったのです。

  また、イエスは死んですでに四日もたっているラザロを生き返らせる前に、次のように天の御父に向って祈られました。

  「父よ、わたしの願いをいつも聞いてくださって感謝します。・・・しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」と。そこで、イエスは大声で叫ばれました。「ラザロ、出て来なさい」と。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来たのです(ヨハネ、11.41-44参照)。

  イエスこそ、わたしたちを復活の力によって死から解放してくださいます。

  ところで、仙台教区は、昨年の大震災と原発事故という最悪の禍を体験したことによって、新しい創造に向って力強く歩み始めました。今日の「カトリック新聞」は、岩手県の大船渡教会が、大阪教会管区の支援拠点に生まれ変わったことを、第一面に掲載しています。大船渡ベース「地ノ森いこいの家」の開所式が、去る114日に地元の方々も大勢参加して行われたのです。震災前までは、教会は地域の人々と関わることが殆どない、信者だけの小さな共同体でしたが、大震災という最大の試練を一緒に体験したことによって、教会と被災者の方々との間に強い連帯感が生まれたのです。つまり、仙台教区は、大阪教会管区の力強い援助によって、地元の被災者の方々の支援活動を開始できたのです。

  大船教会といえば、1960年のチリ地震津波後、スイスからの援助で被災者の方々のために「スイスハウス」という仮設住宅を建てた歴史をもっている教会です。今、わたしたちの教会は、自分たちのための教会から、地域の人々のための教会に新たに創造されつつあります。

  教会が、神の国の到来をあかしするため、イエスと共に、助けを必要としている方々に愛を込めて関わり続ける奉仕の共同体になることができるよう共に祈りたいと思います。

地の森いこいの家

年間第3主日・B年(12.1.22

 

「二人はすぐに網をすてて従った」

 

神を信じ、断食を呼びかけ、身にをまとった

  今日の三つの聖書朗読箇所は、いずれも共通して回心への呼びかけがテーマになっていると思います。先ず、第一朗読は、遅くとも紀元前三世紀末に書かれたもので、アッシリア帝国の首都ニネベの人々に回心を訴えた預言者ヨナの体験を語っています。また、第二朗読は、パウロが、創立したコリントの教会が分裂騒ぎを起こしていると聞き、まさに彼らの回心を呼び掛けキリストの再臨が押し迫っているので、神に立ち返るように情熱を込めて書き綴った手紙からとられています。そして、今日の福音ですが、最初の四人の弟子たちが、すべてを捨ててイエスに従った召命の場面を描いております。

  それでは、まず、預言者ヨナの回心の物語に注目して見ましょう。この預言書の第一章では、ヨナ自身の回心の体験が、あたかも冒険物語のような文体で語られています。ですから、本文のさわりの箇所をそのまま引用したいと思います。

  「主のことばが、アミタイの子ヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行って、町に向って叫べ。彼らの悪がわたしの前に届いている。』しかし、ヨナは、主から逃れようとして出発し、タルシシュに向った。・・・人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向った。」(ヨナ書1.1-3)預言者であっても、神の思いにではなく、自分の思いに負けてしまう弱さを持っていたことに注目したいと思います。そして物語は、冒険物語に展開して行きます。

  「主は大風を海に向って放たれたので、海は大時化(おおしけ)となり、船は今にも砕けそうになった。船乗りたちは恐怖に陥り、それぞれ自分の神に助けを求めて叫びをあげ、積み荷を海に投げ捨てて、船を少しでも軽くしようとした。しかし、ヨナは船底に降りて横になり、ぐっすりと寝込んでいた。船長はヨナのところに来て言った。『寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ。神が気づいて助けてくれるかもしれない。』さて、人々は互いに言った。『さあ、くじを引こう。誰のせいで、我々にこの災難がふりかかたのか、はっきりさせよう。』そこで、くじを引くとヨナに当たった。人々は彼に詰め寄って、『さあ、話してくれ。この災難が我々にふりかかったのは、誰のせいか。・・・』・・・ヨナは、彼らに言った。『わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。』人々は非常に恐れ、ヨナに言った。『なんという事をしたのだ。』人々は、主の前から逃げて来たことを知った。彼が白状したからである。・・・ヨナは彼らに言った。『わたしを海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている。』・・・彼らがヨナを捕えて海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まった。」(同上1.4-15)

  ところが、なんと、神がヨナを助けてくださったのです。

  「さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。・・・息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。・・・救いは、主にこそある。主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐きだした。」(同上2.1-11) そして、今日の箇所に続きます。

  神の前から逃げてしまうとは、まさに神のご命令に従わないことで、その状態から自分を全面的に方向転換させ、再び神のもとに立ち返ることが回心にほかなりません。そして、心を入れ替えて神のご命令に忠実に従うことなのです。

すぐに網を捨てて従った

 次に、今日の福音ですが、最初の弟子たちの召命を描いています。イエスが、まず彼らがガリラヤ湖で網を打っているのをご覧になったのです。そして、直接彼らに声を掛けられました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と。彼らがイエスを見つけたのではなく、また、弟子にして欲しいと願ったのでもありません。まさに、イエスのほうが、一方的に彼らを発見し、いきなり弟子となるよう呼びかけられたのです。ですから、召命を受けるということは、あくまでもイエス自身が、わたしたち一人ひとりを捜し出し、それぞれの道に呼んでくださることにほかなりません。イエスは、厳かに宣言なさいます。

  「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の得があろうか。」(マタイ16.24-26)

  洗礼を受けて信者となることは、まさにイエスの弟子になることで、キリスト者としての召命をいただくことにほかなりません。しかも、この召命は、ある一定の期間のことではなく、生涯かけてイエスの呼びかけに応え続けることが肝心であります。イエスの弟子となったからには、殉教をも覚悟することが必要です。ですから、イエスが「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われたのは、イエスの歩まれた道を、命がけで忠実に歩み続けなさいと言う励ましのおことばではないでしょうか。

  ところで、日本におけるカトリック教会の歴史で、最も多くの殉教者が血を流したのは、キリシタン時代であったことは明らかです。イエスは、断言なさいました。「わたしのために命を失うものは、それを得る」と。自分の命をささげることによって、永遠の命を頂くことができるのです。

  ここで、キリシタン文学が書き遺した殉教の一場面を、紹介したいと思います。まず、時代背景を簡単に説明します。1613年夏、江戸で幕府によって22名のキリシタンが処刑されたのに続いて、長崎でも幕府の命にしたがってキリシタンに対する迫害が始まったのです。同年10月、八名の信徒が逮捕されたのち、処刑されました。彼らが囚われていた牢獄の周りを、大勢のキリシタンたちが取り囲み、殉教を見守ろうとしていました。その時の様子をドミニコ会士オルファネールが次のように書き留めています。

  「まだ十三歳の少年ヤコベは近づいて来る大勢の人々をからしばしば見るようになった。彼の姿を見ると、人々はいずれも大声を挙げた。「ヤコベ様、ヤコベ様、を頼みまらすに」、・・・少年は愛らしく一同に答えた。「まだまだ、まずおらしょを頼みまらする。・・・少年ヤコベは縛られていた縄が強い火で焼かれ、火が着物や髪の毛を覆った時、イエズス、イエズスと言いながら、まだ息のある母親の方へ歩みよると、母御は、はっきりとした意識で「ヤコベ、ご覧よ、天国を」と言い、少年がさらに近づくと即刻息が絶えた。・・・他の人々も柱とをそれぞれ抱き、燃えさかる火に共にその栄光の生涯を終えた。それは多数の人々に一種の清らかな憧れと殉教者に倣いたいとの熱烈な望みを生じさせた。あらゆる人々は刑場を深く尊重し、近くを通る者は、たとえ馬上で通る場合でも下馬して祈りを捧げている。」(『キリシタンと翻訳』205-207)

「クジラから逃れるヨナ」ヤン・ブリューゲル(父)

年間第2主日・B年(12.1.15

 

「そしてその日は、イエスのもとに泊まった」

 

年間の始まり

一年で一回りする「典礼歴(教会歴)」を通して、教会はキリストの神秘を祝い続けます。この「典礼歴」は、固有の特徴がある「季節」と、それ以外の期間である「年間」とに分けられています。

  この「季節」には、まず、「過越の聖なる三日間」を頂点とする「四旬節」と「復活節」があり、次いで「主の降誕の祭日」を中心とする「待降節」と「降誕節」があります。

  また、これらの「季節」以外の期間が「年間」と呼ばれますが、キリストの神秘全体にわたって記念して行きます。ですから、今年の「年間」は、先週の十日に始まり、「四旬節」の始まる「灰の水曜日」の前日で一旦終わります。

  とにかく、教会の典礼は、世間一般で使われている暦によってではなく、教会固有の暦に従って「キリストの救いの神秘」を、記念し祝い続けます。 

  どうぞ、各ご家庭に用意なさった『カトリック教会情報ハンドブック』にこの典礼歴が掲載されていますので、ご覧ください。日々の生活が、信仰に生かされた日々になるよう、この「典礼歴」に忠実に従うのが、キリスト者の生き方ではないでしょうか。

少年サムエルの信仰の初体験

さて、今日の第一朗読ですが、イスラエルの歴史において、士師の時代(1200-1030)から王国時代(1030-587)に移り変わっていく転換期に、最後の士師として活躍したサムエルの最初の信仰体験を見事に描いたエピソードです。

では、テキストを少していねいに読みかえしてみましょう。まず、「その日、少年サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた」とあります。

まず、サムエルの母親について一言触れる必要があります。彼の母は、エルカナという人物の二人の妻の一人目ハンナであり、もう一人はペニナでした。このハンナは、子宝に恵まれず、そのため、既に子どもが授かっているペニナにいびられどおしの辛い日々を送っていたのです。そこで、家族全員が、毎年恒例のシロにある聖なる神殿に詣でたとき、ハンナは自分の深い悩みに耐えかねて一人神殿で涙ながらの祈りをささげていました。その神殿に仕える高齢の祭司エリは、彼女が長時間神殿に留まっていたので、気になって近寄って来たのです。その時のことを、サムエル記は次のように詳しく描いています。

  「ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、彼女に言った。『いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。』ハンナは答えた。『いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。』そこでエリは、『安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえて下さるように』と答えた。・・・主は彼女を御心に留められた。ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子どもなので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた」(サムエル記上1.12-20)。

  その後、神に誓った通り、ハンナは乳離れしたサムエルを主にささげるため祭司エリに託しました。今日のエピソードは、エリのもとにサムエルの最初の信仰体験を、感動的に伝えている場面です。

  この少年サムエルの信仰体験は、神に対する信仰がどのようにして芽生えるのかを、極めて具体的に説明しているのではないでしょうか。

  先ず、サムエルが神殿でエリに仕えていた頃の時代背景ですが、サムエル記は、「そのころ、主のことばが臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」(同上3.1b)と端的に説明しています。それは、イスラエルの歴史に、「主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った」からです。しかも、「先祖の神、主を捨て、他の神々に従い、これにひれ伏して主の怒りを引き起こした。」(士師記、2.10-12)のです。

  とにかく、サムエル少年も、まだ神を知らなかったので、神のことばを聞くこともできなかったのです。ですから、最初に名指しで神に呼ばれたサムエルは、てっきりエリが自分を呼んだと勘違いして、早速、エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と、寝ぼけをこすりながら答えました。エリもびっくりして目を覚まし、「わたしは呼んでいない。戻ってお休み」と優しく応対しました。とうとう三回も同じことが起こった時、目がかすんできて、もう見えなくなっていた祭司エリが、はたと悟ります。「少年を呼ばれたのは主である」と。そこで、エリは、サムエルに教えます。「もし、また呼びかけられたら、主よ、お話ください。僕は聞いております」と言いなさいと。

  このサムエル少年の体験は、わたしたちの信仰体験の原型にほかなりません。パウロは次のように、はっきりと教えてくれます。

  「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストのことばを聞くことによって始まるのです」と(ローマ、10.17)。

  ですから、わたしたちが若い世代に信仰をしっかりと伝えることが、できないでいるとしたら、子どもの世代、若者の世代にこの信仰体験の原点すなわち神のことばを聞くことができるという肝心なことを伝えていないからではないでしょうか。しかも、この神のことばを聞くことができるためには、日々聖書を開いて、神のことばを読み取ることが肝心です。パウロは、晩年、弟子のテモテに最後の手紙を書き送りました。その中の触りの箇所を、引用します。

  「また、自分(テモテ)が幼い日から聖書に親しんできたことを知っているからです。・・・みことばを伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテ二、4.2)。

その日は、イエスのもとに泊まった

次に、今日の福音は、最初の弟子であるアンデレとヨハネのイエスとの最初の感動的な出会いを、見事に描いています。

  「二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは、振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。彼らが、「ラビ、どこに泊まっておられるのですか』と言うと、イエスは、『来なさい。そうすれば分る』と言われた。・・・その日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。」この福音書を書いたのは、恐らくヨハネの共同体でしょうか、弟子のヨハネは、殉教しないで長生きしたと伝えられていますが、幾つになっても、自分の人生を決定づけたイエスとの最初の出会いは、その時刻までも正確にに焼き付いていたのでしょう。イエスの弟子になるとは、イエスの生き方に倣うことに他なりません。そのため、たとえイエスと寝食を共にすることができなくても、常にイエスのもとに留まっていなければなりません。イエスから、決して離れないように。今年一年、日々、イエスと共に生きることができるよう共に祈りたいと思います。

少年サムエル

主の公現(12.1.8

 

「諸国民の上に輝いた救いの光」

 

主の公現の祭日の由来

今日の祭日の「公現」という言葉ですが、もともとは「出現、あるいは輝き」を意味するギリシャ語の「エピファネイア」(Epiphaneia)に由来し、西方教会では、「エピファニア」(Epiphania)とラテン語で表しています。そして、この祭日の意義は、神が、「キリストを遣わし、諸国の民に救いの神秘を示して」(ミサの叙唱)くださり、神の栄光が幼子イエスの上に輝いたことを、賛美することにあります。

  この祭日は、おそらく、古代エジプトで一月の夜からにかけて祝われていた祭りや、ナイルでの祭りに由来すると考えられていますが、やがて二世紀から三世紀ごろからは、東方教会で一月のの学者たちの(今日の福音:マタイ福音2章1節〜12節参照)、ヨハネによるイエスの洗礼(マルコ福音1章9節〜11節参照)、さらにカナの婚礼での最初の奇跡(ヨハネ福音2章1節〜11節参照)という、イエスの誕生とその後の出来事が典礼において記念されるようになりました。

  ですから、の福音は、東の国からの学者たちが、不思議な星に、幼子イエスに、黄金、、を贈り物としてことを伝えています。ところで、その学者たちの人数は、実は、聖書には書かれてはいないのです。ところが、初代教会の神学者(教父)オリゲネス(185-254年)によって、これら三つの贈り物にちなんで三人と定められたのです。それから、この学者たちは王さまにされ、名前も、バルタザール、メルキオール、カスパールと付けられました。さらに、不思議なことに、1164年7月23日に、彼らの聖遺物をイタリアのミラノから、ドイツのケルンに運び、ケルンの大聖堂に飾るようになったことです。そのため、この三人の学者たちに対する崇敬が、西欧で盛んになりに至っているのです。

主の栄光はあなたの上に輝く

それでは、今日の第一朗読箇所を簡単に説明したいと思います。今日の箇所は、『イザヤ書』で「第三イザヤ」(56章〜66章)と呼ばれる箇所からとられています。この「第三イザヤ」の時代背景ですが、イスラエルの民が、半世紀以上にわたるバビロンでの捕囚からようやく解放され、やっと故国に帰ることができた時です。そして、荒れ果てた都エルサレムに神殿を再建するという大事業を、貧しい生活のさなかに成し遂げたにもかかわらず、預言者たちが約束した神の栄光が輝いたとは言えない状況でした。ですから、結果的に人々の神への信頼がゆらぎ始めていたのです。

  ところが、「第三イザヤ」は、そのような暗い不安定な時代に、何と、主なる神の栄光が輝き始めると力強く預言したのです。

  「エルサレムよ、起きよ、光を。

  あなたを照らす光は、主の栄光はあなたの上に輝く。

  見よ、闇は地を、が国々をいる。

しかし、あなたの上には主が輝きで 主の栄光があなたの上に現れる。

  そのとき、あなたはも喜びに輝き

  おののきつつも心は晴れやかになる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を来る」と。

  昨年の大震災と原発事故によって、確かに広範囲にわたって悲しみと苦しみの黒雲にすっぽり覆われてしまいました。特に、美しいふるさとが大津波によって跡かたもなく流されてしまい、家も、仕事も奪われてしまいました。昨年の4月には、全国から駆け付けたボンランティアの方々は、ピークの達し17万人を超えましたが、今は、その時の1パーセントの人数に減少しています。とにかく、被災地では、まだ援助を待っています。なぜなら、今なお、預言者たちは、「あなたは畏れつつも喜びに輝き おおのきつつも心は晴れやかになる」と、叫び続けているからです。

彼らはひれ伏して幼子イエスを拝み、贈り物を

ところで、このイザヤの希望に満ちた預言が、イエスの時代になって見事に成就したことを、今日の福音は伝えています。

  ユダヤ人の王の誕生を示す不思議な「星」を、の学者たちは、遥か遠い東の国で、発見したので、その新しく生まれた王を「拝む」ためにエルサレムに。そして、ユダヤの王ヘロデに早速。

  「ユダヤ人の王としてお生まれになったは、どこにおられますか。わたしたちはでそれを見たので、拝みに来たのです」と。

  ところが、これを聞いたヘロデ王だけでなく、エルサレムの人々も、不安をと、マタイは説明しています。では、この不安の原因は、だったのでしょうか。むしろ、新しい王の誕生を、皆で祝福し、喜び祝って当然ではないですか。

  確かに、この大王と呼ばれ自分の王座をないものとしていたヘロデにとって、この新しい王の誕生によって、自分の地位が、まさにと恐れたのでしょうか。では、エルサレムに住む人々までもが、不安をのはでしょうか。実は、この人々の反応を説明するような預言が、エルサレムの神殿でメシアが現れるのを、ひたすら待ち続けていたシメオンによって宣言されました。このシメオンは、まず幼子イエスをに、神を賛美します。

  「主よ、今こそあなたは、おことばどおり

  このをに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは、のためにくださった救いで、を照らすの光、あなたのイスラエルのです」と。

  それから、母親のマリアに向って預言します。

  「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしといます」と(ルカ福音2章28節〜34節)。

 この敬虔な博士たちは、あの不思議な「星」に導かれ幼子を探しあてます。当然なこと彼らは、その星を見たとき喜びに満たされました。

  では、わたしたちを導いてくれる「星」があるのでしょうか。イエスは、宣言なさいました。

  「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなけれべ、だれも父のもとに行くことができない」と(ヨハネ福音14章6節)そして、イエス・キリストこそ、人と「みことば」そのものにほかなりません(ヨハネ福音1章14節参照)。ですから、『詩編』は、みことばこそが、わたしたちの日々の歩みを導くことを強調しています。「みことばは、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。若い人はどうすればそのを清く保つことができるのか。 それは、あなたのことばを守ることにある」と(詩編119編105節、9節)。

  今年もまた、わたしたちを導いてくださるみことばに忠実に従うことができるよう共に祈りたいと思います。

主の公現

神の母聖マリア(12.1.1

 

「神の母聖マリア、わたしたちのためにお祈りください」

 

マリアは神の母である

  西暦433年の春、アレキサンドリアの司教キュリロスとアンチオキア教会の諸司教は、次のような信仰宣言をいたしました。

  「神の母(テオコトス)である処女について、また、神のひとり子の受肉について、どのように考え、どのように表現すべきかを簡単に述べたい。・・・

  我々は、次のように宣言する。すなわち、神の独り子であるわれわれの主イエス・キリストは、完全な神であり、理性的霊魂と肉体を備えた完全な人間である。・・・神性においては、父と同質であり、人間性においては我々と同じである。こうして、二つの本性の一致が行われた。こうしてわれわれは、唯一のキリスト、唯一の子、唯一の主を宣言する。この混合することのない一致のために、我々は、聖なる処女が神の母(テオコトス)であると宣言する。神であるみことばが受肉し、人間となって、受胎の瞬間から、マリアから受けた神殿を自分に一致させたのである。」と

  このように、マリアの「神の母」という称号を宣言したのは、西暦5世紀の前半にまでさかのぼるカトリック教会の伝統に基づくのです。

  また、典礼において、1月1日にマリアの祭日を祝うようになったのは、ローマ教会の固有の伝統に由来します。さらに、主の降誕を祝う八日目であることも強調されたのですが、(「主の降誕八日目」とう表記は残っている、また今日の福音の21節参照)、現在の典礼歴においては、もともとのマリアの祝日に戻ったことになるのです。

世界平和の日の教皇メッセージ

  また、今日は、「世界平和の日」として全世界の平和のために特別に祈る日です。

  これは、教皇パウロ六世が、1968年1月1日に、特にベトナム戦争がますます激しさを増して来たので、平和のために特別な祈りささげるよう全世界に向けて呼びかけました。それ以来、全世界のカトリック教会は、毎年、1月1日を「世界平和の日」として、この地上のあらゆる戦争や争い、憎しみ、そして飢餓なのない平和が実現するよう祈り、働く決意を新たにするのです。

  また、この日に、ちなんで教皇「世界平和の日」メッセージを全世界に向けて送るようになったのです。今年のメッセージは、今日付けのカトリック新聞で紹介されています。今年のテーマは、「若者に対する正義と平和の教育」です。

  このメッセージは、すでに昨年の12月16日に発表され、世界各国のバチカン大使によってそれぞれの国の政治指導者たちに配布されています。ここでは、メッセージの主な箇所を、かいつまんで読み上げたいと思います。

  「神が人類に与えてくださったである新年の初めにあたり、わたしは深い信頼と愛を込めて、心からの挨拶を送りたいと思います。どうか、これからの一年が正義と平和によって具体的な仕方で特徴づけられますように。・・・

  ところで、わたしたちはどのようなで新年を迎えたらよいのでしょうか。詩編第130編に、とてもすばらしいイメージを見出すことができます。

  即ち、信じる人は、主を待ち望みます。『見張りが朝を待つにもまして』(6節)。信じる人は確かな希望をもって主を待ち望みます。・・・皆さんにお願いします。この信頼の態度で2012年を見据えてください。・・・あたかも闇が現代の世界を覆い、日の光をはっきりと見ることを遮っているかのように思われます。しかしながら、人間の心は、このような闇の中にあっても、夜明けを待ち望み続けます。この期待は特に、若者のうちに生き生きした姿で見ることが出来ます。

・・・若者に、生きることの積極的な価値を重んじることを伝え、若者たちが、自分たちの人生を神に仕えるものとしたいという願望を抱かせることです。・・・

子どもは家庭で人間的・キリスト教的な価値観を学びます。・・・子どもは家庭の中で、世代間の連帯、規則を尊重すること、ゆるすこと、他者を受入れることを学びます。・・・また、平和とは単に戦争がないということだけではなく、また敵対者間の力の均衡を図るということだけでもありません。地上で、平和が実現するために、各個人が擁護され、人間相互の自由な交流、個々人ならびに緒民族の尊重、兄弟愛の熱心な実践があってのことです。・・・『若者に対する正義と平和の教育』のために、わたしたちの霊的・道徳的・物質的力を結集しようではありませんか」。

マリアは出来事すべてを心に納め、思い巡らしていた

また、「神の母聖マリアの祭日」の今日、わたしたちは、この神が与えて下さった新しい年の初めにあたって、信仰に基づく生き方を再確認したいと思います。それは、マリアの生き方に倣うことにほかなりません。福音書に最初に登場するのは、おとめマリアが、天使ガブリエルから重大なお告げを知らされた場面です。

  天使は、マリアに答えました。「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを覆うでしょう。それゆえ、お生まれになる子は聖なる者で、神の子と呼ばれます。・・・神には、何一つお出来にならないことはないからです」と。

  確かにマリアも、この天使の最初の挨拶を受けたとき、先ず、常識的な人間の思いによって思い悩んでしまいました。けれども、天使のさらに詳しい説明を聞かされたとき、まさに全能の神に対する確固たる信仰によって神のご計画に全面的に協力する決意を表すことができたのです。ですから、「わたくしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」と、見事に信仰告白ができたのです。ちなみのここで言われている「主のはしため」という言い回しですが、恐らく詩編123編を思い起こして、ご自分のことを「主のはしため」と、言ったのではないでしょうか。詩編123編は、次のように詩っています。「目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます 天にいます方よ。ご覧ください、が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます」と(1-2節)。

  まさに「主のはしため」という比喩的表現で、マリアの神の憐れみに対する全面的な信頼を表しています。次の、「おことばどおり、この身になりますように」という信仰告白は、マリアの信仰の土台を表しています。つまり、マリアは、アブラハムのように徹底して神のみことばに従うという信仰を生きているのです。ですから、親類のエリザベトは、マリアに「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と(ルカ1.45)、最高のほめ言葉を送りました。

  マリアの生き方の基本は、神が出来事を通して語りかけるみことばを、すべて「心に納めて、思い巡らす」ことにほかなりません。

  わたしたちも、今年一年間に起こる様々な出来事の中からみことばを読み取り、それらを深く味わい、神のみ旨を忠実に生きることができるように共に祈りたいと思います。

神の母聖マリア

主の降誕(日中のミサ)11.12.25

 

「わたしたちは、今すでに、神の子です」

降誕祭の三回のミサの由来

 今日、ささげているミサは、主の降誕の「日中のミサ」ですが、なぜ、同じ祭日に三回にわたってミサをささげるようになったのか、古代ローマや中世の西欧諸国の伝統を振り返る必要があります。つまり、降誕祭のミサが、真夜中、早朝、そして日中の三度に分けてささげるようになったのは何故かということです。この典礼の伝統は、ローマの慣習にその由来があります。本来、ローマの降誕祭は、教皇が聖ペトロ大聖堂で、25日の午前9時ごろに教皇ミサをささげていました。続いて、五世紀になるとローマにあるサンタ・マリア・マジョーレ教会での深夜のミサが加わるようになりました。そして、さらに早朝にもミサがささげられるようになったと考えられます。

  ですから、西欧中世の神秘家たちは、この降誕祭に三回もミサをささげる意義について、イエスが三回誕生なさってということに結びつけて説明しています。すなわち、降誕日は、あらゆる時と場所を超えた、天の父よりの御子の誕生と、おとめマリアから神の子としての誕生と、これは、今日のミサのテーマである「受肉の神秘」つまり「みことばが人となられた」ということと、さらに、聖霊によるわたしたち一人ひとりの魂の中の神の誕生、この三つの誕生が降誕祭に含まれているという説明であります。

みことばは人間となり、われわれの間に住むようになった

ちなみに今日の福音の触りの箇所を、フランシスコ会の『聖書』からを引用してみます。

  「初めにみことばがあった。みことばは神とともにあった。みことばは神であった。・・・みことばは自分の民の所に来たが、民は受入れなかった。しかし、みことばを受入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。・・・みことがは人間となり、我々の間に住むようになった」と。

  既に、旧約時代の紀元前8世紀ごろ、ユダ王国で活躍した預言者イザヤは、目の前の王アハズが、王国が危機に直面し、それを乗り越える方法を決定できずに、心が動揺しているのを見かねて、大切な預言を伝えました。

  「見よ、おとめが身籠って男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と。この預言は、恐らくやがて生まれる王子ヒゼキヤの誕生を知らせるものだったのですが、メシアである神の独り子の誕生の預言であるというのが教会の伝統です。ですから、福音記者マタイは、このイザヤ預言(7.14参照)を、引用してイエスの誕生の出来事を、次のように説明しています。

  「これはすべて、主が預言者を通して告げられたことが成就するためである。・・・この名は、『神はわたしたちと共におられる』という意味である(マタイ2.22-23)と。ちなみに、マタイは、自分の福音書の冒頭で、この預言の句を引用し、また、その福音書の締めくくりで、イエスご自身の地上における最後の派遣のことばとしています。

  「わたしには天においても地においても、すべての権能が与えられている。だから、あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる」と(マタイ28.18-20)。

  ですから、イエスが、わたしたちちともにいて下さるためには、世界中の人々に福音をべ伝えなさいというイエスの至上命令を遂行しなければならいのです。

信仰は、神の働きによって生まれ変わり「神の子」となること。

  次に、今日の福音のメッセージの中の、12節の「神は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」という句に注目したいと思います。神であるみことばが、人間となられたことを信じるなら、わたしたちは、神の子になることができるのです。ですから、ヨハネはキリスト者に宛てた手紙の中では、次のように説明しています。

  「わたしたちは神の子と呼ばれるほどで、事実、そのとおりです。愛する者たち、わたしたちは今すでに神の子ですが、自分がどうなるかは、まだ明らかになっていません。しかし、あの方が現れるとき、わたしたちは、あの方に似た者となることを知っています。なぜなら、あの方をありのまま見るからです」と(ヨハネ一、3.1-2)。ですから、わたしたちは、生涯かけて、神の子としてイエスに似た者となるよう、イエスのおことばによって養われ、育てられなければなりません。イエスが、弟子たちと別れるに際に、過越祭の食事をなさいましたが、その席上で語られた告別説教の冒頭で大切なことを命じられました。

  「わたしは新しい掟をあなたたちに与える。互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うなら、それよって人は皆、あなたたちがわたしの弟子であることを、認めるようになる」と(ヨハネ13.34)。

  先日、宮城県の独り暮らしの年配の女性の信者さんが、電話でご自分の通っている教会が、明るく楽しくなったことを報告してくれました。なぜなら、最近、他から移って来た韓国人の家族ですが、この目が不自由で、さらにいろいろな持病を抱えている彼女を、ミサに参加できるよう、毎週、必ず迎えに来てくれるし、また、帰りも車で送ってくれるそうです。また、看護科の4年生の女子高生は、彼女にぴったりと付き添ってくれるというのです。このように、先ず、信者同士の間で愛の実践があるならば、外部の方たちも教会に集っている信者さんたちが、キリストの教えを忠実に守っていると認めてくれるのではないでしょうか。

  しかも、イエスの生き方に倣うということは、自分中心ではなく、共にいきるという分かち合いの原則を守ることであり、特に苦しみの中におられる一人ひとりに寄り添うことです。寒さに向うこの時期、仮設住宅で十分な温かさを確保できない独り暮らしのお年寄りの方々を、今、大勢のボランティアの方々が訪問しています。

降誕祭の「日中のミサ」をささげることができる特別な恵みに感謝するとともに、日々の生活の中で、愛の実践に励むことができるよう共に祈りたいと思います。

主の降誕

待降節第4主日・B年(11.12.18

 

「おことばどおり、この身に成りますように」

あなたの王座はとこしえに固く据えられる

いよいよ、待降節の最後の週を迎え、主の降誕祭に向けてのの準備を整える大切な時期と成りました。そのため、今日の聖書朗読は、いずれも神の救いの歴史において、救い主・メシアの到来に深く関わった信仰の先達たちのよって立っていた信仰の原点を、改めて確認できる内容になっています。

  先ず、第一朗読ですが、メシア預言を代表する預言者ナタンに、夜、神のダビデ王に対することばが与えられた場面が語られています。

  「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と。

  これは、あくまでも現実のダビデ王を理想化し、やがて現れる救い主メシアの到来を預言していると理解することができます。ですから、来るべきメシアは「ダビデ家とその血筋に属している者」(ルカ2.4参照)から生まれるという預言に発展にしたのです。

  ところで、イスラエルの歴史において王たちが登場するのは、紀元前11世紀以降ですが、この王制を導入するに当たって、最後の士師サムエル目には、「我々のために裁きを行う王を立ててください」という長老たちの要求は、悪と見えたのでした。

  そこで、サムエルは神に祈りました。ところが、神の答えは、意外な内容だったのです。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らがしりぞけたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。・・・今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきりと警告し、彼らの上に君臨する王の権限を教えておきなさい」と(サムエル記上8.5-9)。

  ですから、結局、実在した歴代の王たちに失望した結果、理想化したダビデ王の子孫に救い主を待ち望むメシア預言が発展したのであります。

  このようにして、士師時代から王国時代に時代が大きく変わる大切な時期に、特に最後の士師サムエルは、徹底して神のことばに忠実に従うことによって、救いの実現のために大切な役割を担ったのであります。

わたしたちの福音、イエス・キリスト

次に、今日の第二朗読ですが、パウロは、わたしたちに与えられたメシアは、イエス・キリストであり、まさに「良き知らせ」の実現である「福音」そのものであると断言します。そして、救いの歴史においてこの福音がどのようにして伝えられたのかを、明確に説明します。

  「この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました」と。

  この待降節を終えるに当たって、わたしたちも、まだ救い主イエス・キリストを知らない人たちに神の計画の実現したことを述べ伝えることが出来るよう共同体ぐるみで励みたいと思います。パウロは、晩年に、弟子のテモテ宛てに極めて適切な勧めの言葉を書いています。

  「わたしは、神の前で、また、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの前で、その現れとその支配を思いつつ、あなたにに命じます。みことばをべ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。

忍耐強く絶え間なく教えて、・・・励ましなさい。人々が、健全な教えを聞こうとしない時が、必ず来ます。その時、人々は、自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかし、あなたはどんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の務めに励みなさい」と(テモテへの手紙二、4.1-5)。

おことばどおり、この身に成りますように

次に、今日の福音ですが、マリアの信仰に基づく生き方の模範を、具体的に示しています。

  まず、天使ガブリエルが、最初にマリアに告げたことですが、突然、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と。その時のマリアの心境を、ルカは、「マリアはこのことばに戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考えこんだ」とコメントしています。特に、「恵まれた方」という挨拶の言葉が、いったいその特別な恵みが何であるのか、そして、その恵みをいただくために神から選ばれたのは何のためなのか、深く考え込んでしまったのです。そこで、天使は、さらに詳しくその内容を説明します。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」さらに、天使は、続けます。「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と。

  ここで、メシア預言の成就であることが明らかにされます。すなわち、メシアは、ダビデ王の子孫の中から選らばれるという預言の実現であります。そのために一人の村娘が、選ばれたのです。彼女は、身分が低くかったのですが(ルカ1.48参照)、ダビデ家のヨセフとすでに婚約していたのです。ですから、いきなり、「あなたは身ごもって男の子を産む」と言われたことに対しては、とても動揺したのではないでしょうか。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と、尋ねます。確かに、ヨセフと婚約しているので法律的には夫婦と認められていますが、まだ。結婚式も、まして同居もしていないので、まして身ごもる状態ではないのです。また、たとえ身ごもることができても、ヨセフが心配したように、そのことが世間に知られたら、姦淫の罪で石打の刑によって殺されることになるのです。

  そこで、天使はさらに具体的に説明を続けます。

  「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神に出来ないことは何一つない」と。

  ですから、マリアは「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」と、見事に信仰告白ができたのです。つまり、全能の神に対する全面的な信頼を土台にして、神の語られることを心から信じ、受入れるという信仰の模範ではないでしょうか。このマリアの神のことばに対する信仰は、すでに親類のエリザベトにも知られていました。ですから、マリアが、エリザベトを訪問したとき、エリザベトはマリアに最高のほめ言葉を送りました。

  「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と(ルカ、1.44-45)。

  マリアに、神の語られることは、必ず実現すると言う信仰の土台をしっかりとことができるよう、共に祈りたいと思います。

お告げ

待降節第3主日・B年(11.12.11

 

「貧しい人に良い知らせを伝える」

 

貧しい人々に良い知らせ(福音)を伝える

  いよいよ待降節は、第三週目に入り、救い主イエスの誕生の喜びを先取りして、今日の主日を「ガウデーテの主日」と呼ぶ典礼の伝統があります。つまり、今日の「入祭唱」は、パウロのフィリピの教会への手紙(4.4-5)からとられています。「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる」。この最初の句がラテン語でGaudeteと言われることに由来するのです。待降節の典礼の色は紫ですが、今日は、バラ色の祭服を着ることができます。また、待降節のろうそくの色もバラ色になっています。

  ですから、今日の第一朗読は、第3イザヤの「わたしは主によって喜び楽しみ」が主題になっています。この第3イザヤですが、紀元前6世紀末から紀元前5世紀初頭にかけて捕囚地のバビロンで活躍した無名の預言者によって、書かれたものと考えられます。とにかく、イスラエルの捕囚民は、せっかく、60年ぶりに故国に帰ることが出来、早速エルサレムの神殿を再建できたにもかかわらず、彼らの信仰はむしろ揺らぎ始めたのです。神の栄光の現れに対する願望も弱まり、神への信頼も強められず、自分中心の勝手な生き方に傾いてしまうような現状のただ中で、この預言者は、「良い知らせ」(福音)を伝えることによって人々を、信仰の喜びへ再び導こうと努めたのです。

  「主がわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた」という冒頭の句は、ルカ福音記者が、その福音で語るイエスが、初めて故郷のナザレに帰って、安息日にたまたま朗読した箇所としています。そして、「この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と、イエス自身が力強く宣言なさったと報告しています(ルカ4.18-19参照)。

  けれども、紀元前6世紀に第3イザヤがこの句を書いたのは、彼自身の預言者としての召命について説明することに限定していたと思われます。

  また、旧約聖書で語られる「塗油」つまり「油注がれる」ことですが、一般に何か特別な職務への任命を授けられるときの儀式でした。そして、「霊が降る」のは、その人物をその任務にふさわしい者と変え、それを全うする力を授け、神からの全権が委託されたことのしるしなのです。こうして、第3イザヤは、民のもとに遣わされたのです。この伝統は、まで典礼において続けられています。たとえば、皆さんが洗礼を受けたとき、司祭は、「神の民に加えられた あなたがたは、神ご自身から救いに香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」と唱えながら皆さんの頭に聖香油を塗ります。

  ところで、の「カトリック新聞」の第一面に、カリタスジャパン・仙台市と合意・9100戸に暖房器具を提供と言う見出しで、カリタスジャパンの仙台サポートセンターの事務局長として活躍している神言会司祭成井大介師が、仙台市当局との話し合いの結果、寒さに向うこの時期、仮設住宅で暮らす被災者の9100戸に石油ファンヒーターなどの暖房器具が配られることに決定したのです。まさに、被災者の方々にとっていま一番必要としている「良い知らせ(福音)」ですが、預言者イザヤが特に貧しい人々に伝えた「良い知らせ(福音)」とは、一体何だったのでしょうか。ルカ福音記者は、イザヤが告げた福音は、イエスによって見事に実現したことを、次のようなイエスご自身の説明を伝えています。

  「行って、あなたがたが見たり聞いたりしたことを、ヨハネに告げなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病の人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げられている」と(ルカ7.22)。

  「目の見えない人が見えるようになる」とは、視力の回復だけでなく、自分の歩むべき道を見失っていた状態から、神への道に立ち返ることをも表しています。また、「足の不自由な人が歩く」というのは、まさに神のもとに立ち返る力が与えられることを象徴しているのではないでしょうか。

  とにかく、イエスが行ったすべての奇跡は、まさに神の国の到来を告げる業だったのです。

主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ

  さらに、待降節に必ず登場するのは、イエスの先駆者である洗礼者ヨハネです。イエスより一足先に荒れ野で群衆の前に現れ、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を、ヨルダン川で大勢の人々に授けていました。彼のは、「彼はらくだの毛のまとい、腰には皮帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(マタイ2.4)とありますが、彼こそが救いの時代を準備する預言者エリア(列王1.6;マラキ3.1,23参照)であることを示し、禁欲的食物は、救いの時代を象徴するイエスの食事と比べることができるのです。ですから、イエスご自身も、洗礼者ヨハネが、エリアの再来であると断言しておられます(マタイ17.11-13参照)。ところで、マタイ福音記者は、この洗礼者ヨハネの大変厳しい説教のさわりの箇所を伝えています。

  「の子孫よ、来るべき怒りから逃れるように、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『われわれの父はアブラハムである』と、心の中で思ってはならない。わたしは言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子孫を造ることがおできになる。斧はすでに木の根元に置かれている。だから善い実を結ばない木はすべて切り倒され、火に投げ入れられる。わたしは水で、あなたがたに悔い改めの洗礼を授ける。しかし、後から来られる方は、わたしよりも力のある方で、わたしはその方の履物をお脱がせする資格もない。その方は聖霊と火で、あなた方に洗礼をお授けになる。」と(マタイ2.7-11)。

  わたしたちが受けた洗礼は、洗礼者ヨハネの洗礼ではなく、まさにイエスが授けてくださった洗礼です。したがって、罪の赦しだけではなく、主にしっかりと結ばれることによって復活のいのちに生まれ変わることができたのです。そのことは、パウロが、詳しく次のように説明してくれます。

  「洗礼を受けてキリストと一致したわたしたちはみな、キリストに死にあずかる洗礼を受けたのではありませんか。・・・それはキリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためです」と(ローマ6.3-4)。

  この待降節に当たって、共同体ぐるみで回心の道を歩み、地域の人々と共にふさわしく降誕祭を迎えることができるよう、共に励みましょう。

待降節第2主日・B年(11.12.4

 

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」

 

わたしの民を慰めよ

  先ず、今日の第一朗読ですが、恐らく紀元前6世紀末の捕囚時代の末期に、イスラエルの捕囚民の間で活躍した無名の預言者(便宜上第二イザヤと呼ばれる)が、語ったいよいよ捕囚から解放されるという慰めと希望に満ちた預言のであります。第二イザヤは、当時のオリエント世界において新たに台頭して来たペルシャ(現在のイラン)帝国初代の王キュロス(559-529B.C.)が、世界を大きく変えることの出来る英雄的人物であると見抜いていたのです。しかも、この王こそ神から派遣された人物であると考え、「主が油注がれた人つまりメシア」(イザヤ45.1)であると断言したのです。ですから、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」という神からの呼びかけを聞くことができたのです。

  「エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」と、バビロンでの捕囚という屈辱に満ちた苦役は、今や終り、罪は十分に償われたのです。ここで言われている「エルサレム」とは、まだバビロンにいる捕囚民を指しています。また、「苦役」とは言うまでもなく、半世紀にわたる捕囚を表しています。

  このように、第二イザヤの預言の特徴は、今や、時代が大きく変わる転換期が、神によってもたらされたとう確信であります。つまり、この預言者は、「時のしるし」を正確に読み取ったと言えましょう。なぜなら、「慰めよ」という神の叫びは、まさに時を大きく転換させようと神が決意したことを表していると解釈できるからです。さらに、預言は続きます。

  「主のために、荒れ野に道を わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ」と。

  キュロス王が紀元前539年にバビロンを征服し、イスラエルの捕囚民を解放するために、538年には勅令を発布し、イスラエルのエルサレムへの帰還と神殿の再建までも許可したのです。

  その帰国のルートですが、バビロンとエルサレムの間には広大な荒れ野が広がっているので、普通には、ユーフラテス川沿いに北上するのです。けれども、一刻も早く故国の土を踏むことができるように、神がなんと荒れ野に広い道を準備し、最短距離つまりまっすぐ西に進むことが出来るように導いてくださるというのです。ちょうど、家畜の群れを導く牧者が先頭に立つなり、しんがりとなるように、神ご自身が捕囚民の先頭に立ち、また後ろに回って、彼らを無事連れ帰ってくださるのです。

  この旧約時代の神の救いの出来事を、今日の世界に置き換えてみることもできるのではないでしょうか。なぜなら、聖書が語る神の救いのドラマは、まさに時間と空間を超越していつの時代にも起こり得る出来事なるからです。

  今日の世界は、捕囚時代とは比較にならないほどの深刻な地球規模の問題と危機に直面しているのではないでしょうか。まさに、八方塞がりの現状に立たされているとすれば、その状態からの解放のためには、神が用意してくださる道を選ぶことができるように、「時のしるし」を正確に読み取らなければなりません。そこで必要なのは、神のことばというです。

  ここで、わたしたちが待ち望んでいるメシアこそ、「みことばは人間となり、我々の間に住むようになった(ヨハネ1.14)」方に他なりません。パウロは、この救いのまさに中心的出来事を、次のように説明しています。

  「神は、昔、預言者たちを通して、いろいろな時に、いろいろな方法で先祖たちに語られたが、この『終わりの時代』には、御子を通して語られました」と(ヘブライ1.1-2)。ですから、イエスご自身は、次のように宣言なさいました。

  「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通ってでなければ、だれも父のもとに行くことはできない。あなたがたがわたしを知っているな、わたしの父をも知ることになる。いや、もう今から父を知っており、また、既に見たのだ」と(ヨハネ14.6-7)。

  この待降節こそ、道であるキリストに立ち返るまさに回心の時ではないでしょうか。

聖霊で洗礼を授けてくださる

  また、この時期に、聖書に登場し、大切な役割を演じるのは、洗礼者ヨハネです。彼は、当時、ヨルダンのほとりで、群衆を前にして「悔い改めの洗礼」を、授けていたイエスの先駆者であります。今日の第一朗読で、第二イザヤは、「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。・・・道は平らに、狭い道は広い谷となれ」と、叫び続け、捕囚の民が故国エルサレムへ帰る最短距離のコースを示しました。それが、イスラエルが回心して、解放される道だったのです。

  この預言は、今度は、洗礼者ヨハネによって見事に成就したことを、マタイは強調しているのです。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え。その道筋をまっすぐにせよ。』と。ですから、いよいよイエスご自身が、ガリラヤで最初の説教をなさった時も、同じく回心を呼び掛けられました。その様子を、マルコは、次のように伝えています。

  「ヨハネが捕えられた、イエスはガリラヤに行き、神の福音をべ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』といわれた。

」と(マルコ1.14‐15)。

  メシアであるイエスの到来によって、神の国は現実の出来事となったのです。そして、この神の国に入るためには、回心してまさに生き方を、根本的に変えて神に立ち返ることです。イエスは、次のように宣言なさいました。

  「あなたたちによく言っておく。あなたたちは心を入れかえて幼子のようにならなければ、天の国には入れない。だから、自分を低くしてこの幼子のようになるものが、天の国で一番偉いのである。」と(マタイ18.3−4)。

  今こそ、共同体ぐるみでの回心の道に立ち返ることによって、待降節の務めを全うすることが出来るように祈りたいと思います。

そして、飼い葉桶に寝かされる乳飲み子イエスのご誕生によって、わたしたちもイエスを待ち望んでいる全世界の人々ともに神の国に入ることが出来るように、共に祈りたいと思います。

洗者聖ヨハネ(レオナルド・ダヴィンチ)

待降節第1主日・B年(11.11.27)

 

「わたしは静かに神を待つ」

だれを待っているのか

  この待降節に歌う典礼聖歌の中に、詩編62編を歌詞にした184番があります。

  「わたしは 静かに神を待つ。わたしの救いは、神から来る。

  神は、わたしのよりどころ わたしの砦 わたしの救い。

  わたしは決してゆるがない。わたしの希望は、神のうちにある。

  神は、わたしの力、わたしの逃れ場。

  救いと栄光は神にある。いつも心を開き すべてを ゆだねよう。」

  この詩編は、待降節の心構えを、見事に詩っていると思います。とにかくこの時期、典礼では、わたしたちが待ち焦がれているのは、一体どなたなのか。改めて思い起こすよう呼びかけています。

  それは、すでに二千年前にベツレヘムの家畜小屋でお生まれになった救い主イエス・キリストと、そのキリストが、今度は栄光に包まれて再び来られるのを待つのです。ですから、この時期の前半は、再臨のキリストが来られるのを、目覚めて待つように心の準備をするのです。

天を裂いて降ってください

  ところで、今日の第一朗読は、第3イザヤ書から採られています。紀元前6世紀の半世紀にわたるバビロンの捕囚からようやく解放され、帰国出来たイスラエルの人々が、やっとの思いで故国の土を踏むことができたものの、その荒れ果てて廃墟と化した現実を目の当たりにし、心を頑なに閉ざして神から離れてしまった当時の状況を嘆いています。

  「わたしたちは皆、汚れた者となり 正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり わたしたちの悪は風のようにわたしたちを運びさった」と。

そのような絶望的時代のただ中で、預言者たちは、ひたすら神の救いに希望を託し、神ご自身が「天を裂いて降ってくだい。御前に山々が揺れ動くように」と、叫び続けたのです。そのために、神に心を開いてひたすら待つことが肝心です。預言者は、強調します。「あなたを待つ者に計らってくださる方は 神よ、あなたのほかにはありません」と。

  わたしたちは、66年前、敗戦によってすべてを失い、広島、長崎に象徴されるような焦土と化した壊滅状態の貧しさのただ中に、かろうじて生き残ることができました。そのとき、わたしたちは神に何を祈り求めたのでしょうか。とにかく、故国の復興と再建のために必死に働き、まさにこの世の富を限りなく追及し、生活水準を高めるようひたすら励んで来ました。ところが、その結果、今まで体験したことのない、精神的貧困、経済至上主義がもたらした環境問題、世界的食糧危機、国境を越えて広がる放射能汚染地帯など、まさに八方塞がりの危機の中にとじこめられてしまったのではないでしょうか。つまり、神から離れて築き上げて来たこの世界は、今、極めて深刻な事態に直面しているのではないでしょうか。まさに、生き方の根本的方向転換を、突き付けられていると言えましょう。

  また、救いの歴史を振り返るとき、紀元前6世紀の捕囚時代も、結局、イスラエルの人々が現世御利益を保証してくれる偶像を拝むようになってからの出来事であり、まさに滅亡の危機に幾度も立たされましたが、その都度、預言者たちは神に立ち帰るよう叫び続けたのです。

  「あなたの御名を呼ぶものはなくなり 奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたはわたしたちから御顔を隠し わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。しかし、主よ、あなたは我らの父。・・・わたしたちは皆、あなたの御手の業」と。

キリストの現れを待ち望む

  次に、今日の第二朗読は、パウロが創立したコリントの教会が派閥による分裂の危機に直面していたので、まず、パウロは手紙を書いて彼らを正しい方向に指導しようとしたものです。今日の箇所は、その冒頭の部分ですが、まず、コリント教会のプラス面を強調しています。

  「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。こうして、キリストについての証しが、あなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます」と。

  この「主イエス・キリストの現れ」こそは、救いが完成するときに再び栄光に包まれて現れるキリストにほかなりません。ですから、この世での豊かさを求めたのではなく、まさに、主の再臨をふさわしく待つことが、今の自分たちの教会の問題を克服して行くための根本的回心だったのです。パウロは、さらに続けます。

  「主も最後まであなたがたをしっかり支え、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます」と。

気をつけて、目を覚ましていなさい

  さらに、今日の福音で、イエスご自身が、主の再臨をどのような心構えでまつべきなのか、短刀直入に警告なさいます。

  「気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分らないからである」と。

  ですから、ペトロもその手紙の中で、具体的に次のように忠告してくれます。

  「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、忍耐しておられるのです。・・・すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを早めるようにすべきです」と(ペトロの手紙二、3章9節−12節)。

  更に、パウロは、主が再び栄光の包まれて来られる時、なにが起こるのかを、次のように祈ってくれます。

  「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところがないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」と(テサロニケの教会への手紙一、5章23節)。

わたしは静かに神を待つ(イメージ)

 

 

「最も小さき者のいのちに仕える生き方」

 

いのちへのまなざし

今から丁度、10年前の元旦(2001.1.1)に、日本カトリック司教団は、「新しい世紀をともに歩むすべての人に向けて」、『いのちへのまなざしー二十一世紀への司教団メッセージ』を、小冊子にまとめて広くアピールしました。その中で、すでに、核エネルギー有効利用については最善の注意を重ねる努力の必要性を、広島、長崎の原爆、そしてチェルノブイリの原発の事故を引き合いに出しながら訴えました。けれども、原発の廃止までは言及しませんでした。

  ところが、先日、つまり11月8日付けて、「いますぐ原発の廃止をー福島第一原発事故という悲劇的な災害を前にしてー」と題して「日本に住むすべての皆さまへ」とう二頁のメッセージを発表いました。そのをここで読み上げたいと思います。

  「いますぐに原発を廃止することに対して、エネルギー不足を心配する声があります。また、二酸化炭素削減の課題などもあります。しかし、何よりもまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境を渡す責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。・・・・日本には自然と共生してきた文化と知恵と伝統があり、神道や仏教などの諸宗教にもその精神があります。そして、わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり『単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、特に小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲』などによって、福音の誠を証しする務めがあります。」と。

王であり牧者である憐れみの神

また、今日の第一朗読では、神がイスラエルの民に対する愛を牧者のイメージで訴えています。

  「わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」と。ですから、詩編においても神の牧者としての愛と慈しみを見事にっています。

  「主はわたしの牧者。わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑のに憩わせ、わたしを静かな水辺に伴い、魂を生き返らせ、み名にふさわしく正しい道に導かれる。わたしは死の影の谷を歩む時でさえ。あなたが共におられるから。」と(詩編23編1節―4節)。

  さらに、旧約時代から、神は、貧しい人々や、虐げられているまさに弱い立場に置かれ人々に対して、深いあわれみを示してくださる王として描かれています。神は王の姿でご自分を現しますが、権力を振い、弱き者を虐げる王ではなく、特に社会的に弱い者と見られていたやもめや孤児を温かく守ってくれる王として登場します。ですから、同じく詩編では、次のように神の憐れみを乞い求めています。

  「あなたご自身で苦しみを顧み、悩みをご覧ください。それはあなたの手が与えたものなのです。不幸せな者、みなしごは、あなたに委ねます。彼らの助け手となってください。・・・主は代々とこしえに王。主よ、苦しむ者の願いを聞き、み心を向け、耳を傾けでください。あなたが、みなしごや、虐げられた者の権利を 守ってくだされば、地から生まれる者が、もはや人をことはありません。」と(詩編10編14節―18節)。

最も小さき者に関わることでイエス自身に結ばれる

ところで、典礼歴のA年は、今週で終わり、来週からB年の待降節が始まります。ですから、この時期、典礼は主の来臨すなわち救いの完成となる世の終わりに目を向けます。そこで、今日の福音は、イエスが栄光に包まれて王として来られ完成した神の国に迎えてくださる荘厳な場面が描かれています。

  「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造のときからお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』・・・『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、・・・牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』と」。

  神の国を受け継ぐことができる唯一の条件が、イエスの兄弟である最も小さい者、つまり、飢えている人、渇いている人、病気の人など助けを必要としている人たちに仕えることだけなのです。

  今から66年前、敗戦の焼け野原から立ち上がった日本は、ただひたすら豊かさを追求し、いつの間にか、強いもの勝ちの力の論理によって走り続けて来ました。けれども近年になって、その経済至上主義が幸せをもたらす代わりに、様様な深刻な問題を引き起こし、特に弱い立場に置かれている人々が増え続けるという深刻な事態に直面しています。その最たる出来事が、福島第一原発の事故ではないでしょうか。

  先日、原発事故から半年をへた9月19日、東京の明治公園で、「さよなら原発5万人集会」が実現しました。この集会には、6万人以上の市民が参加し、脱原発をテーマとする市民集会として過去最大の規模となりました。そこで、「政府や財界や電力会社などが、原発推進の巻き返しに出ないためにも、さらに大きな市民の力で、原発依存の生活から脱却する道をあゆみだしたい」と9人の呼びかけ人は、その群衆に向って熱のこもったアピールを投げかけました。そして、ドイツから駆け付けてくれた国際環境NGOドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさんが、力強く訴えました。

  「福島の事故は世界を変えました。この事故は、原子力発電が、どんな国においても、またどんなシステムにおいても、わたしたち人間に、そして環境に、計り知れない影響を与えるものであり、制御ができないものであることを明らかにしました。・・・チェルノブイリから25年、わたしたちドイツ人も、またヨーロッパの人々も知っています。政府そして原子力産業が、何万人もの死者を前にしても、なお事故の死者を小さく見せよう、隠そうとしていることを、そしていまもそれが続いていることを、です。福島の事故は、ドイツやイタリアなどのヨーロッパの国々に変化をもたらしました。ドイツでは事故の後に、のこのような大きなデモが起こり、ついに政府は八基の原発を停止し、他の発電所についても2022年までに停止することを決定しました。・・・

いまわたしたちは、民主主義の下で、脱原発を声高く訴えて行く時なのです。・・

そのために一緒に闘っていきましょう。・・・・」

 

 

主日の説教