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◇◇ 主日の説教 ◇ C年 ◇   担当 佐々木 博 神父

王であるキリスト・C年(10.11.21

「王であるキリストの実像を求めて」

教会歴の一年の終わりに祝う王であるキリスト 

   教会暦の一年は、本日の祭日によって終わり、来週からは、また待降節第一主日によって新しい年・A年が始まります。ところで、今日の祭日は、1925年、時の教皇ピオ11世によって、325年に開かれた第一回目の公会議であるニケア公会議の1600年記念祭として、王であるキリストをテーマにした祭日として定められました。正確な表題(ひょうだい)は「われらの主イエス・キリスト、全世界の王の祭日」であります。 

イエス・キリストはどんな王なのか 

では、まずイエス・キリストがなぜ王なのか、早速、旧約聖書の伝統にさかのぼって調べて見たいと思います。

  旧約聖書では、まず、神ご自身が王というイメージで登場しますが、権力を揮う(ふる)ではなく、特に貧しい人々、弱い立場に置かれている人々、助けを必要とする人々を優先的に保護する王の姿です。たとえば、詩編で神がどのような王なのかが、次のように美しく歌われております。「あなたは必ずご覧になって 御手(みて)労苦と悩みを委ねる(ゆだ)人を 顧みて(かえり)ださいます。不運(ふうん)な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります。・・・主は世々限りなく王。・・・主よ、あなたは貧しい人に耳を傾け その願いを聞き、彼らの心を確かにし みなしごと虐げられて(しいた)いる人のために 裁きをしてくださいます。・・・」と(詩編10.14-18)。

  さらに、救い主の到来を預言したメシア預言は、ダビデ王を理想化したイメージで、語られるようになり(サムエル記下7.8-17参照)、特にイザヤの預言によって、メシアが、貧しい人、弱い立場に置かれている人、病気や障害で苦しんいる人たちに優先的に関わる姿も預言されました。ですから、ルカ福音書とマタイ福音書では、イエスの働きを洗礼者ヨハネの弟子たちに伝える次のような場面があります。「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人の弟子にこうお答えになった。『行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている』」と(ルカ7.22;マタイ11.5参照)。

このようなイエスの働きは、神の愛による王的支配が、わたしたちの只中で実現して行く神の国の到来のしるしにほかなりません。ですから、イエスによって実現した神の王的支配は、わたしたちの体の病気をいやすだけでなく、社会秩序まで回復するという、まさにわたしたち人間の総括的な救いが実現することなのです。ですから、目の見えない人が見えるようになるということは、決してただ単に、体の病気としての視覚障害がいやされるだけではなく、実は、心の目が開かれるという根本的な体験を象徴しているのではないでしょうか。すなわち、わたしたちが罪のために自分の歩むべき道を見失っている状態から、歩むべき神への道に立ち返ることを示しているのです。また、足なえは、罪のために神の前での正しい歩みにくじけてしまった状態を表しており、その状態から解放されることによって神のもとに立ち返る力が与えられることを語っているのです。 

仕えられるためではなく仕えるために 

さらに、イエスがどのような王であるかを弟子たちにはっきりと教える場面があります。それは、弟子のヤコブとヨハネが、イエスが栄光を受けられるとき、自分たちを右と左に座らせてくださいと願ったときであります。そこで、弟子たち一同に向かって彼らの生き方の基本について極めて大切な忠告をなさいました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い(えら)たちが権力を振っている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の(しもべ)になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金(みのしろきん)として自分の命を献げる(ささ)ために来たのである」と(マルコ10.42)。イエスこそ仕えられる王ではなく、徹底して仕える王、しかもわたしたちの救いのためにご自分の命までもささげてくださったのです。

死に至るまで御父に従順であられたイエス

さらに、イエスの王としてのイメージは、御父に対する全面的な従順によって見事に示されます。

  それは、特に十字架上での受難を目前(もくぜん)にし、ゲツセマネという所で祈られたときであります。イエスはご自分の苦しみを思い、ひどく恐れて悶え(もだ)始められ、そして祈られました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心(みこころ)のままに」と。そして、二度目も三度目も「父よ、わたしが飲まない限りこの(さかずき)が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心(みこころ)が行われますように」と祈られたのです。イエスは、徹底して父である神に従順な王であります。ですから、この王であるイエス・キリストを(たた)える古い賛美歌は、パウロの手紙の中で次のように引用されております。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが、イエスの御名(みな)にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と(おおやけ)()伝えて、父である神をたたえるのです」と(フィリピの信徒への手紙、2.6-11)。

  このように徹底して仕える王であるキリストの王職に、実は、わたしたちが洗礼を受けたときから、あずかっています。そのことを、ヨハネ・パウロ二世教皇は、その使徒的勧告で次のように強調しておられます。

  「信徒は、宇宙の主であり王であるキリストに結ばれているので、その王としての使命に参加し、歴史の中で神の国を広げるように召されています。信徒がキリスト者としての王職を行使(こうし)するのは、まず第一に、自分のなかの罪の支配(ローマの信徒への手紙、6.12参照)に打ち勝つための霊的が戦いにおいてです。次に、すべての兄弟姉妹、特に最も小さい者にうちにおられる(マタイ福音書、25.40参照)イエスご自身に、愛と正義をもって仕えるために、信徒は自分自身をささげものとするのです」と(『信徒の召命と使命』14項)。

  わたしたちの共同体もイエスにならって互いに仕え合う奉仕の共同体に成長できるように、そして、イエスのように日々の生き方において徹底して天の御父に従い、仕えることができるように共に祈りたいと思います。

王であるキリスト

年間第33主日・C年(10.11.14

「証しするわたしたちの信仰」

殉教者たちに倣うべきわたしたちの信仰

三年前の20076月1日、教皇ベネディクト十六世は、「ペトロ岐部と187殉教者」の列福を承認されました。そして、この日本における最初の列福式は、翌年の20081124日に長崎市の県営野球場で午前12時から午後340分にわたってあいにくの悪天候の中、いとも盛大に行われました。わたくし自身も、この列福式に参加できた感動は、決して忘れることはできません。

  今回の188福者には、仙台教区内の殉教者は一人も含まれておりませんが、お隣の新潟教区の米沢市の53人の殉教者が列福されました。米沢市の殉教地には十字架と聖母マリアと使徒ヨハネの像と石碑(せきひ)立てられております。三年前ですか、秋の巡礼でこの殉教地を訪れて、初めて米沢の殉教者たちのことを知ることができました。その殉教地の地名は、北山原(ほくさんばら)と呼ばれています。

  ここで、また改めて、16世紀末の米沢教会のキリシタンについて少し説明したいと思います。1590年、キリシタン大名蒲生(がもう)(うじ)(さと)、会津の黒川城に入ったとき、東北の人たちは初めてキリスト教に出会うことができたのです。やがて、1611年、仙台へ派遣されたフランシスコ会司祭ルイス・ソテロが、途中米沢に立ち寄ったことによって初めてその地にキリシタンの小さな共同体が誕生しました。この共同体の世話役は、上級武士ルイス(あま)(かす)()衛門(えもん)と二人の息子ミカエル(あま)(かす)()()衛門(もん)、ビンセンチオ黒金(くろがね)(いち)兵衛(びょうえ)です。この(あま)糟家(かすけ)は代々上杉藩に仕えていました。そこで、幕府から米沢に追われた上杉藩士たちの貧しさが、実は、上下の身分を超えて互いを思い、感謝し、心を一つにする善良で素朴な人々を育てたのであります。ところで、1610年頃、()衛門(えもん)は、江戸でソテロ神父から洗礼を受け、ルイスと呼ばれるようになりました。このルイスを中心とした米沢教会には、司祭は常駐しておりませんでした。まさに司祭不在の教会で、信徒は「組」呼ばれる共同体を組織し、また、「聖母の組」、「聖体の組」など信心共同体をも育てました。そこで、信徒たちは、定期的に集まり、霊的読書と祈りを土台に、孤児の世話、病人や貧しい人たちの支援など愛の実践にも励みました。ですから、年に数回巡回する司祭は、この信者の共同体とよく連絡を取って、教会の教えと霊性を学ばせ、信者のためにはゆるしの秘跡とミサをささげるだけだったのです。それでも、確実に教会は成長し、当時、米沢では3000人以上の信者がいたと上杉藩の文書に記されています。けれども、とうとう徳川幕府のキリシタン迫害の方針に従い、1629112日、雪で覆われた北山(ほくさん)(ばら)糠山(ぬかやま)そして新藤(しんどう)(だい)三か所で、53人が信仰を証しするために首をはねられたのです。男性30人、女性23人、その内5歳以下の幼児が9人もおりました。刑場の奉行(ぶぎょう)は、叫びました。「ここで死ぬ者たちは信仰のために命を捨てるいさぎよき人たちである。みな者土下座(どげざ)するようお願い申す」と。 

迫害はキリストを証しする絶好のチャンスである 

ところで、今日の福音の後半で、イエスは教会が、必ず迫害を経験しなければならないこと、そして、その迫害こそ信仰を証しする絶好のチャンスであることを、はっきりと教えてくださいます。「これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しする機会となる」と。ちなみに殉教という言葉は、ギリシャ語では「証しする」と言う意味も含まれています。ですから、いのちを賭けて信仰を証しすることが殉教なのであります。つまり、わたしたちの信仰は、命を賭けてでも証ししなければならないのです。それは、恐れを知らない強い信仰です。まさに信仰の勇気です。イエスは教えてくださいます。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と(マタイ10.28)。また、殉教者たちがその苦しみと死に耐えることができたのは、彼らが神に対する揺るぎない信頼を持っていたからではないでしょうか。ですから、自分の力を頼りすることなどは、決してしなかったのです。そして、この信頼は、深い謙遜を彼らの中に生みだしました。それは、まさにイエスに倣うことでありました。イエスは、弟子たちとの最後の晩さんの(あと)、ゲッセマネという所で祈られました。まさに、最も厳しい受難を目前にしながら、最後の最後まで天の御父に対する信頼を見事に貫かれました(つらぬ)。それは、同時にイエスの謙遜の極みでもありました。つまり、自分の意思ではなく、神の意思の成就を願われたのです。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この(さかずき)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適う(かな)ことが行われますように」と(マルコ14.36)。ここに、殉教を生み出す「謙り(へりくだ)」の原点があります。すなわち、イエス・キリストに、「謙遜」においてと倣うということが、「殉教」において見事に実現するのであります。

  ところで188福者の筆頭に挙げられたペトロ岐部(きべ)神父ですが、イエズス会の司祭志願者時代、教会の中にもあった人種差別に耐えながら、インド、パキスタン、イラン、ヨルダンへと苦しい旅を続け、やっと1620年ローマのイエズス会本部にたどりつきました。そして、同じ年の1115日めでたく司祭に叙階されました。けれどもその後(あと)迫害の嵐が吹きまくっている祖国に十六年ぶりに殉教を覚悟の(うえ)、戻ったのです。そして、まさに文化、国境、人種を超えたところでイエス・キリストの「謙遜」に限りなく近づけることを、壮絶な穴ずりの極刑によって「証し」する勇気が湧いてきたのだと思います。もはや、「沈黙する神」ではなく、「苦しみを共にする神」がペトロ岐部神父を支え、共におられてのではないでしょうか。ペトロ岐部神父をはじめ、多くの殉教者が見つめた、その視線の先にはイエスの示された「復活」への希望がきっとあったはずです。わたしたちにとって、「復活」の希望のない「苦難」はありえないのです。この希望に向かう信頼こそが、わたしたちを謙らせ(へりくだ)、「殉教」への勇気へと導いてくれるはずです。

  最後に、188福者の一人アダム荒川の殉教を紹介したいと思います。1614131日、徳川家康のキリシタン禁令が出たころ、アダムは天草の教会でガルシア・ガルセス神父に仕えていました。70歳を過ぎたのもかかわらず、教会の中のさまざまな仕事に励み、信徒の指導の手伝いもしていました。ところが、迫害が激しくなり、城主寺沢広高は、「キリシタン全員の信仰を捨てさせよ」とう命令をくだしました。そこで、この指導者であるアダム荒川の捜索が始まりました。そのことを一人のキリシタンが荒川に知らせましたが、早速、ひざまずいて神に感謝し、殉教をまっとうする恵みを願ったそうです。そして、信仰を捨てるように、役人に責められた()とき、彼は勇敢に答えました。「神様に背け、とわたくしにおっしゃるのか。自分の神様を辱かしめよと申されるのか。川村様のご命令であろうと、天下の将軍様のご法度(はっと)であろうと、それだけはご勘弁なされたい。わたしはキリシタンでござる。真のキリシタンはキリスト様のみ教えを命よりも大切にいたしておりまする。どのような責め苦を受けようとも、真の神、キリスト様に背くことはでき申さぬ」と。

わたしたちも殉教者たちの素晴らしい信仰に倣い、いのちを賭けて信仰を力強く証しできるように共に祈りたいと思います。

aアダム荒川の墓

年間第32主日・C年(10.11.7

「永遠の新しいいのちへのよみがえり」

復活信仰の芽生え

旧約聖書においては、人間は死ぬと神から切り離され、もはや神の恵みを期待できないというのが一般的な考えです。ですから、例えば詩編88編には、次のような極めて悲観的な祈りがあります。

  「あなたが死者に対して驚くべき御業(みわざ)をなさったり 死者の霊が起き上って あなたに 感謝したりすることがあるでしょうか。墓の中であなたの慈しみが 滅びの国であなたのまことが 語られたりするでしょうか。闇の中で驚くべき御業(みわざ)が 忘却(ぼうきゃく)の地で恵みの御業(みわざ)が 告げ知らされたりするでしょうか」と(11節〜13節)。

  ところが、今日(きょう)の第一朗読がとられている『旧約聖書続編』には、明らかに復活を示す箇所が、存在するのです。それは、殉教者の死をどのように受け止めるべきかという文脈のなかで語られるのです。つまり、神を信じて殉教したのに、死後も神の恵みにあずかることができないはずはないとう願いが芽生えたのです。したがって、今日(きょう)の第一朗読が雄弁に語っているような「復活信仰」が誕生したのです。

  このマカバイ記二ですが、紀元前2世紀前半に起こったシリアのアンティオコス四世の迫害に対するユダヤ人の反乱(マカバイ戦争)と、ユダ・マカバイによるエルサレム奪回(だっかい)と神殿清めの出来事を描いている歴史書です。実際に書かれたのは、紀元前124年と考えられます。とにかく、今日の箇所は、七人の兄弟の殉教を、復活の視点で感動的に描いています。

  「その日、七人の兄弟が母親と共に捕えられ(とら)(むち)や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。・・・二番目の者も息を引き取る間際(まぎわ)に言った。『邪悪(じゃあく)な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠のいのちへとよみがえらせてくださるのだ』。・・・四番目の者も言った。『たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ちあがらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである』と」。

  復活に対する見事な信仰告白ではないでしょうか。

  実は、初代教会において、四世紀ごろから、祭壇を殉教者の墓の上に置くようになり、やがて殉教者の聖遺物を祭壇に埋め込むようになったのです。この祭壇にも、195593日、小林司教によって聖遺物が組込まれました。

イエスの死と復活を祝う祭壇は、復活を信じて命をささげた殉教者たちに支えられているのです。 

死者の中から復活する

次に、今日の福音ですが、ルカ福音書の951節から始まったイエスのエルサレムに向う旅は終わり、十字架の待つエルサレムに入ってからの出来事を伝えています。

  今日の箇所は、イエスが、エルサレムの神殿で当時の宗教指導者のサドカイ派の人々と復活について論争したことを伝えています。このサドカイ派ですが、紀元前200年頃から始まったエルサレムの神殿を中心とするユダヤ教の祭司や貴族らの保守的かつ現世的集団で、モーセ五書つまり、創世記から申命記までの五つの書物のみを聖典として認め、天使や復活は信じていない一派です。ですから、イエスに、申命記255節と6節で述べられている結婚に関する規定を用いて復活について難問を投げかけます。この規定は、家名(かめい)を存続させ、財産が他人に渡るのを防ぐために次のよう定めています。

  「兄弟と共に暮らしていて、そのうちの一人が子どもを残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いで(とつ)はならない。亡父(ぼうふ)の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻とし、兄弟の義務を果たし、彼女の生んだ長子(ちょうし)に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない」と。

  そこで、サドカイ派の人たちが、イエスに尋ねます。

  「ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子どもを残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか」と。

  これに対して、イエスは、彼らの主張に二つの誤解があることを、指摘なさいます。まず、「次の世」でのいのちのあり方(かた)は、「この世」のあり方(かた)とは、全く異なるので、「この世」のいのちのありさまで、「次の世」のあり方(かた)推測(すいそく)するのは間違いです。つまり、「この世の子ら」は死だけを考えるので、子孫をもうけ、自分が生き残れるように、どうしても結婚しなければならないのです。けれども、「死者の中から復活するのにふさわしい」者は、もはや死によっても終わらない永遠のいのちに生かされているので、めとることも嫁ぐ(とつ)ことも必要なくなるのです。ですから、イエスは、つぎのように説明なさいます。

  「この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」と。

  すなわち、復活させられる「神の子たちは」全く新しいいのちに生かされるので、お互い兄弟姉妹として生きることができるのです。それは、救いが完成し、この世が終わるとき、わたしたちは全く新たな世界によみがえるので、新しい生き方に変えられるのです。ですから、マルタは、次のような復活に対する信仰告白をしました。「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と。そこで、イエスは、次のように宣言なさいました。

  「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、だれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と(ヨハネ福音書1124節〜26節)。

  ですから、教会は、死者のためのミサの叙唱で次のように祈ります。

  「キリストのうちにわたしたちの復活の希望は輝き、死を悲しむ者も、とこしえのいのちの約束によって慰められます(なぐさ)。信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった(のち)も、天に永遠のすみかが備えられています」と。

  次に、サドカイ派の二つ目の誤解ですか、シナイ山でのモーセの体験についてです。つまり、すでに過去の人物である「アブラハムの神」であり続けることを強調し、死んだ(のち)も神との密接な関わり中にこそ、先祖たちが、今も生きていることを知らせました。「神は生きている者の神なのです」。

  最後に、わたしたちが受けた洗礼の恵みこそ、復活のいのちに生かされることにほかならないことを、パウロの次のような手紙によって確認したいと思います。

  「わたしたちは、洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父(おんちち)の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しいいのちに生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」と(ローマの信徒への手紙、64節〜5節)。

復活のキリスト

年間第31主日・C年(10.10.31

「神の愛に気づくとき」

あなたはすべての人を憐れむ

今日(きょう)の第一朗読は、紀元前一世紀にギリシャ文化の中心地であるエジプトのアレキサンドリアで書かれた「知恵文学」の代表作『知恵の書』からとられています。しかも、今日(きょう)の箇所は、神の民イスラエルの歴史における神の知恵の働きを語る第三部に当たります()。そこで、イスラエルの人々が、エジプトの奴隷の家から解放されるとき、神がエジプト人に対して示された忍耐は、神の愛にほかならないことが、次のように強調されています。

  「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、回心させようとして、人々の罪を見過ごされる(みす)。あなたは存在するものすべてを愛し、お造り(つく)になったものを何一つ嫌われない」と。

  神の全能の力は、まさに憐れみに見事に示されるので、罪人を回心させることができるのです。なぜなら、神は「罪を見過ごされる(みす)」つまり、罪を赦されるから、神のもとに立ち帰ることができるのです。すなわち、先に神の赦しがあるから、わたしたちが回心できるのです。このことは、すでに第二イザヤの口をとおして次のように語られています。

  「思い起こせ、ヤコブよ イスラエルよ、あなたはわたしの(しもべ)。わたしはあなたを形づくり、わたしの(しもべ)とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背き(そむ)を雲のように 罪を(きり)のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った(あがな)」と(イザヤ書4421節〜22節)。

  ですから、神の愛から離れることが、罪だとすれば、まさに神の深い憐れみの愛に気づいたとき、神のもとに戻ることができるのです。そして、神の愛に包まれることが、救いにほかなりません。 

ぜひあなたの家に泊まりたい

この救いの感動的な体験を、今日の福音が語っています。それは、ザアカイという徴税人が自分の家にイエスをお迎えできたという、神によって準備された出来事です。ガリラヤから出発してエルサレムに向ったイエスの旅が終わりに近づいたときのことです。イエスは、ヨルダン川の下流の町エリコに入られました。イエスがこの町を通られるという情報は、瞬く(またた)()に広がったのでしょうか。群衆が集まって来てイエスを取り囲みました。そこに居合わせた(いあ)ザアカイも、イエスがどんな人か是非とも一目(ひとめ)見たかったのです。けれども、あいにく彼は背が低かったので、群衆に遮られて(さえぎ)イエスを見ることができませんでした。そこで、彼は、走って(さき)回り(まわ)し、いちじく(ぐわ)の木に登りイエスが通り過ぎるのを待っていたのです。ルカは、「この人は徴税人の(かしら)で、金持ちであった」と簡潔(かんけつ)に紹介していますが、彼は、人々からは嫌われていた人物であったことに注目しなければなりません。とにかく、当時のユダヤは、ローマ総督(そうとく)の支配下にあり、まず、ユダヤ人には人頭税(じんとうぜい)が課せられ、ローマの役人によって徴収(ちょうしゅう)されていました(ルカ福音書2022節参照)。そのほか、交通税と関税とがあって、交通の要所には(しゅ)税所(ぜいじょ)がありそこで税金を納めなければなりませんでした。しかも、これらの税金の取り立ては、請負(うけおい)制度であり、徴税人(ちょうぜいにん)はその請負業者だったのです。ですから、ユダヤの征服者ローマのために税金を取り立てる徴税人(ちょうぜいにん)は、ローマの支配者に協力しているだけでなく、不正な取り立てをすることによって私服をこやしていたので、ユダヤ人から罪人呼ばわり(つみびとよ)されて軽蔑され嫌われていたのです(マルコ福音書21317節参照)。とにかく、この徴税人(ちょうぜいにん)(かしら)であり金持ちのザアカイが、イエスに是非お目にかかりたいと、先回りして木に登って待っていたその情熱と努力の理由について、福音記者ルカは全く触れていません。ただ、この3節の「見ようとした」とう表現は、ギリシャ語の原文では「見ることを捜していた」になりますので、ザアカイの救い主を求める心の様子を表していると言えます。

  そこで、イエスはそのいちじく(ぐわ)の木の下、「その場所」に来て、上を見上げて(みあ)ザアカイに優しく呼びかけます。ここで言われている「その場所」とは、イエスとザアカイとの出会いの場所として、神によって前もって決められた場所だったのです。また、イエスの「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」という呼びかけに、ザアカイは直ちに喜んで従います。この「今日」こそは、まさに神によって用意された特別な時であり、イエスの「泊まりたい」とう意思(いし)表示(ひょうじ)は、直訳するならば「泊まることになっている」となります。 

今日、救いがこの家に訪れた

また、神の思いと、人間の思いの違いは、人々のつぶやきにはっきりと示されました。つまり、イエスが、ザアカイの家に宿を取られたのを見ていた人々は、早速、つぶやき始めたのです。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」と。とにかく、人々は、ザアカイのような徴税人、すなわち「罪人」が、最初に救われるはずがないと考えていたのです。

  けれども、ザアカイは、立ちあがってイエスに自分の生き方を変える決意を約束します。

  「主よ、わたしは財産の半分を貧しいい人々に施します(ほどこ)。また、だれかからだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と。

  とにかく、ザアカイは、自分が罪人であると自覚していたからこそ、救い主を待ち望んでいたのではないでしょうか。たしかに、金銭的には大変恵まれていたにもかかわらず、人々からは嫌われ、罪人呼ばわりされていたので、心は決して満たされてはいなかったようです。ですから、彼の心は、(まこと)の救いに飢え渇いていたのかも知れません。だからこそ、木に登ってでも是非イエスに会いたいと思っていたのです。ザアカイのように神の救いを待ち望む魂の叫びを、詩編は次のように見事に(うた)っています。

  「涸れた()谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、いのちの神に、わたしの魂は渇く。・・・昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 夜、主の歌がわたしと共にある。わたしのいのちの神への祈りが。・・・なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻く(うめ)のか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。『御顔(みかお)こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ」(詩編422節〜12節)。このように、救いを捜していたザアカイは、失われた者を捜す神に出会うことができました。ですから、イエスは宣言なさいます。「今日(きょう)、救いがこの家を訪れた。・・・人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と。日々、わたしたちのそれぞれの家庭にイエスをお迎えできるために、まず、わたしたち一人ひとりを捜し求めておられる神の愛に気づくことが肝心です。なぜなら、そのときにこそ固く閉ざしていた心の扉をひらくことができるからです。イエスは、いつも外から戸を愛によって叩き続けておられますが、内側から扉を開かなければ、イエスは中に入ることができません。ヨハネの黙示録は、この神との出会いの神秘を、次のように描いています。

  「見よ、わたしは戸口(とぐち)に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事を共にし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(ヨハネの黙示録、320節)。

年間第30主日・C年(10.10.24

「へりくだる者は高められる」

アブラハムのうぬぼれ

聖書が語る救いの歴史において、最初に信仰の生き方の模範を示してくれたアブラハムですが、実は、晩年に近づいても一向に神の約束が実現しないことに焦り(あせ)を感じ、自分の考えでことを決めてしまいました。つまり、「あなたの子孫を大地の砂粒(すなつぶ)のようにする。大地砂粒(すなつぶ)が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」(創世記1316節)という神のご計画にもかかわらず、彼が百歳近くなっても一人の子どもも授かりません(さず)でした。そこで、アブラハムは、自分で勝手に養子縁組を決めてしましました。ですから、神に尋ねます。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子どもがありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。・・・ご覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の(しもべ)が跡を継ぐことになっています」と(同上152節〜3節)。すべてにおいて、神のことばに聞き従うことこそが、信仰の生き方の原点であることをすでに体験していたはずのアブラハムでしたが、なんとまさに重大なことを全く神に頼らないで決めてしまったのです。これこそ、アブラハムの神に対するうぬぼれにほかなりません。つまり、神に頼らないで自分自身に頼ってしまったのです。

  けれども、アブラハムは幸いにして神のおことばに改めて全面的に従ったので、神から見て正しい者とされました。そこで、神は宣言なさいました。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。・・・天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。・・・あなたの子孫はこのようになる」と(同上4節〜5節)。そこで、アブラハムは、自分の計画を潔く(いさぎよ)撤回(てっかい)し、神のおことばに全面的に従ったので、まさに正しい者と認められたのです。 

罪人(つみびと)のわたしを憐れんでください

ところで、今日(きょう)の福音に登場する徴税人も、神殿で遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っただけで、義とされたのです。この徴税人は、神殿(しんでん)(ほん)殿(でん)に近づくこともはばかって遠くにたたずんだまま、自分の犯し罪を悔み(くや)、「神よ、わたしを憐れんでください、御慈しみ(おんいつく)をもって。深い御憐れみ(おんあわ)をもって、背き(そむ)の罪をぬぐってください」という詩編51編の冒頭を思い起こさせる言葉で祈りましたが、「わたし」ではなく、はっきりと「罪人のわたしを」と自覚しています。

  一方(いっぽう)、ファリサイ派の人は、自分が神の前に正しい者となるために、十戒(じゅっかい)

を忠実に守り、努力を重ねて来たのでしょうが、彼が捧げた感謝は、自分がいかに正しく生活しているかを主張することに偏って(かたよ)います。つまり、彼は、自分自身に対する信頼をあからさまに表す、「自分自身を高くする」生き方をしていたのです。したがって、神の前では義とされません。このファリサイ派の人は、「週に二度断食し、全収入の十分の一を献げた(ささ)」のは、まさに自分の弱さを自分の努力によって克服しようとしたのです。

  ところが、徴税人のほうは、自分の弱さを神の憐れみを乞う突破(とっぱ)(こう)にしたのです。自分がいかに無力であるかをいつも自覚しているので、自分に頼らず、憐れみの神に全面的に信頼しているのです。この神の憐れみにより頼む生き方こそ、信仰者の生き方であることは、すでに旧約時代から語られて来ました。ですから、詩編に次のような祈りがあります。

  「ご覧ください、(しもべ)が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。

  わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください(詩編1232節〜3節)。 

福音があまねく()べ伝えられる

ところで、今日(きょう)「世界宣教の日」です。全世界のカトリック教会が、世界の各地における宣教活動のために特別に祈り、献金をし、犠牲をささげ日です。ちなみに、本日の献金は、各教区・諸団体から、それぞれの国の教皇庁事業事務局に集められ、毎年、春にローマで行われる総会で援助先が審議され、ローマ本部の指示にしたがい、世界各地の宣教活動のために分配されます。

  そこで、今日の第二朗読ですか、パウロが殉教による死を目前にして弟子のテモテに書き送った手紙から採られた箇所です。パウロの生涯は、特に異邦人に福音を()べ伝えるためにささげられたことを書き遺して(かきのこ)います。

  「わたしを通して福音があまねく()べ伝えられ、すべの民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました」と。

  ですから、実は、今日の箇所の前の1節から5節までは、テモテに対しての最後の勧告を切なる思いを込めて次のように書いています。

  「神の御前(みまえ)で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前(みまえ)で、その出現とその御国(みくに)を思いつつ、厳か(おごそ)に命じます。みことばを()べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時がきます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け(そむ)作り話(つくりばなし)のほうにそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み(つつし)、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」と。

  実は、パウロはすでに福音を()べ伝えることが、自分の働きの原動力になっていることを、はっきりと次のように自覚していました。「もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇り(ほこ)にはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を知らせないなら、わたしは不幸なのです。・・・弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。・・・福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」と(コリントの信徒への手紙一、916節〜23節)。 

福音宣教はまず家庭から

最後に、今日(きょう)の「世界宣教の日」にちなんで、わたしたちの使命である福音宣教は、先ず身近な所から始める必要があることを確認したいと思います。

  教皇ヨハネ・パウロ二世は、その使徒的勧告『家庭』で次のように勧めておられます。「キリスト者の家庭は、福音を受入れ信仰を深めるにつれて、福音を告げる共同体となります。・・・家庭は、教会のように、福音が伝えられる場であり、さらにそこから福音が広まって行く場でもなければなりません。この使命を知っている家庭では、家族全員が同時に、福音を受入れながら一方では福音宣教をしているのです。親は子どもに福音を伝えるだけではなく、子どもから生活に深くかかわった福音を受け取ることができます。このような家庭は、近くの家庭にとって福音宣教者となります」(52項)。

  共に働いてくださる主に全面的に信頼し、福音宣教の使命を忠実に果たすことができるよう共に祈りたいと思います。

アブラハムと妻サライ

年間第29主日・C年(10.10.17

「果たして地上に信仰を見出すだろうか」

サンタ・マリアのご像はどこ! 

  国宝に指定されている長崎の大浦(おおうら)天主堂(てんしゅどう)は、パリ外国宣教会の宣教師フューレ神父によって1863年に着工され、同年長崎に上陸した同じ会の宣教師プチジャン神父によって完成しました。そして、献堂式が行われたのは、翌年の319日、当時の日本教区長のジラール神父が司式し、「日本二十六聖人教会」と命名されました。そこで地元長崎の人たちは、「フランス寺」と呼ぶようになりました。

  とにかく、物珍しさ(ものめずら)に連日この建物を見に人が集まって来たのですが、まだキリシタン禁制が敷かれていたので、役人たちは監視の目を光らしていました。

  ところで、長崎に隣接する(うら)上村(かみ)で二百五十年間一人の司祭もいなかった時代に、七世代にわたってカトリック信仰を守り通して来たキリシタン農民たちがおりました。ですから、彼らの間で「フランス寺にサンタ・マリアさまがおいでなさる」という(うわさ)村中(むらじゅう)に広がって行き、キリシタンの心にどよめきが起こりました。「サンタ・マリアさまがいらっしゃるなら、そこの異人(いじん)さんは、パーデレ(ポルトガル語の神父)さまに相違ない。」そこで、イザベリナゆりという女性のキリシタンが、「フランス寺に行って、パーデレさまに会いたい」と言い出し、とうとう十二人から十五人ほどのグループになり、1865317日金曜日の昼下がり、一行はフランス寺の玄関に辿り(たど)つきました。あいにく聖堂の(とびら)は閉まっていたのですが、庭にいたプチジャン神父は彼らを見つけ、開けてくれました。ところが彼らが、聖堂に入ると一般の見物人をよそおい、別々に分れてしまいました。そこで、プチジャン神父は、祭壇の前に跪き祈って(ひざまず)いました。そこに、三人の婦人が近づき、その一人が神父の耳元に囁きました(ささや)。「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」「わたしたちは浦上(うらかみ)のものでござりまする。浦上(うらかみ)のものは皆同じ心でござりまする。」さらに、「サンタ・マリアのご像はどこ」と尋ねたのです。神父は聖母子像の前に彼女たちを案内したので、他のキリシタンも皆集まってきました。「ほんとにサンタ・マリアさまだよ。御子(おんこ)ゼズスさまを抱いていらっしゃる。」「わたしたちは今カナシミ(せつ)を守っています。あなたも守りますか。」悲しみ節(かなしみせつ)とは四旬節のことで、厳しい迫害が続く中、一人の神父もいなかった二百五十年間、「隠れキリシタン」は、四旬節の断食と祈りを忠実に守って来たのです。 

迫害に耐え抜いた信徒の共同体

  この感動的な出来事は、“キリシタンの復活”または、“信徒発見”と言われ、世界宗教史の奇跡とされていますが、それは、司祭が全くいなくなった迫害の二百五十年間、七世代にわたって途切れる(とぎ)ことなく(まこと)の信仰を守り抜いたという日本の教会の歴史にほかなりません。

  したがって、最近なされたキリシタンの歴史的研究によって、この奇跡的出来事が詳しく説明されています。

  まず、十六、七世紀の日本におけるキリシタンが、「民衆」のものであり、「信徒」の集団であったいう事実です。当時、スペインやポルトガルから来日した宣教師の人数は、急激に拡大(かくだい)する日本のキリシタン共同体を司牧するにはあまりにも限られており、常に人手不足に悩む状況でした。たとえば、1554年の段階で、信徒数はすでに2000人を超え、豊後(ぶんご)平戸(ひらど)などの地域に分散していました。けれども、彼らを司牧する宣教師はわずか10名でした。したがって、司祭がいなくても信徒たちが自分たちの中から指導者を選び自立した共同体を育てる必要があったのです。

  ですから、特に1610年代以降、司祭が常駐しないキリスト教共同体が幕府の徹底的な迫害をさけ、生き残る制度を確立したのです。今日の福音で、イエスは「気を落とさずに絶えず祈らなければない」と教えておられますが、キリシタン時代にこそ、祈りを生活の中にしっかりと根付かせたのではないでしょうか。たとえば、すでに1560年代に、キリシタンが家庭集会で祈るとき、家庭祭壇の上に祝別した「コンタツ」(ロザリオ)を飾り、そこに集まった信徒たちが共同体として聖母マリアへの取り次ぎを願っていたのです。つまり、迫害に耐え抜くことが出来た共同体の土台は、祈りにほかなりません。

  また、1629年、「踏み絵」によってキリスト教徒の検挙(けんきょ)を先ず長崎で実施したのですが、加えて、1646年には、「五人組」制度が敷かれ、民衆相互の間でのキリシタン摘発(てきはつ)のネットワークが全国に張り巡らされました(はりめぐ)このような厳しい状況の中でこそ、キリシタンたちは、抵抗の地下組織であるキリシタン共同体を堅固なものに育て上げたのです。パウロも、その手紙のなかで、信仰共同体における相互の助け合いと一致がいかに大切か、次のように強調しています。

  「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のような変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、(かしら)であるキリストに向って成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々(ふしぶし)が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は(ぶん)に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです」と(エフェソの信徒への手紙414節〜16節)。 

忍耐強く、十分に教える

  また、パウロは、今日の第二朗読で、共同体が成長するために共にみことばを忠実に学び、伝え続けることの大切さを主張しています。

  「自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだのかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。・・・みことばを()べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。どがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」と。また、キリシタン迫害時代に司祭不在でも自立できる共同体に成長できたのは、信徒リーダーの活躍がその鍵を握っていたといえましょう。この信徒の指導者の任務は、洗礼志願者に洗礼を授けること、また、死者を埋葬すること、弱い者を励まし、村落内でキリスト教の教理を教えることでした。このような信徒指導者は、まず、宣教師や修道士たちから指導を受けた後、各民家の家庭祭壇をまもり、信徒を導くという大切な役割を担っていたのです。

  一方では、司祭が頻繁に巡回できる自由を束縛されたキリスト教徒の集団は、次第に衰え、個々人のレベルでは、信仰を失う危険に直面することもありました。そんな中、司祭不在でも自立できるまでに育てられた信仰共同体は、迫害に対して動じない強さを備えていたのです。

  わたしたちも、迫害にも耐え抜くことができる共同体をしっかり育てることができるように、共に祈りたいと思います。

大浦天主堂

年間第28主日・C年(10.10.10

「主は生きておられる」

異邦人の軍司令官ナアマンのいやし

今日の第一朗読は、異邦人の国シリアの軍司令官ナアマンが、預言者のことばすなわち神のことばに従ったので、自分の持病であった重い皮膚病がたちどころに癒されたという感動的なエピソードを、伝えています。実は、この登場人物ですが、王の軍司令官という地位と名誉もありながら、不幸にも重い皮膚病のため苦しい日々を送っていました。ところが、「神の人」この呼び名は、「神の力と権威を持つ人物」という意味ですが、旧約時代の偉大な預言者エリアの弟子のエリシャに最も多く使われます。この神の人エリシャの言葉によって、その病気が奇跡的にすっかり癒されたのです。

  この出来事のいきさつをもう少し詳しく説明します。この異邦人のナアマンは、イスラエルの地から捕虜として連れて来られた一人の少女の勧めに従って、神の人エリシャに自分の苦しい持病を是非とも治してもらいたいと思ったのです。ですから、早速エリシャの家を訪ねますが、肝心のエリシャは直接会ってくれません。その代わりに使いの者に次のような伝言(でんごん)を託します。「ヨルダン川に行って七度(ななたび)身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と。ところが、ナアマンは怒って身を翻し(ひるがえ)憤慨(ふんがい)しながらそこを立ち去ってしまいます。エリシャ自らが出て来て自分の病気を直接いやしてくれると思っていたからです。けれども、ナアマンの家来たちは、彼をいさめます。「わが父よ、あの預言者が大変なことを命じたとしても、あなたはそのとおりなさったに違いありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」と。そして、今日の第一朗読箇所が続きます。

  つまり、この神の人のことばを信じて言われたとおりにしたところ、ナアマンの重い持病はたちどころに癒されたのです。まさに、預言者エリシャが仲介する「神のことば」の力に触れたのです。このみことばの力は、どんな病気をも直ち(ただ)に癒す力にほかなりません。確かに、この軍司令官は、最初は神の人自ら(みずか)出て来て、自分の前に立ち、まず神に祈ってから直接自分の皮膚に触れて治して(なお)くれるものと思っていたので、肝心のエリシャに会えなかったことに(ふん)(がい)したのでしたが、いさめる部下の勧めどおり、神の人エリシャのことばを、神のことばと信じたので奇跡が起こったのです。そこで、この素晴らし奇跡を体験したナアマンは、早速神の人に感謝のしるしとして贈り物を差し出します。けれども、エリシャは、辞退しました。「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と。この言葉こそ、(まこと)の神への信仰告白にほかなりません。つまり、この預言者の信仰告白が、すでに異邦人のナアマンに伝わっていたので、ナアマンが奇跡を体験することができたのではないでしょうか。なぜなら、神が現に生きておられ、また働いておられるからこそ、かみのことばを信じる信仰が、奇跡を起こす原動力になるからです。ですから、この(まこと)の信仰によってわたしたちも救いを、必ず体験できるのであります。このことを、実は、今日の福音が、見事に語っております。 

清くされて、いやされた

イエスはエルサレムへの旅路で、サマリアとガリラヤの間を通られたとき、重い皮膚病を患って(わずら)いる十人の人たちに出迎えられます。勿論、彼らは律法の掟に従って近くには来ることができないので、遠くの(ほう)立ったまま、大声(おおごえ)叫びます。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と。

  ところで、今日の福音の舞台となっているのは、「サマリアとガリラヤの間の」村です。このような場所が選ばれたのは、サマリアが当時「異邦人世界」の象徴ともなっていたからです。なぜなら、サマリア地方は人種的にも文化的にも混血が始まっていたからです。ですから、サマリア人は、純粋な血統を重んじるユダヤ人から見れば、ユダヤ人とはとうてい呼べない異国の民に等しい(ひと)存在でした。けれども、福音記者ルカによれば、エルサレムに向かって歩むイエスは、ユダヤ人の救いのためだけではなく、異邦人の救いのためにも十字架に上られるのです。

  ところで、この「重い皮膚病」というのはおおざっぱな言い方で、恐らくかつてはライ病と言われていたハンセン病も含まれていると考えられます。ですから、当時のユダヤ教社会でも、この病気に罹って(かか)いる人たちは、健康な人に近づくことは、固く(かた)禁じられておりました。したがって、人里離れた所に住まなければなりませんでした。そこで、イエスが村に入ろうとしたとき、「遠くの(ほう)に立ち止まったまま」十人が、イエスをお迎えしたのは、彼らが明らかに村の外に隔離されていたからです。日本でも、この病気に罹って(かか)いる方々を強制的に隔離するだけでなく、基本的人権までも踏みにじった対応を1907年に制定された「らい予防法」によって90年もの長い間取り続けて来たという、大きな汚点を残しております。ちなみに、この法律は、1996年の4月にやっと廃止されました。

   とにかく、イエスは、このように共同体から隔離されてまさに差別されている人々に近づいてくださるのです。ですから、イエスは早速、彼らに優しくお言葉を掛けられました。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と。なぜなら、律法の規定によってこの病気が治ったことを証明するのは、医者ではなく祭司だったからです。実は、レビ記に次のように記されて(しる)います。「彼が祭司のもとに連れて来られると、祭司は宿営の外に出て来て調べる。患者の重い皮膚病が治っているならば、祭司は清めの儀式をするため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝を用意させる」と(レビ記14.2-4)。

   この十人の患者が実際に清くなったのは、なんと祭司の所に行く途中でのことでした。ところが、「その中の一人」が、神を賛美しながらイエスのところに戻って来て、その足もとにひれ伏して感謝します。そのきっかけは、自分が癒されたのを「知った」からです。ここで「知る」と訳された言葉ですが、普通は「見る」を意味します。ですから、自分が癒されたことを「見た」ことが、神とイエスに賛美と感謝をささげるきっかけとなったのです。

   つまり、このサマリア人の患者が見たものとは、実は、清くされた自分の皮膚に触っておられる、まさに神の憐みの指だったのではないでしょうか。彼は、「清くされた」だけではなく、「癒されたこと」をも見たのです。15節で「清くされた」が、「癒された」に変えられているのは、まさに神との深い交わりに招き入れられたことを強調するためです。神の憐みの心は、人の「いのち」に無関心ではいられません。とにかく、このサマリア人は、神との関わりに気付いたので、おのずと自分の体の向きを変え、つまり生き方そのものの姿勢を転換したので、イエスのお言葉をとおして働く神の憐みをまず賛美し、そしてイエスに感謝するために急いで戻って来たのではないでしょうか。ですから、救いとは、「清くされた」だけではなく、「癒された」こと気づくことにほかなりません。そして、信仰とは、清くされた自分の皮膚の向こう側に、神の指を見、自分の生き方を変えることなのです。ですから、イエスは彼に宣言なさいました。「あなたの信仰があなたを救った」と。

   わたしたちも、日々わたしたちの信仰によって救いを体験できるように、共に祈りたいと思います。

病を癒すキリスト

年間第27主日・C年(10.10.3

「まことの信仰を育てる」

今日の福音の文脈 

   今日(きょう)の福音は、ルカ福音書の17章の冒頭(ぼうとう)の部分ですが、イエスが弟子たちに大切な教えを述べられる場面であります。まず、イエスは、躓き(つまづ)について嘆かれます(なげ)。「躓き(つまづ)避けられない()。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人を躓かせる(つまづ)よりも、(くび)ひき臼(うす)懸けられて()、海に投げ込まれてしまう(ほう)がましである」と(1-2節)。

   その次に、お互いが赦し合うことの大切さを、強調なさいます。「あなた方も気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい(いまし)。そして、悔い改めれば、赦してあげなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と(3-4節)。ここで言われている、「一日に七回」の(なな)は、完全な(かず)を表しておりますので、「何度でも、或いは無制限に」という意味になります。

   このイエスのおことばを聞いていた弟子たちは、自分たちの信仰の弱さに気付いたのでしょうか、早速、イエスにお願いします。「わたしどもの信仰を増してください」と。つまり、今、自分たちが持っている信仰が足りないと考えていたのであります。特に、「何度でも」赦すためには、もっと大きな信仰が必要だと思ったのかも知れません。

   そこで、イエスはお答えになられます。「もしあなたがたに、からし種(だね)(ひと)(つぶ)ほどの信仰があれば、(くわ)の木さえも従わせることができる」と。この「からし種のような」というのは、日本では「けしの花の(たね)つぶのような」と言い換えることができますが、とにかく、からし種(だね)中近東(ちゅうきんとう)の植物の中で最も小さな(たね)であるにもかかわらず、育つとなんと約3メートルの高さになるそうです。ですから、イエスがこの(たね)のイメージを使って説明なさったのは、信仰が小さいものから大きいものにしっかりと成長することを認めておられたからと思います。

   しかしながら、この信仰は何よりも「本物、あるいは(まこと)の信仰」でなければなりません。つまり、信仰は、その大きさで測るのではなく、まさにその「(しつ)が問われる」のではないでしょうか。ですから、「(まこと)の信仰」があれば、たとえからし種のように小さくても、まさに信じられないほどの力を発揮するのであります。けれども、いわゆる「奇跡」が、「(まこと)の信仰」のあかしになると言うのではありません。

イエスが、ここで強調なさっておられるのは、むしろ「(まこと)の信仰」がもたらすまさに奇跡的な力であります。

   ちなみに、マタイも「らし種(だね)一粒(いちつぶ)ほどの信仰」の力強さを引きあいに出しておりますが、全く違った文脈(ぶんみゃく)あります。つまり、悪霊を追い出すことのできなかった弟子たちが、その(わけ)問い質した(といただ)ときに、イエスは「からし種(だね)一粒(いとつぶ)ほどの信仰」がもたらす力の偉大さを説明なさったのです。

つまり、マタイ福音書の文脈では、悪霊追放といういわば目立つ(わざ)と信仰を結びつけております。ところが、ルカは、罪を犯した兄弟を無制限に赦すためには、どうしても「(まこと)の信仰」が必要であることを強調しているのであります。なぜなら、信仰こそは、華々しい(はなばな)悪霊追放という業をもたらすだけではなく、罪の赦しというまさに目に見えない偉大な業を引き起こすことができるからであります。つまり、からし種一粒ほどの信仰は、驚くべき力を秘めて()いるからです。 

しなければならないこと 

   ところで今日の福音の後半は、また別なテーマが語られております。つまり、一日の仕事を終えて()帰宅した(しもべ)が、当然のことながらさらに主人の食事の準備をし、そして給仕をしても、主人からは何の感謝も期待できないというのです。なぜなら、それらすべては、(しもべ)として果たすべき務め(つと)にほかならないからです。このことを、わたしたちに当てはめた場合は、どうでしょうか。わたしたちキリスト者が、たとえ善業を行ったからといって、神から決して見返りを求めるべきではないのです。実は、ここの10節で言われている「しなければならない」という言い回しを、直訳しますと「行うことを担って(にな)いる」となります。そして、この「担って(にな)いる」という言葉は、パウロが書いたローマの信徒への手紙でも、次のように使われております。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借り(かり)があってはなりません」と(13.8)。そこでは、隣人愛は、神から受けた愛への応答に過ぎないと見ているのであります。つまり、わたしたちが隣人を懸命に愛することによって、神の愛に精いっぱい(せい)応えよう(こた)としても、神からいただいた愛に相当するほどには、決してなりえないからです。ですから、わたしたちの隣人愛においては、どうしても借りが残ってしまうのであります。

   では、このことを、そのまま今日(きょう)の福音の10節の言葉に当てはめて見ましょう。要するに、わたしたちキリスト者が、奉仕や善業を「しなければならない」のは、イエスを通して示された父なる神の無限の愛への応答に過ぎないということになります。

   とにかく、パウロの手紙では、「隣人愛」が、神のわたしたちに対する愛に応えることなので、いつも借りが残るとされていますが、今日の福音の文脈では、兄弟を無制限に赦すことが、わたしたちが当然実行「しなけれなならない」ことになります。つまり、罪を犯す兄弟を戒め、彼が悔い改めるなら、何度でも赦すのは、わたしたちの忍耐がもらす結果では決してありません。むしろ、それは、僕が主人に忠実に給仕するように、わたしたちキリスト者の本来なすべき務め(つと)にほかなりません。なぜなら、わたしたちキリスト者は、すでに神からの赦しを豊かに受けているからであります。ですから、兄弟を赦すことは、わたしたちが、神によってすでに赦されていことの証しに過ぎないのです。だからこそ、イエスは「何度でも」兄弟を赦すようにと、命じられたのではないでしょうか。

   とにかく、わたしたちに真の信仰があれば、この神の無制限の愛に気付き、大きな力を獲得(かくとく)することができます。ですから、この力を使ってわたしたちは、神の赦しを人々に伝えることができるのであります。

   ですから、復活のイエスが、弟子たちに次のように命じられました。

「『父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、かれらの(いき)を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る』と」(ヨハネ福音書2021節〜23節)。

今日のこのミサが終わるとき、わたしたちはそれぞれの場に派遣されます。それは、なによりも神の赦しの素晴らしさを、出会う人々に伝えるためであります。このわたしたちの大切な使命を、みんなで力を合わせて忠実に果たすことができるように共に祈りたいと思います。

からし種

年間第26主日・C年(10.9.26

「信仰の戦いを立派に戦い抜く」

無関心からの解放

カトリック教会のまさに歴史的大改革であった第二ヴァチカン公会議は、1962年の10月から1965年の12月まで、ローマの聖ペトロ大聖堂で丸四年の歳月(さいげつ)をかけて全世界の教会から招集された2,860人の公会議教父(司教)たちと484人の公会議顧問神学者、さらに130人の諸教会からのオブザーバーと招待者が参加した画期的なイベントでした。そこで、特に1962年の第一会期の終わりに近づいたとき、事前に全く準備されていなかった議案が新たに浮かび上がって来たのが、最終的に『現代世界憲章』となった、大切な課題でした。それは、教会が現代世界と積極的に対話し、関わって行くための基本的な奉仕の枠組みを明確にした議案でした。それまでの教会は、特に近代そして現代になってからは、世界をむしろ警戒し、自らを閉ざして来たといえます。

  ですから、この新しい議案によって、教会は世界に対して奉仕して行く大切な使命があることを確認することができたのです。そこで、1965年の第四会期に決定された公文書の冒頭は、次のような宣言になっています。

  「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々と苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。(まこと)に人間的事柄で、キリストの弟子たちの心に反響を呼び起さないものは一つもない。・・・彼らは、キリストにおいて集まり、父の国への旅において聖霊に導かれ、すべての人に伝えなければならない救いのメッセージを受けている」と。

  ところで、今日の第一朗読で、紀元前8世紀に北イスラエル王国で活躍した預言者アモスが、当時の上流階級の人たちが、貧しい人たちを搾取(さくしゅ)するだけで、彼らの苦しみに対して全く無関心であったことを、次のように厳しく批判しています。

  「お前たちは象牙(ぞうげ)寝台(しんだい)に横たわり 長い椅子に寝そべり 羊の群れから小羊を取り 牛舎から子牛を取って(うたげ)を開き 竪琴(たてごと)()に合わせて歌に興じ(きょう) ダビデのように楽器を考え出す。・・・しかし、ヨセフの破滅(はめつ)に心をいためることがない。それゆえ、今や彼らは捕囚の先頭を行き 寝そべって酒宴(しゅえん)を楽しむことはなくなる」と。

  つい先ほども、二週間前の夜尋ねてきたホームレスのおじさんから、また、援助を願われましたが、今回はそれを丁重にお断りしました。それでよかったのでしょうか。

  ところで、1982年の二度目の来日の際、各地で講演なさったマザーテレサは、わたしたち日本人に対して次のようなアピールをなさいました。

  「引きこもりと呼ばれている人たちがいますが、こういう人々は孤独な暮らしをしていて、だれにも必要とされず、ただ恐れおののいて、一人きりでいます。それが、日本でも、アメリカでも、インドでも、恐らく、どの国や場所でも、いわば今日(こんにち)のホームレスなのです。人間がいるところには、どこにでも、愛に飢えている人々がいるのです。・・・日本にも皆さんの愛を必要としている貧しい人々がいます。皆さんのほほえみたけでも、いいかもしれません。目の不自由な(かた)がいて、そういう(かた)たちに、新聞を読んであげることもできるでしょう。病気になってしまったお母さんの代わりに、食糧品を買いに行って上げたりもできます。ほんの少しのことだけでもいいのです。でも、そういうことから愛がはじまるのです」(アグネス・チャン『しあわせを見つけるマザー・テレサの26の愛の言葉』1456頁)。

信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手にいれなさい

また、パウロは今日の第二朗読で、永遠のいのちを得るために信仰の戦いが必要であると強調しています。それは、まさに愛の実践のために自分の利己主義と、特に苦しんでいる貧しい方々に対する無関心を克服しなければならないということではないでしょうか。ですから、イエスは、具体的に勧めておられます。

  「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れる()ことのない財布(さいふ)を作り、尽きることのない富みを天に積みなさい。そこは、盗人(ぬすびと)も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富にあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と(ルカ福音書1233節〜34節)。

  そこで、今日の福音ですが、貧しい人たちに対して全く無関心であったエリート集団のファリサイ派に向けてイエスが、語られたたとえであります。

  ルカ福音書の文脈では、16章全体のテーマが、富についてであり、この福音書の二つに基本的確信、つまり「貧しい人々は、幸いである」(620節)、そして「富んでいるあなたがたは、不幸である」(624節)という確信の説明になっています。

  このたとえに登場するラザロが横たわっていたのは、金持ちの門前(もんぜん)です。ところが、この金持ちは、この惨めなラザロに全く関心がなく無視しています。そこで、死後、この二人の境遇(きょうぐう)は、まさに逆転します。金持ちは、恐らく盛大な葬式によって葬られた(ほうむ)のでしょうが、ラザロは墓に葬られる(ほうむ)こともなく、直接、「天使たちによって連れて行かれ」ました。そこで、ラザロが運ばれたところは、原文では「アブラハムの(むね)」となっています。それは、(むね)に抱かれる子どもの平安を表すと同時に、天の祝宴での最高の席をも表しています。

  一方、生前に「いつも紫の(ころも)や柔らかい麻布(あさぬの)を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」金持ちは、陰府(よみ)の炎の中でもだえ苦しんでいます。

  生前、苦しんでいたラザロは、今、「慰められて」います。ちなみにラザロという名前は、「神が助ける」という意味です。けれども、神がラザロを助けたのは、彼の善い行いによるのではありません。むしろ、それは、「貧しい人々は幸いである」というイエスが語られた神の国の秩序の実現にほかなりません。

  そこで、この金持ちは、炎の中で「ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください」と、アブラハムに憐れみを乞いますが、金持ちとラザロの間には、「大きな(ふち)(裂け目)」があるのでそうすることができません。生前、この憐れなラザロに対して無関心という大きな裂け目を造っていたこの金持ちは、死後、二人の境遇が逆転してしまいますが、この裂け目を埋める手立て(てだ)はありません。そこで、せめて、この世に残っている兄弟たちに警告して欲しいと願う金持ちに対して、アブラハムはそれを断ります。なぜなら、「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」からです。

  この世に生きるわたしたちには、天の国を垣間見ることが、赦されていませんが、神のことばを「聞く」ことはできます。まさに、神のことばを「聞く」ことこそが、救いと滅びに分ける原点にほかなりません。ですから、神のことばを「聞く」ことによって、この世における一回限りの人生の生き方を変えて行くことができるのです。イエスは、宣言なさいました。

  「わたしのことばを聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠のいのちを得、また、裁かれることなく、死からいのちへと移っている」と(ヨハネ福音書524節)。

金持ちとラザロ

 

年間第25主日・C年(10.9.19

「神と富とに仕えることはできない」

安息日の意義は何か 

週の初めの今日(きょう)また、わたしたちが此処に父なる神によって呼び集められたのは、まさにわたしたちの信仰の原点に立ち帰るためにほかなりません。つまり、神の救いのみ業の頂点である主の復活を記念し、自分自身を主と共に父なる御父にささげるためにこのミサを共同体としてささげているのです。

実は、旧約時代には、週の終りの日、つまり安息日を特別に聖なる祝福された日とするために、普段の仕事を休んで会堂に集まり、聖書を(ひも)解き神(と)の救いのみ業を思い起こし、(まこと)の礼拝をささげていました。その伝統は、イエスの時代に至るまで忠実に守られて来ました。ですから、イエスが、ご自分の故郷ナザレに戻られたときも、安息日の会堂での礼拝に参加なさいました。その様子をルカは、次のように報告しています。

「イエスは、お育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった()。『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた。・・・・』イエスが巻物を巻き、係りの者に返して席に座られた(すわ)。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこで、イエスは、『この聖書のことばは、今日(きょう)、あなたがたが耳にしたとき実現した』と話し始められた」と(ルカ福音書416節〜21節)。

ところで、紀元前8世紀に北イスラエル王国で活躍した預言者アモスは、今日の第一朗読で、金儲け(かねもう)に夢中になっている商人たちを批判しながら当時の王や、金持ちたちに次のような厳しい言葉を投げ掛けています。

「貧しい者を踏みつけ 苦しむ農民を抑えつける者たちよ。お前たちは言う。『安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。・・・弱い者を金で、貧しい者を靴一足の(あたい)で買い取ろう』・・・」

とにかく、一日も休まずに仕事をすれば、儲け(もう)はいっそう増やせると思い、働いてはいけない安息日は、彼らにとっては早く終わればいい迷惑な日だったのです。

では、そもそも安息日が何のために定められたのか、旧約聖書には、二つの説明がありあます。まず、シナイ山でモーセを通して与えられた十の掟の中で、次のように命じられています。

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日(むいか)の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目(なのかめ)は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・・」と(出エジプト記20章8節〜10節)。

聖別された特別な日であるから、仕事は休まなければならないのです。

  また、申命記では、次のような説明になっています。

  「あなたがたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手(みて)()(うで)伸ばして()あなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」と(申命記515節)。神の偉大な救いのみ(わざ)を思い起こす日なのです。

  このように、安息日は、信仰の原点に立ち帰るために守るべき聖なる日なのです。ですから、わたしたちのとっては、日曜日が安息日の代わりに「主の日」つまり主の復活を記念する日としてミサに参加する大切な日になりました。

  また、ミサにおいて、すべての人々のために祈りをささげることの大切さを、パウロは今日の第二朗読の冒頭で次のように勧めています。

  「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」と。

  したがって、ミサの中の「共同祈願」において、四つの意向を次のような順序で祈ることができます。第一は、「教会の必要のため」、第二は、「国政に携わる(たずさ)人々と全世界の救いのため」、第三は、「困難に悩む人々のため」、第四は「現地の共同体のため」です。 

神と富とに仕えることはできない 

次に、今日の福音の最後のおことばで、イエスは信仰の生き方の基本的姿勢を明確に強調なさっておられます。つまり、わたしたちは「神と富とに仕えることはできない」のであります。ですから、「主日のミサ」に、一週間ごとに定期的に忠実に参加するのは、まさに信仰の原点に立ち返って、神に仕えることを確認することにほかなりません。したがって、一週間の生活も、仕事や日常生活の煩わしさ(わずら)に流されてしまい、神以外のものに仕えてしまうことにならないように、日々の祈りによって神に仕える姿勢を保つ必要があります。

ですから、モーセの次のような具体的な勧めを強調したのです。

  「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一である。あなたは心を尽くして、魂をつくし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも、起きているときも、これを語り聞かせなさい」と(申命記64節〜7節)。ですから、わたしたちは、日々の生活においてもまず神に仕える、つまり神の掟を守ることを、常に最優先的に選ぶことなのです。

  イエスが忠告なさった「神と富とに仕えることは出来ない」ということは、特に主日のミサで確認し、毎日の生活の中で神を中心にすることにほかなりません。ですから、パウロは、わたしたちキリスト者が日々、具体的にどのような生き方をすればよいのかを、次のように勧めてくれます。

  「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい(ささ)。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたは世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と(ローマの信徒への手紙、121節〜2節)。

  とにかく、現代人の生活は、あまりにもゆとりがありません。大人だけが忙しいのではなく、子どもたちまでもが、せっかくの「主の日」に休むことができず、部活などに殆どの時間を取られています。結局、大人も子どもも神と富とに兼ね仕えようとしているのではないでしょうか。ですから、結果的に神以外のものに仕えることを優先的に選んでしまうことになりかねません。つまり、まさに世間的な価値観にとらわれてしまうのです。

ですから、ヨハネは、厳しく忠告しています。

  「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父(おんちち)から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます」と(ヨハネの手紙一、215節〜17節)。

主日のミサ(イメージ)

年間第24主日・C年(10.9.12

「全能のゆえに、回心させようと、罪を見過ごす」 

くだすと告げられた災いを思い直された

聖書は、旧約聖書から新約聖書に至るまで、神の限りないあわれみと赦しを一貫(いっかん)して強調しています。今日の第一朗読も、主なる神が、偶像崇拝に陥って(おちい)しまった民に一旦くだすと決めた災いを、モーセの執り成しによって思い直されたという感動的な場面を伝えています。

  実は、イスラエルの民が、自分たちをエジプトの奴隷の家から救い出された(まこと)の神から離れ、偶像に頼ってしまうという罪は、その後も繰り返してしまいます。

  それは、今日の箇所から明らかなように、信仰の道からそれてしまい偶像を拝んでしまうという罪であり、自分たちを救ったお方がだれであるかを全く忘れてしまったからにほかなりません。すでに、シナイ山で神から第一の掟として、次のようなおことばをいただいていたはずなのです。

  「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」と(出エジプト記202節〜3節)。

  それにも関わらず、なぜ、イスラエルの民は、神が命じた道からそれて、

若い()(うし)にいけにえをささげ、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」と叫んでしまったのでしょうか。

  実は、そのとき彼らの取った態度は、今日の箇所の直前で次のように詳しく説明されています。

  「モーセがなかなか下りて()来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、『さあ、我々に先だって進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分らなくなったからです』というと、アロンは彼らに言った。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳環(みみわ)をはずして、わたしのところに持って来なさい。』・・・彼はそれを受け取ると、のみで(かた)を作り、若い雄牛の鋳像(ちゅうぞう)を造った」と(同上321節〜4節)。

  つまり、(まこと)の指導者を見失ってしまった民は、間違った指導者を偶像に求めてしまったのです。ですから、神は、モーセに命令なさったのです。「直ちに下山(げざん)せよ」と。そして、モーセは、神がご自分の民の罪のゆえにイスラエルを滅ぼそうとなさっておられるのを知って、神に懇願します。

  「主よ、どうしてご自分の民に向って怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力(みちから)と強い御手(みて)をもってエジプトの国から導き出された民ではありありませんか。・・・『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる()と言われたではありませんか」と。

  このように、まさに、神の憐れみと赦しを願うことができるのも、(まこと)の指導者の役割にほかなりません。 

主の恵みがあふれるほど与えられる

ところで先日、特別養護老人ホームを訪問し、病者のための聖体拝領の場面で改めて、主がご自分を、特に体の不自由な方々に与え尽くしてくださる姿を、小さなホスチアの中に目の当たりにすることができました。イエスが、いとも小さなパンとなられたので、その方が、せめてホスチアの半分でしたけれども、ゼリー状の御茶で口を潤しながら(うるお)やっとの思いで頂くことができたのです。イエスは、自らをパンの姿を変えて、病気で苦しんいる方々、体の不自由な方々に御自分を与えて続けてくださるのです。このイエスの深い愛に感謝しなければなりません。

  ですから、パウロは、今日(きょう)第二朗読で、イエスの愛を次のように強調しています。

  「わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」と。

しかも、このイエスを通して示される神の愛は、わたしたちを(まこと)の回心に導く力となるのです。このことは、すでに『旧約聖書続編』にある『知恵の書』で、次のように語られています。「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、回心させようと、人々の罪を見過ごされる(みす)。あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが 果たしてあるだろうか。いのちを愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」と(1123節〜26節)。 

回心する一人の罪人については、大きな喜びが天にある

次に、今日の福音ですが、受難と十字架が待っているエルサレムを目指して旅を続けておられるイエスの(あと)ついて来た群衆の中で特にイエスに近寄って来たのは、徴税人(ちょうぜいにん)や罪人であったと報告しています。神の憐れみを描く福音記者ルカは、今日の場面でも、イエスが三つのたとえによって憐れみ深い神の姿を説明されたことを述べています。

  まず、「失われた羊」のたとえによって、神から離れていた罪人を見出したときの神の喜びが、どれほど大きいかを描きます。「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで(かつ)、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。・・・このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」と。

  さらに、二つ目の「無くした銀貨」のたとえによって、「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」ことを強調しておられます。

  そして、今日の福音朗読で省略した三つ目のたとえが、「放蕩息子」のたとえです。父親の愛から離れて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、とうとう食べるにも困りはてた次男(じなん)が、「我に返って」(17節)改めて父親の愛に気づき、父親のもとに帰って来たとき、息子を既に赦している父親に迎えられたという感動的な物語です。わたしたちが回心して神のもとに立ち帰ることができるのは、すでに罪が赦されているからです。つまり、わたしたちが回心したから赦されるのではなく、むしろ、神の深い憐れみによって罪が赦されたから、神に立ち帰ることができるのです。このことを、第二イザヤは、次のように語っています。「思い起こせ。ヤコブよ イスラエルよ、あなたはわたしの(しもべ)。わたしはあなたを形づくり、わたしの(しもべ)とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ。わたしはあなたを贖った(あがな)」と(イザヤ書4421節〜22節)。神の限りない愛と憐れみを信じ、神に立ち帰らせていただくことができるよう共に祈りたいと思います。

ウィリアム・J.ウェッブ 「迷える羊」

 

年間第23主日・C年(10.9.5

「イエスの弟子になる条件」

知恵によって救われる 

  今日(きょう)の第一朗読は、『旧約聖書続編』にある『知恵の書』からとられています。この書物は、紀元前一世紀にエジプトのアレキサンドリアで書かれた「護教的な知恵文学」で、ソロモン王によって語られたという構成になっています。ですから、その9章で、ソロモンが王としての使命を果たすために必要な知恵を祈り求めています。今日の箇所の前の10節から11節では、次のような祈りになっています。

  「どうぞ、聖なる天から知恵を遣わし、あなたの栄光の座から知恵を送ってください。知恵がわたしと共にいて働き、あなたの望まれることが何かを わたしに悟らせるために。知恵はすべてを知り、悟っています。英知をもってわたしの仕事を導き、その栄光でわたしを守ってくれるでしょう」と。

  わたしたちが、信仰の道を正しく歩んでいくために、神から送られる知恵によって導かれなければなりません。なぜなら、「死すべき人間の考えは浅はかで、わたしたしの思いは不確か」だからです。

  わたしたちは、ついつい自分の思いや考えの(とりこ)になってしまい、神の御旨(みむね)からそれてしまう傾向があるのではないでしょうか。

  ですから、次のように祈るべきなのです。

  「あなたが知恵をお与えにならなかったなら、天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、だれが()(むね)を知ることができたでしょう」と。

  この神から与えられる知恵は、聖霊にほかなりません。

  したがって、パウロは、わたしたちが祈るときにも聖霊が助けてくださっていることを、次のように強調しています。

  「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自ら(みずか)が、言葉には表せないうめきをもって執り成して()くださるからです。人の心を見抜く(かた)は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心にしたがって、聖なる者たちのために執り成して()くださるからです」と(ローマの信徒への手紙826節〜27節)。

  そこで、ソロモンは、知恵を求める祈りを次のように締めくくっているのです。

  「こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、人はあなたの望まれることを学ぶようになり、知恵によって救われたのです」と。 

知恵は兄弟愛の実践へと導く 

  さらに、知恵に導かれたパウロは今日の第二朗読で、フィレモンに(まこと)の兄弟愛の実践を勧めています。

  今日(きょう)の箇所は、パウロが、恐らくエフェソで囚人となって監禁(かんきん)されていたときに、フィレモンに宛てて書いた手紙です。オネシモは、主人のフィレモンのもとから逃亡した奴隷で、パウロと一緒にいる間にキリスト者となりました。実は、フィレモンもパウロによって信仰に入ったのですが、パウロは彼にオネシモを奴隷としてではなく、愛する兄弟として受け入れるように勧めます。

  まず、パウロ自身、このオネシモを信仰における自分の子どもと認めています。ですから、「わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します」と、この奴隷をどれほど愛おしく(いと)思っているかを、打ち明けているのです。そして、奴隷制度の社会のただ中で、大胆(だいたん)にも、オネシモを奴隷以上の者、つまり主において愛する兄弟として受け入れるように、フィレモンに次のように願うのです。

  「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください」と。

  まさに、(まこと)の兄弟愛の実践は、不当な社会制度をも変えて行く原動力になるのではないでしょうか。

肉親に対する以上の愛をイエスに示す

次に、今日(きょう)の福音ですが、イエスがエルサレムに向う旅の途中で語られた大変厳しいおことばを伝えています。ルカの福音書では、すでに9章でイエスがご自分の受難の二回目の予告をなさった(あと)、ついにエルサレムに向う決意をなさったと、次のように報告されています。

  「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向う決意を固められた」と(51節)。

  ですから、この旅の途中で語られるおことばは、次第に厳しさが増して来ています。とにかく、この旅には、弟子たちだけでなく、大勢の群衆も同行していたのです。したがって、今日の場面は、イエスがその群衆を振り向いて語ったところです。

  「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子ども、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」と。ところで、ここで言われている「憎む」という言葉ですが、イエスの母語(ぼご)であるヘブライ語やアラム語の独特の表現で、「より少なく愛する」という比較を意味しているのです。ですから、マタイ福音書(1037節)では、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」となっています。つまり、肉親に対する愛以上の愛をイエスは、要求なさっておられるのではないでしょうか。ですから、例えば、親の反対を押し切って洗礼を受ける場合など、まさにイエスをいつも最優先的に選ぶことがイエスの弟子になる条件なのです。したがって、肉親を憎むということではなく、当然愛すべきですが、イエスを愛することはいつも肉親への愛を超えなければならないのです。

  けれども、それができるのは、パウロが断言しているようにイエスを愛することが、何よりもすばらしいことであると実感できるときではないでしょうか。ですから、パウロはイエスに対する信仰を次のように告白しています。

  「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失(そんしつ)と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今までは他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを(ちり)あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」と(フィリピの信徒への手紙、37節〜9節)。

  日々、自分を捨て、自分の十字架を背負って主に従う(マタイ福音書、1624節参照)ことができるよう共に祈りたいと思います。

奴隷オネシモとフィレモン

年間第22主日・C年(10.8.29

へりくだる者は高められる」

だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる

今日の福音は、ルカ福音書の14章から採られていますが、11節の「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」というくだりは、マタイ福音書では、全く別な場面で語られています。つまり、マタイ福音書の文脈では、共同体の基本的な在り方を説明する結論として次のように述べられています。

  「あなたがたは、『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師は、キリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と(マタイ福音書238節〜12節)。

  教会共同体は、天の御父によって唯一の師であるキリストを中心に呼び集められた信仰者の集いです。したがって、わたしたちは皆兄弟姉妹として奉仕し合う共同体です。だから、互いにへりくだるのです。

  ところで、パウロは、教会共同体は、「キリストの体」であり、互いにお互いを必要とし、また、お互いの多様性を尊重しなければならいと教えてくれます。しかも共同体が、一致と交わりを深めるために、弱いと思われる方々が必要であると次のように強調しています。

  「そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。・・・目が手に向って『お前は要らない』とは言えず、また、(あたま)が足に向って『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。・・・神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせ、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています」と(コリントの信徒への手紙一、1218節〜25節)。

  とにかく、共同体がお互いの交わりを深め一致していくために、まずへりくだり、お互いをありのまま受け入れなければなりません。 

自分を捨て、主に従う

また、信仰共同体が信仰において共に成長するためには、一人ひとりが、キリストにより忠実に従うことが必要です。それは、自分を捨て、自分の十字架を背負うことにほかなりません。特に自分を捨てることは、決して易しいことではありません。たとえば、ペトロがイエスから厳しくとがめられたのは、イエスがご自分の受難と死そして復活の予告をなさったときです。そのときペトロは自分の考えに凝り固まって(こりかた)いたので、イエスを、なんといさめたのです。

  「『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』」と(マタイ福音書1622節〜24節)。

  イエスが命じておられる「自分を捨てる」とは、自分の思いや考えを捨てて、神の御心に従うことではないでしょうか。

  この「自分を捨てる」ことは、イエスご自身がもっともすぐれた模範を示されたので、教会は古くから賛美歌によってイエスのへりくだりを褒め称えて(ほめたた)きました。ですから、パウロはこのイエスに倣うよう、彼の手紙に中で、この賛美歌を、次のように紹介しています。

  「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それは、キリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(フィリピ書2章3節〜9節)。

正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる

また、今日の福音の締めくくりで、宴会には「貧し人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と、イエスは命じられます。あぜなら、このような人たちつまりイエスの兄弟である最も小さ者にしたことは、「イエスにしたことになる」からです(マタイ福音書2540節参照)。

この「イエスにしたことになる」という生き方のすばらしい模範を残されたのが、福者マザー・テレサです。実は、今年(ことし)が、マザー・テレサの生誕百年に当たります。マザ―・テレサは、旧ユーゴスラビアで1910年、827日にお生まれになりました。18歳の時にロレッタ修道会員として、インドに派遣されました。そこで、聖マリア高校の教師となり、数年間は校長も務めました(つと)。たまたま、インドのコルカタで大騒動(だいそうどう)が起こり、生徒の家庭にも多くの犠牲者が出たのです。ちょうどそのころ、マザー・テレサは、健康の回復のために空気のきれいなダージリンで静養を兼ねた黙想をするように目上から命じられ、1946910日、そこに向う列車に乗っていたときです。彼女は、ロザリオを手にしながら、暴動(ぼうどう)犠牲になった方々のために真剣に祈っていたのです。祈りが深まるにつれて、何とイエスの叫び声が聞こえたて来たのです。列車の振動も車輪の音も、また、車内の話し声もすべてが遠ざかって行き、イエスの息遣い(いきづか)だけが間近に迫って(せま)くるように感じたとき、突然、目の前に十字架につけられたイエスが現れたのです。そして、マザー・テレサに向って、「わたしは渇く」と叫ばれたのです。十字架の(もと)には、聖母マリア、使徒ヨハネやマグダラのマリアも見えました。この全く神秘的な体験に大変戸惑って(とまど)いるうちに、列車は、目的地ダージリンに到着しました。そこで、彼女は、最寄り(もよ)の聖堂に向って急ぎ、そこで祈り続けました。その後、しばらく時を経た()ある日、とうとう決定的なイエスの声がまた聞こえたのです。「わたしはインド人の愛の宣教者たちが欲しいのだ。最も貧しい人々の中にあって、病気や死に逝く()人々、路上生活を強いられて()いる子どもたちの中にあって、わたしの愛の炎となりうる修道女になってくれるような神の愛の宣教者たちが欲しいのだ。お前に貧しい人々をわたしのもとに連れて来て欲しいのだ」と。あの列車に中での神秘的体験から四年たった1950年、107日、「神の愛の宣教者会」の設立が、コルカタの大司教から認可され、メンバー12名でスタートしたのです。

  19791210日、「ノーベル平和賞」を受賞なさったとき、マザー・テレサは次のように話されました。「わたしがいただいたノーベル平和賞の賞金で、多くの家のない人々のためにホームを作ろうと思います。なぜなら、愛は家庭から始まると信じているからです。最も貧しい人々のために家が作られるなら、もっともっと愛が広がって行くと思います」と。

マザー・テレサ

年間第21主日・C年(10.8.22

「狭い戸口から入るように努めなさい」 

主よ、救われる者は少ないのでしょうか 

  今日(きょう)の福音は、イエスが、十字架が待っているエルサレムを目指して進んでおられた時に語られたことを伝えています。実は、ルカは、すでに9章でイエスが弟子たちと一緒にエルサレムに向う旅について、次のように説明しています。

  「イエスは、天に上げられる()時期が近づくと、エルサレムに向う決意を固められた(かた)」と(51節)。

  ここで言われている「天に上げられる()」とは、イエスの死と同時に昇天を表しています。ですから、これから旅に出てエルサレムで殺され、そして昇天するまでの期間は、神のご計画による実現であることが強調されているのです。

  ちなみに、マルコは、このエルサレムへ向かう旅の様子を次のように伝えています。

  「一行はエルサレムへ上って(のぼ)行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。『今、わたしはエルサレムへ上って(のぼ)行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱(ぶじょく)し、(つば)をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の(のち)に復活する』」と(マルコ福音書1032節〜34節)。

  ところで、今日(きょう)の福音は、エルサレムへ向かって進んでおられたイエスは、その途中の町や村を巡って教えておられたので、聴衆(ちょうしゅう)の一人が「主よ、救われる者は、少ないのですか」と、イエスに問い掛けた場面で始まっています。確かに、救われる者の人数に関しての質問と受け止めることができますが、イエスは全く別の見方からお答えになります。

「狭い戸口から入るように努めなさい(つと)。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と。

この「狭い戸口」とは、人を排除するために狭くなっているということではなく、むしろわたしたちが救われるいわば「権利」について語っておられるのではないでしょうか。ですから、救われる条件は、ただイエスの近くにいることではないのです。たとえば、「ご一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場で教えを受けたのです」と主張しても、「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と言われてしまうのです。このようなイエスの厳しいおことばは、マタイ福音書では、偽善者たちに向って語られてという次のような文脈になっています。

「わたしに向って、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名(みな)によって預言し、御名(みな)よって悪霊を追い出し、御名(みな)よって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と、言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法(ふほう)働く者ども、わたしから離れ去れ』と」(マタイ福音書721節〜23節)。

イエスのこの厳しいおことばは、恐らくマタイの共同体で悪影響を及ぼしていた偽預言者(ぎよげんしゃ)たちを警戒するために語られたと考えらます。彼らは、教会内で現に活動していました。それだけに問題は深刻だったのです。彼らはイエスに対して<主よ>と模範的な信仰を表すだけではなく、イエスの名によって預言し、悪魔払いによって病気を治し、その他いろいろな奇跡までも行っていたのです。したがって、教会内でかなりの影響力をもっていたと思われます。

けれども、彼らはイエスによって「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」と、罪に定められたのです。なぜなら、

最も重要な掟すなわち、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」とう掟を実践していなかったからではないでしょうか。

  ですから、パウロは愛がどれほど大切であるかを、次のように強調しています。

  「たとえ、預言する賜物(たまもの)を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」と(コリントの信徒への手紙一、132節〜3章)。

狭い(せま)戸口から入るように務める 

  ですから、今日(きょう)の福音でイエスがいみじくも命じられた「狭い戸口から入るように努めなさい」とは、結局、イエスに忠実に従うように務めるということではないでしょうか。なぜなら、イエスが弟子たちにご自分の受難と死、そして復活を初めて予告なさった直後に、次のように命じられたからです。

  「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と(マタイ福音書1624節)。

  ですから、まず、自分の十字架背負い続けることができるために自分を鍛錬(たんれん)しなければならないのです。イエスが、言われる「努めなさい」とは、まさに自分を信仰において鍛えることだからです。

  この鍛錬(たんれん)について、今日の第二朗読が教えてくれます。実は、この手紙は、信仰を捨てる危機に襲われている信徒に、苦しみの意味を説明し、信仰における忍耐を勧めるために書かれたのです。ですから、励ましの手紙と言えます。

  まず、旧約聖書の箴言(311節〜12節参照)を引用します。

  「わが子よ、主の鍛錬(たんれん)を軽んじてはいけない。主から懲らしめられて()も、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え(きた)、子として受け入れる者を皆、鞭打たれる(むちう)からである」と。

  この「鞭打ち」は、イエスご自身が耐え忍ばれた刑罰でしたから、イエスに従う者が受ける迫害でもあります。さらに鍛錬(たんれん)について次のように説明しています。「およそ鍛錬(たんれん)というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われますが、後になるとそれで鍛え(きた)上げられた()人々に、()という平和に満ちた実を結ばせるのです」と。

  生涯かけて、忠実にイエスに従うことができるよう努めるならば、必ずイエスご自身から、力強い支えと安らぎをいただくことができます。なぜなら、イエスは、次のような愛に満ちたおことばを、日々与えてくださるからです。

  「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎ(やす)得られる。わたしの(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」と(マタイ福音書1128節〜30節)。

  このみことばから、あらた慰めと安らぎが与えられ、新たな熱意をもって日々、イエスのおことばに聞き従うことができるよう共に祈りたいと思います。

軛(くびき)

聖母の被昇天(10.8.15

「マリアと共に平和のために働く」

聖母の被昇天の祭日の由来

今日(きょう)、全世界のカトリック教会が共に祝う「聖母の被昇天」は、マリアの祝日や記念日の中で最も重要な祭日です。実は、すでに五世紀ごろには、八月十五日に「神の母マリア」の祝日が祝われていました。その日は、マリアの誕生日としてお祝いしたのです。なぜなら、聖母マリアが天に帰られたことが永遠のいのちへの誕生にほかならないと信じたからです。ですから、七世紀の中頃には、ローマでは、八月十五日を「聖母の帰天の祝日」として祝っていました。やがて、八世紀の末にはローマで初めて、この祭日を「聖母マリアの被昇天」と呼ぶようになったのです。また、19世紀から20世紀かけてマリア信心が高まるなか、「聖母の被昇天」を信ずべき「教義」にするよう多くの嘆願書が提出され、ついに、1950111日に、時の教皇ピオ十二世は、「マリアは、霊魂と体が共に天に上げられたこと」を、教会の信ずべき正式な教えつまり「教義」であると宣言なさいました。ですから、わたしたちは全世界の教会と共に、マリアがキリストと最も深く結ばれたので、すでにその復活の栄光にあずかっておられることを、喜び祝うことができるのです。

日本と聖母マリアとの特別な関係

ところで、今から丁度461年前の815日、聖フランシスコ・ザビエルの一行が鹿児島に上陸したのです。ザビエルは、1549415日、ゴアを出発し一行は531日に海路マラッカに到着し、624日に同地から船出したのです。ザビエルは、マラッカで「日本の島々は信仰をひろめるために極めて整えられた(ととの)ところである」という新しい情報を手に入れ、日本に向ったのです。この聖母の被昇天の祭日が、日本におけるカトリック教会の始まりとなったのは、きっと聖母の特別なご加護が、日本の教会に与えられることが約束されたと受け止めることができるのではないでしょうか。

  とにかく、このザビエルの来日後、わずか七十年あまりのうちに日本のほぼ全土に宣教師の方々が足を踏み入れ、福音を()教会を創立なさいました。そして、十六世紀末には、教会は関東・東北地方に、迫害の嵐の吹きすさぶなか、東北から蝦夷地(えぞち)松前(まつまえ)にまで教会を拡大することが出来たのです。ですから、たとえば、山形県の米沢教会は、1626年以降確かな成長を続けました。司祭が常駐していない巡回教会でしたが、上杉(うえすぎ)藩士のルイス(あま)(かす)()衛門(えもん)と二人の息子ミカエル甘糟()衛門(えもん)そしてビンセンチオ黒金(くろがね)(いち)兵衛(びょうえ)が共同体の世話をしたのです。特に「組」という小共同体を育てお互いの交わりと絆を保っていました。その中には、「聖母の組」や「聖体の組」と呼ばれる共同体などがありました。司祭が常駐していなくても、信徒は定期的に集まり、霊的読書と祈りを土台に、孤児の世話、病人や貧しい人たちの支援活動に携わって(たずさ)いました。当時、米沢教会には、すでに三千人以上の信者がいたと上杉藩の文書に記録されています。そして、やがて始まったキリシタンの迫害時代には、男性三十人と女性二十三人のうち五歳以下の幼児九人が見事な殉教を成し遂げたのです。二年前、このまさに模範的な殉教者の方々は、長崎で(れっ)(ぷく)されました。

  ちなみに、今日(きょう)は、65回目の敗戦記念日に当たりますが、あの悲惨な戦争を終えることが出来た日本は、被昇天の聖母の力強い取りつぎがあったからではないでしょか。ですから、日本のカトリック教会は、聖母と共に世界平和の実現のために働く特別な責任があると言えましょう。この責務を模範的に実行なさった方がおられます。

  長崎教区の高見三(たかみみつ)(あき)大司教様です。大司教様は、今年の四月下旬から二週間余りかけて、浦上の被爆マリア像を携えて、ローマ・スペインを平和巡礼し、続いて核廃絶を訴えるためにニューヨークの国連本部を訪問し、核廃絶を訴える要請文を直接手渡し、被爆国のカトリック教会の使命を見事に果たされました。 

マリアと虐げられている人々の連帯

次に、今日の福音ですが、マリアが親類のエリザベトを訪問なさったときにささげられた賛歌を伝えています。この賛歌は、特に虐げられ(しいた)、抑圧されている人々に勇気と希望を与えているのではないでしょうか。特に、51節からのくだりです。「主はその腕で力を振い、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」と。

  ですから、カトリック教会の伝統の中ある「マリア崇敬(すうけい)」も、特に貧しいラテン・アメリカのカトリック信者が証ししているように極めて民衆的であり、特にさまざまの苦難の歴史の中で培われた(つちか)のです。たとえば、スペイン・ポルトガルの植民地政策によって虐げられ(しいた)搾取(さくしゅ)されることから、解放されるときの旗印(はたじるし)になったのが、聖母マリアでした。その典型的実例が、メキシコの教会のグアダルーペの聖母崇敬(すうけい)です。このグアダルーペの聖母は、初めは原住民であるインディオの守護聖人でしたが、(のち)に歴代の教皇から「ラテン・アメリカの守護聖人」と宣言されました。今日(こんにち)では、カナダからアルゼンチンに至るまでの多くの人たちが、マリアを「南北アメリカの母」として崇めて(あが)います。

  とにかく、ラテン・アメリカの誕生を特徴づけるものは、暴力、略奪(りゃくだつ)、死だったのです。この新大陸の植民地政策が、すべての先住民の人間的尊厳を踏みにじり、奴隷にしてしまったのです。そのような、苦難の状況の只中、とうとう神ご自身が、聖母マリアによって直接介入なさったのです。

  メキシコシティの近郊に住むホアン・ディエーゴという貧しいインディオに、なんとマリアは女王の姿でご出現なさったのです。この不思議な出来事によって、何百万ものインディオたちが、自分たちの人間としての尊厳と、そして何よりも生きる勇気を取り戻すことができました。

  そのご出現のとき、マリアの衣は、太陽のように、きらきらと輝き、その足もとの石や岩までが光っていたのです。その神々しい(こうごう)お姿を目の当たりしたホアンは、思わずその場に跪きました(ひざまず)。そして、大変ありがたいお言葉をいただいたのです。

  「わたしは、(まこと)にあなたがたの慈しみ(いつく)深い母、あなたやこの地に住むすべての人々の母。わたしを愛し、呼び求め、わたしに信頼を置く多くの人々の母。わたしは、その場所で、皆の嘆きや悲しみを聞き届け、痛みや辛さ(つら)惨めさ(みじ)をいやしてあげましょう。・・・」と。

  このグアダルーペの聖母は、メキシコにおける独立戦争、革命の戦い、そして解放運動の推進者たちのまさに旗印(はたじるし)となったのです。

  わたしたちも、被昇天の聖母の取りつぎを願い、今なお貧しさと飢えに苦しんでいる人たち、また搾取と抑圧にあえいでいる人たちのため祈るだけでなく、聖母マリアと共に(まこと)の平和実現のために働くことができるよう、共に祈りたいと思います。

  最後に、聖母の被昇天と敗戦記念日とにちなんで今晩から毎日、各家庭での晩の祈りに、ロザリオの祈り一連を加えて特に平和のために祈ることを、お勧めしたいと思います。

グアダルペの聖母

2010仙台教区<平和を求めるミサ>(10.8.8

 

「和解のために奉仕する任務をわたしたちに」

日本カトリック平和旬間の由来

  今から丁度29年前の1981年の223日から26日までの4日間、時の教皇ヨハネ・パウロ二世は、初めて日本を訪問なさいました。そして25日には、広島を訪れ平和記念公園で全世界に向けて九カ国語を駆使して力強い教皇の「広島平和アピール」を訴えられたのです。皆さんのお手元にある今日のミサの式次第の裏表紙にある「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の命の破壊です。戦争は死です」というお言葉は、そのアピールの中心的なメッセージです。

  このすばらしい「広島平和アピール」を、厳粛(げんしゅく)に受け止めた日本司教団は、早速、その年の5月に開かれた司教協議会定例総会で、「平和と現代の日本カトリック教会―教皇『平和アピール』に答えて」を、正式に発表することを決議しました。そこで、翌年(よくとし)つまり1982年の司教協議会定例総会で、毎年「8月6日から15日までを日本カトリック平和旬間とすること」を決定しました。

  ですから、今年も「2010年平和旬間を迎えるにあたって」という談話において、日本カトリック司教協議会の会長・池永 潤大司教様は、次のように呼びかけておられます。「日本のカトリック信者にとって、特に平和について学び、平和のために祈り、行動する期間となっています。・・・特に今年は世界も日本も平和を求める声がうねりとなってわき起こりました。世界では核廃絶への声、日本国内では沖縄の『もう基地は要らない(い)』という声です。・・・去る5月、長崎教区の高見三明大司教は、原爆によって廃墟となった浦上の地から拾われた<被爆マリア>を携え、米国市民と国連関係者に核廃絶を訴えました」と。

  今年の「広島平和記念式典」には、初めて駐日米国大使が出席しました。また国連事務総長も参加し、核廃絶による世界平和への具体的な一歩を踏み出す決意を表明なさいました。確かに、平和実現に向けて新しい行動が開始されたのではないでしょうか。

和解のために奉仕する

  今日の第二朗読で、パウロは、わたしたちキリスト者には、和解のために奉仕する任務が与えられていることを強調しています。

  「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」と。

  この和解には、個人同士の和解だけでなく、民族同士や国同士の和解も含まれるのではないでしょうか。たとえば、今年の822日は、日本の帝国主義時代に韓国と併合し、朝鮮半島を植民地化した「韓国併合」条約締結の100年にあたります。つまり、日本は大韓帝国を占領した後(あと)、朝鮮総督府を設置して本格的な植民地支配に乗り出したのです。この植民地支配を36年以上も続けることによって、日本は韓国人を抑圧し心を傷つけてしまったのです。

  かなり前のことですが、韓国の教会を訪問し、祈りの集いに参加したことがあります。そこで、その集いが終わるころ、一人の年配のご婦人が、ご自分の感じたことを、次のように分かち合ってくださいました。「今日(きょう)まで、わたしの心には韓国と日本を隔てる大きな壁がありました。けれども、今日(きょう)、このように日本人の神父さんと一緒に祈ることができたので、その壁は崩れました(くず)。神様に感謝したいです」と。ところで、パウロも、キリストこそが、わたしたちの間にある壁を取り壊してくださることを、次のように強調しています。

  「実に、キリストはわたしたちの平和です。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、・・・こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ばされました」と(エフェソの信徒への手紙、214節〜16節)

  教皇ヨハネ・パウロ二世は、広島での「平和アピール」で、いみじくも訴えられました。「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれが抱く『現代の課題』の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますます増え、破壊力も増大しています」と。

  ですから、唯一の被爆国である日本は、世界に向けて核兵器の全面的廃絶を力強く訴え続けなければなりません。

すべてのものの平和は秩序の静けさである

ところで、5世紀に活躍した偉大な神学者聖アウグスティヌスは、平和を次のように説明しています。つまり「すべての平和は秩序の静けさである」と(『神の国』1913章冒頭)。すなわち、この地上に最終的に築き上げられる真の平和は、全く新しい秩序が実現することにほかなりません。ですから、今日の第一朗読において預言者イザヤは、メシアの到来によってもたらされる真の平和の秩序を、動物と幼子のイメージで描いております。ちなみにイザヤは、すでに9章で、ダビデ王を理想化したメシアが、平和をもたらすことを、次のように預言しています。

  「ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることはない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる」と(イザヤ書96節)。

  ですから、今日の箇所である11章の6節からは、メシアによってもたらされる全く新しい平和の秩序が、見事に描かれているのです。

  「狼は小羊と共に宿り 豹(ひょう)は子山羊と共に伏す。子牛は若(わか)獅子(じし)と共に育ち 小さい子どもがそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草(ほしくさ)を食らう」と。

  動物の世界だけではなく、人間の社会にも根強くはびこっている「弱肉強食」という恐ろしい原理は全く無くなり、生きとし生ける物が、平和の内に共に生きることができる全く新しい秩序が実現するのです。ですから、真の平和とは、戦争が無くなり、すべての武器が廃絶されるだけではなく、何よりもまず神によって全被造物が恵みに満たされることにほかなりません。

平和を求める祈り

最後に、教皇ヨハネ・パウロ二世が「平和アピール」を締めくくった祈りを、ここで改めて繰り返したいと思います。

  「ここでわたしは、自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。

  神よ、わたしの声を聞いてください。それは個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。

  神よ、わたしの声を聞いてください。それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろう、すべての子どもたちの声だからです。

  神よ、わたしの声を聞いてください。わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛を注いてくださるよう、祈ります。」

  神よ、わたしの声を聞いてください。わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全(まった)き献身もって対し、貧困には自分を分かち合い、戦争には平和をもって応えることができるよう、英知と、勇気をお与えください」。

ヨハネ・パウロ2世 in広島

年間第18主日・C年(10.8.1

「上にあるものを求めなさい」

神を敬う人の死は

  先日、東京の関口(せきぐち)教会(司教座聖堂)で、久々に葬儀ミサの共同司式に参加することができました。そのミサで「答唱詩編」は、『典礼聖歌』の82番「神を敬う人の死は」が歌われました。「神を敬う人の死は、神の前に尊い、救いの(さかずき)をささげ神の名を呼び求めよう」と、答唱句を参列者全員で、このみことばを深く味わいながら繰り返し歌い、黙想しました。

  今日(きょう)の第一朗読で、コヘレトは、所詮(しょせん)、人間の人生は空しいのものだと、全く悲観的なとらえ方をしていますが、最後の章では、「すべてに耳を傾けで得た結論。『神を畏れ(おそ)、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて」と、断言しています

  ですから、『詩編116編』では、「神を敬う人の死は、神の前に尊い」と歌い続けることができるのです。実は、先日の葬儀ミサは、わたくしが30代の時、仙台の教会で洗礼を授けた方の葬儀と告別式でした。それも、娘さんが携帯電話で前日に知らせてくださったお陰で、葬儀ミサをカテドラルのお二人の司祭と共同司式ができたのです。彼女の75年の生涯は、まさに「神の前に尊い」人生だったと思います。洗礼を仙台で受けられたのは、38歳のときでしたが、その後()一家そろって東京に戻られ、関口(せきぐち)教会で聖歌隊や先唱者として熱心に奉仕されました。ところで、70歳になられた頃から、ご自分の信仰体験を少しずつ書き留めていたのです。そして、亡くなられる五カ月前に、その数々の文章を一冊の小冊子にまとめられ出版に漕ぎつける()ことができたのです。その御本の最後の所で、次のように書いています。「家事をしながらその合間に、心に溜まって()いる恵みの言葉を、台所で書き留めておりました。・・・神様は、私をこの環境に置いて、その中で私を使って何かを書かせたかったのかもしれないーそう思わないでもありませんが、ともかく私はいつも、神様の御手(みて)の中で、内的(ないてき)促し(うなが)に従って書かせていただいたのでした。東洋の霊性(れいせい)を備えた日本人として、聖書を味わい深く読み、深い井戸から汲み上げた()普遍性のある水を、渇きを覚える人々に、ふさわしく提供する使命を、深く自覚していたいと思います」と(大橋寛子『東西の霊性、心の旅路、日本人とイエスをつなぐ「いのちの深層」』星雲社、170頁) 

上にあるものを求めなさい  

  今日(きょう)の第二朗読で、パウロはいみじくも勧めてくれます。

「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」と。

この方は、日々の生活のただ中で、みことばを霊的な(かて)とすることによって、生活に流されないでいつも「上にあるもの」つまりキリストを求めておられたと思います。その体験を次のように書き遺されました(かきのこ)少し長くなりますが、引用いたします。

  「私たちが、信頼に値する(あたい)人格へと成熟していくために、人間の根源的在りよう()を知り、人間本来の姿として生きていくために、そしてまた、日常生活のただ中で『()』を創り(つく)出し、『神様とより深く交流してそのみ旨を生きていく人』となるためには、聖職者の指導の(もと)で聖書を深く味わいながら、旧約聖書・新約聖書を通読することが必要です。

  聖書全体を深く知ると、『智慧(ちえ)』に目覚めてきます。わたしたちが生きるこの時代を歴史的現実として認識し、洞察(どうさつ)することが可能となる結果、『時代の要請(ようせい)応えて(こた)今何をすべきか』が見えてくるのです。特にキリスト者の場合、聖書全体を深く味わうことにより、『聖霊』によって<内側から神様の愛に潤されて(うるお)いる者>へと変えられていくことが望まれます。そして聖霊に満たされたこれらの人々には、各自がそれぞれの場に散って、『人々の間で、存在者との深い交流の内に生きること』を求められていると思われます」と(同上47頁)。

  このように霊的に深められた言葉を書き遺された(かきのこ)彼女に、心から感謝したいです。 

神の前に豊かになるには 

  ところで、今日(きょう)の第二朗読で、パウロは「古い人をその行いと共に脱ぎ捨てる」ことを勧めていますが、わたしたちの心の中に残っている「古い人」とは、イエスの教えと証し(あか)無頓着(むとんちゃく)なため、人生の目的と意味を間違え、自分自身と自分の利益の中に閉じこもる生き方(いきかた)にほかなりません。それは、今日(きょう)の福音の最後のことば、つまり「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者」のことです。

  今日の福音は、ルカだけが伝えている特別な箇所ですが、その文脈は、イエスがご自分のメッセージの重要な点をくわしく語られた直後のことです。

  突然、ある人がイエスに質問したのです。ところが、イエスは、その相談に応じることを、断られます(ことわ)。それは、イエスが関わる事柄でないためです。

  そこで、イエスは、一同に向って宣言なさいます。

「どんな貪欲(どんよく)にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」と。

ここで言われている「貪欲(どんよく)」という言葉は、今日(きょう)の第二朗読でパウロが使っているものと同じものであり、それは、「偶像礼拝」にほかならないのです。

次に、イエスは、たとえを語られます。ある金持ちが思い巡らします。彼は、自分の収穫の結果に大満足なのです。彼は、自分の所有物により頼むだけでなはなく、それらをただ自分のためにだけに用いようとしているのです。

「さあ、これから(さき)何年も生きて行くだけの蓄え(たくわ)ができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。

この男の来世での運命については、何も語られていませんが、ここで問題となっているのは、人生において優先すべきことと、人生そのもの意味であります。ですから、パウロは、教えてくれます。

「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば(しゅ)のために生き、死ぬとすれば(しゅ)のために生きるのです。したがって、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは(しゅ)のものです」と(ローマの信徒への手紙147節〜8節)。

また、ルカは、次のようなイエスのおことばを伝えています。

「自分の持ち物を売り払って施しなさい(ほどこ)擦り切れる()ことのない財布を作り、尽きることのない(とみ)を天に積みなさい。そこには、盗人(ぬすびと)も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの(とみ)のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と(ルカ福音書1233節〜34節)。わたしたちの一回限りの人生が、「神の前に尊い」ものとなるように共に祈りたいと思います。

年間第17主日・C年(10.7.25

「祈りを教えてください」

もう一度だけ言わせて下さい 

  今日(きょう)の第一朗読ですが、先週に引き続きアブラハムが登場します。彼は、三人の旅人の姿で現れた神を真心(まごころ)込めてもてなしたのですが、その後()今日(きょう)の場面は、ソドムという重い罪を犯した町を見下ろす(みお)場所まで来たところから始まります。

  そこで、神がこの町を裁き滅ぼそうとしておられるのを知り、アブラハムは、大胆にも一歩進み出て、神に向かって必死に問い掛けます。

  「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ばされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです」と。それに対して神は、優しくお答えになります。

  「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」と。

  このようにアブラハムは、神のソドムに対する最終決定は、多数の悪い者に基づく(もと)のか、それとも少数の正しい者なのか、もし正しい人によるならば、一体何人いればよいのか、執拗(しつよう)に神に問い掛けます。勿論のこと、アブラハムは神の御前(みまえ)で、徹底してへりくだります。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます」と。そして、とうとう最後に思い切って尋ねます。

  「主よ、どうかお怒り(いか)にならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません」と。それに対して、神はお答えなります。

  「その十人のためにわたしは滅ぼさない」と。

  このように、神に全面的に信頼しきっているアブラハムの熱烈(ねつれつ)な祈りによって、ついに神の豊かな深い憐れみを引き出すことができたのではないでしょうか。 

神は、わたしたちの一切の罪を赦してくださる

次に、今日(きょう)の第二朗読ですが、パウロ自身が書いたのではなく彼の神学を受け継いだ者によると考えられますが、わたしたちの信仰の核心に触れる教えであります。つまり、わたしたちは、「洗礼によって、キリストと共に葬られ(ほうむ)

また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」と。そして、さらに誠にありがたい罪の赦しについて教えてくれます。

  「罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦してくださいました」と。

  アブラハムのように、わたしたちが天の御父に向って心を込めて、祈り続けることができるのは、すでにイエス・キリストによってすべての罪を赦していただいたからにほかなりません。つまり、イエスによって示された神の深い憐れみを体験しているので、天の御父の憐れみを願い続けることができるのです。 

わたしたちにも祈りを教えてください

次に、今日(きょう)の福音は、イエスが弟子たちにどのように祈るべきか、懇切(こんせつ)ていねいに教えてくださったことを伝えています。「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」と、弟子たちは、イエスに御願します。そこで、イエスは、まさに模範的な祈りを、教えてくださいました。わたしたちが、毎日唱えている「主の祈り」のルカが伝えている箇所です。実は、カトリック教会が伝統的に「天にましますわれらの父よ」と唱えて来た「主祷(しゅとう)(ぶん)は、マタイ福音書で伝えられている形によるものでした。ですから、口語体(こうごたい)に直した今の「主の祈り」も、原型はマタイ福音書(69節〜13節参照)にあるものです。

  今日(きょう)の箇所では、ルカは、「父よ」という単純な呼びかけで始まる形を伝えていますが、この「父よ」という言葉の背景にはアラマイ語の「アッバ」があります。この呼び方は、幼子(おさなご)が自分の父親を親しみと信頼を込めて呼ぶときに使われる、幼児語の流れを汲んだ()ものです。実は、マルコ福音書では、イエスがゲッセマネで、最後の晩さんの(あと)、天の御父に向って熱烈な祈りをささげている場面で次のように使われています。

  「少し進んで行って地面(じめん)にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この(さかずき)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心(みこころ)適う(かな)ことが行われますように』と」(マルコ福音書1435節〜36節)。これが、イエスがひどく恐れてもだえ始め、「死ぬばかりに悲しい」(同上1433節〜34節)さなかに叫ばれた祈りなのです。

  イエスは、今日(きょう)の箇所では、この「父よ」という呼び掛けに続く五つの祈りを教えてくださいます。初めの二つは、神のための祈りです。つまり、御名(みな)があらゆる場所で崇められ(あが)、また御国(みくに)すなわち神の愛と慈しみの支配が実現しますようにと祈ります。これは、神による救いの完成を願う祈りにほかなりません。すなわち、神の救いの実現によって神の名が聖なるものであることが示され、それに気づく人々が御名(みな)崇める(あが)ようになるのです。

  続いて、「わたしたち」のための祈りが三つ続きます。まず、必要な(かて)が毎日与えられ、わたしたちの罪が赦され、また、誘惑遭わせないで()くださいと祈るのです。ここで、「わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」と祈るのは、神に罪を赦してもらうためには、まず、自分も常に他人を赦す心構え(こころがま)が必要だからです。

  そして、さらに二つのたとえが語られますが、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」ことを強調なさいます。大変、勇気づけられるおことばではないでしょうか。

  また、二つ目のたとえによって、不完全な人間の父親でさえ子どもには良い物を与えるのだから、まして、完全であられる天の御父(おんちち)は、何と「聖霊」をくださることを教えてくださいます。ところで、マルコによれは、この「聖霊」は、特に迫害に耐えている人々に語るべき言葉を与え、困難を乗り越えさせる力なのです(マルコ福音書1311節参照)。また、パウロは、聖霊がわたしたちのために絶えずとりなしておられることを、次のように説明しています。

  「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。・・・“霊”自ら(みずか)が、言葉に表せないうめきをもって執り成して(とりなして)くださるからです」と(ローマの信徒への手紙、826節)。

  聖霊に助けられながら、日々、熱心に祈り続けることができるよう、共に願いたいと思います。

 

年間第16主日・C年(10.7.18

「みことばをもてなす」

天幕から出て、迎える 

  今日(きょう)もまた、わたしたちは、このミサの「ことばの典礼」においてマルタの妹マリアのように、神のことばに「聞き入って」います。なぜなら、みことばは、神のいのちをわたしたちの心に注いでくださるからです。ですから、神は第二イザヤの口を通して次のように日々呼びかけておられるのではないでしょうか。

  「わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂にいのちを得よ」と(イザヤ書552節から3節)。このように、みことばは、わたしたちの信仰を育てるためになくてはならない日々の霊的な食物(しょくもつ)なのです。

  そこで、今日(きょう)の第一朗読ですが、神がアブラハムの天幕を訪れ、男の子が一年後に生まれるというみことばを、いかにていねいのもてなしたかを、感動的に語っています。

  まず、神は三人の旅人(たびびと)の姿で、アブラハムに現れたのです。暑い(あつ)真昼に」とありますから、気温は恐らく40度を超えていたかも知れません。ですから、アブラハムは「天幕の入り口」の日陰で休んで(やす)いたのですが、すぐに天幕の入り口から走り出て、地にひれ伏して、」ねんごろに客をお迎えしたのです。「お客様、よろしければ、どうか、(しもべ)のもとを通り過ぎないでください。水を少々(しょうしょう)持って来させます()から、足を洗って、木陰(こかげ)でどうぞひと休みなさって(やす)ください。何か召し上がるものを調えます(ととの)ので、疲れをいやしてから、お出かけください、せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから」と。そして、「アブラハムは、凝乳(ぎょうにゅう)(ちち)、出来たての子牛の料理など」で、まさに豪華な食事を用意します。「そして、彼らが木陰(こかげ)で食事をしている間、そばに立って給仕をした」のです。ところが、旅人の一人が突然、最高に喜ばしい知らせを告げたのです。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの(つま)のサラに男の子が生まれているでしょう」と。

  実は、アブラハムがすでに75歳を過ぎたときですが、神は約束なさいました。「あなたの子孫を大地(だいち)砂粒(すなつぶ)のようにする。大地(だいち)砂粒(すなつぶ)が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」と(創世記1316節)。ところが、彼が百歳近くなるまで、子どもは一人も授かりません(さず)でした

  ですから、今日(きょう)のアブラハムが客人を献身的にもてなしたという感動的な出来事は、この喜ばしい知らせつまりお男の子が生まれることを告げた神のことばを、どれほど真心(まごころ)込めて受け止めたかを物語っているのではないでしょうか。したがって、わたしたちも日々、アブラハムのように心をこめて神のことばの一言(ひとこと)ひとことをもてなさなければなりません。実は、イエスは、種まきのたとえを用いて、みことばを真剣に信仰の耳で聞くならば、必ず豊かな実りがあることを教えてくださいました。

  「良い土地に落ちたのは、立派な善い心でみことばを聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と(ルカ福音書815節)。 

みことばを余す(あま)ところなく伝える 

  ところで、今日(きょう)の第二朗読は、使徒パウロすなわち地中海沿岸に住む異邦人の国々に福音を伝えた偉大な宣教者が、ローマの獄中からコロサイの教会の信徒を励ますために63年ごろに書いた手紙からとられています。

  「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの(からだ)である教会のために、キリストの苦しみの欠けているところを、この身をもって満たしています」と。

  ここで言われている「キリストの苦しみ」とは、イエスご自身のご受難のことではなく、「キリストにおけるわたしたちの苦難」の意味です。つまり、イエスが、全人類を救うために引き受けられた苦難は完全ですが、教会が共同体として築き上げられていくためには、わたしたちも様々な苦しみを担って行かなければならないことの模範を、パウロが示してくれたのです。

  さらに、パウロが神から自分に与えられた尊い使命について確認します。

  「神は、みことばをあなたがたに余す(あま)ことなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました」と。したがって、パウロが体験したさまざまな困難(こんなん)は、すべてみことばを伝えるために受けたものにほかなりません

必要なことはただ一つだけ

次に、今日の福音ですが、ルカだけが伝えている出来事です。つまり、イエスが、マルタとマリアという姉妹を訪問なさったときの様子を語っています。

  実は、このルカ福音書の文脈では、イエスが、ご自分の受難と死が待っている(みやこ)エルサレムに向けての最後の旅路を始めたときの出来事になります。ヨハネによれば、この姉妹が住んでいたのは、エルサレムに近いベタニアという村ですが、「マルタという女が、イエスを家に向え入れた」のです。当時のユダヤ人社会では、男性が親族以外の女性と一対一(いったいいち)で接し、また、女性が男性を自分の家に迎え入れてもてなすることは、普通の習慣ではありませんでした。ですから、イエスのとった行動は、男性と女性の間には何の差別もないことを宣言し、すべての人が平等に永遠のいのちへの道に招かれていることを示されたことになります。

  そこで、マルタとマリアのイエスに対するもてなし(かた)が極めて対照的でした。まず、妹のマリアのほうですが、「(しゅ)の足もとに座って、その話に聞き入っていた」のです。この「足もとに座る」とうことですが、権威ある先生の教えに耳を傾けている弟子の姿勢にほかなりません。

  一方(いっぽう)、姉のマルタですが、とにかくイエスをもてなすために「せわしく立ち働いて」いました。この「せわしく立ち働く」というのは、もともとは「周り(まわ)から引かれている」ことを表します。ですから、マルタは、まさに中心であるイエスから離れ、いろいろともてなしに注意を奪われ(うば)、心を悩ませて(なや)いたことになります。そこで、マルタは自分だけにもてなしの準備をさせている妹に対する不満を、なんとイエスに向けて訴えた(うった)のです。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と。

  それに対して、イエスは、優しく諭されます(さとさ)「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱して(みだ)いる。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならい」と。

  結果的に、マルタは食事の準備にあまりにもとらわれてしまい、そのときイエスが求めていたもてなし、つまり、妹のマリアのようにイエスの足もとに座って、その話に聞き入ることができなかったのです。最後に、すでに引用したイザヤ書のことばを繰り返します。「耳を傾けて(かたむ)聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂にいのちを得よ」と。

マリアとマルタの家のキリスト(フェルメール)

年間第15主日・C年(10.7.11

「信仰を愛の実践によってあかしする」

みことばを行うことが出来る 

  今日(きょう)の第一朗読は、旧約聖書の五番目の書物『申命記』からとられています。この書物は、エジプトの奴隷の家から解放されたイスラエルの民が、四十年にわたる荒れ野の旅を終えてようやくヨルダン川の東岸(ひがしぎし)に到着したときに、モーセが語った遺言の書であります。約束の地つまり「乳と蜜の流れる土地」カナンに入ることが出来たのは、実は紀元前13世紀ですが、この書物が書かれたのは紀元前6世紀になってからです。

  とにかく、モーセは、その約束の地をヨルダン川の彼方(かなた)に見渡しながら、イスラエルの信仰の原点に立ち帰るように民に向かって切々(せつせつ)訴えたのでした。

  「この律法の書に記されて(しる)いる戒め(いまし)と掟を守り、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰りなさい。・・・みことばは、あなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」と。

  ここで強調されているみことばは「あなたの口と心にある」とは、同じ『申命記』の66節から9節の言葉を念頭においた表現と考えられます。つまり、

  「今日(きょう)わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚え(おぼ)として(ひたい)に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」というくだりです。

  このように日ごろから神の掟を「口」を用いて(もち)子どもに語り聞かせ、「心」をこめて記憶に留めて(とど)いるなら、それを実行することが出来るのです。しかし、今日(きょう)の箇所の最後に言われている「それを行うことができる」のは、実に「神の働きかけに促され(うなが)て、行うことができるようになる」と受け止めるようになったと思われます。つまり、わたしたちがいつの時代においても神の掟を守ることができるのは、神の恵みに支えられるからにほかならないことが強調されているのです。 

永遠のいのちを得るために  

次に今日(きょう)の福音ですが、まさにイエスの教えの核心に触れるメッセージを語っています。先ず、律法の専門家が、イエスを試そう(ため)として、最も大切な質問をします。「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるしょうか」と。それに対してイエスは、即答(そくとう)を避け問い返します。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と。そこで、律法の専門家ですから、即座に旧約聖書の『申命記』の6章5節とレビ記の1918節を引用して答えます。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」と。そこで、イエスは、その答えが正解であることを認めた上で、はっきりと命じられます。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすればいのちが得られる」と。しかしながら、この律法の専門家は、自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と問い返します。ここで言われている「自分を正当化する」という用語ですが、ルカがよく使う表現で、「自分は正しい人間であることを示す」とも訳すことができます。つまり、ルカは、「律法の専門家」や「ファリサイ派の人々」は、「自分は正しい人間だ」と思い込んでいる(やから)だと考えていたのです。

  ですから、この律法の専門家は、すぐに尋ねます。「では、わたしの隣人とはだれですか」と。とにかく、彼は律法の専門家ですから、「隣人とはだれか」くらいは当然よく分っているはずです。つまり、当時のユダヤ教徒にとって「隣人」とは、ユダヤの「同胞」のことで、とりわけユダヤ教徒に限定されていました。

  したがって、この律法の専門家は、自分の問いに対してイエスが、「隣人とはイスラエルの民である」とお答えになることを予想していたと思われます。

  ところが、これに対して、イエスはこの「善いサマリア人」のたとえをもって答えらました。 

「行って、あなたも同じようにしなさい」

「エルサレムからエリコに下って(くだ)いく途中」の道は、山道で今でも寂しく(さび)

荒れ果てています。「たまたまその道を下って(くだ)来た」「祭司」とは、おろらく、エルサレム神殿における奉仕を終えて、エリコにある自分の家に帰る途中だったのでしょう。ちなみに、当時、エルサレム神殿には約8000人の「祭司たち」と約一万人の「レビ人」つまり「下級祭司」たちが仕えていたそうです。

  とにかく、この祭司もレビ人(れびびと)のいずれも「道の向こう側を通って」、追剥(おいはぎ)に襲われて半殺しにされて倒れている人に関わることを、避けました。道の反対側に倒れている旅人は、すでに死んでいたと勘違い(かんちが)したのでしょうか。ちなみに、当時、聖職者には、汚れる(けが)から死人に触れてはいけないという掟(レビ記21.1参照)がありました。

  ところが、同じように「旅をしていたサマリア人」がこの傷つき倒れているユダヤ人の「そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の驢馬(ろば)に乗せ、宿屋(やどや)に連れて行って介抱(かいほう)した」のです。実は、当時、ユダヤ人とサマリア人は、まさに犬猿(けんえん)間柄(あいだがら)で日ごろはほとんど接触していませんでした。ですから、このサマリア人のとった行動は、まさに例外的であったと言えます。

  イエスは、わたしたち一人ひとりが、特に助けを必要としている方々に積極的に近づき、関わることによって隣人愛の実践を呼び掛けておられるのです。

  以前、聞いた話しですが、戦争から逃れた難民が収容されている収容所の悲惨な生活が、ある報道番組でテレビに放映されました。ところが、たまたまそのテレビを、三歳になるお孫さんと、お爺さんが一緒に見ていたそうです。そこで、難民の惨めな子どもたち様子が映し出されたときです、そのお孫さんは、自分が食べかけていたお菓子を、思わずテレビに向けて「これを食べなさいよ」と、差し出したのです。ところが、そのお孫さんのしたことを、横で見ていたお爺さんが、一大決心をしました。「わたしの孫は、何と優しい心の持ち主か、わたしも孫に倣って、自分の貯金から一千万円をそっくり難民救済のために寄付しよう。しかも、匿名で、ただ一言<孫の心より>というメモを添えて」と。わたしたちの愛は、民族の違いや国境を越えて、助けを必要としている「イエスの兄弟」(マタイ福音書2540節参照)の隣人になるよう駆り立てます。なぜなら、神の力強い(ちからづよ)愛に突き動かされるからです。ヨハネは、手紙に書きました。

  「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う(つぐな)いけにえとして、御子(おんこ)をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」と(ヨハネの手紙一、4.10-11)。

年間第14主日・C年(10.7.4

「この家に平和があるように」

平和を大河のように 

  今日の第一朗読は、便宜上(べんぎじょう)第三イザヤと呼ばれる箇所からとられています。実は、この第三イザヤは、イザヤ書の56章から最後の66章までですが、紀元前六世紀末から紀元前五世紀初頭につまりバビロン捕囚からイスラエルの人々が解放されようやく故国に戻ることが出来た時代に活躍した一無名の預言が書いたものと考えられます。

  バビロンの近郊に強制移住させられていた捕囚民は、ペルシャの王キュロスのお陰で(イザヤ書451節参照)ようやく帰国でき、紀元前515年には念願のエルサレムの神殿の再建を、成し遂げることができたのです。

  けれども、すでに預言者たちが約束していた神の栄光は現れず、かえって神への信頼が揺らいで()しまったのです。そのような「闇」と「暗黒」とも言える時代のただ中で、今日の第一朗読が告げる励ましと希望の預言が語られたのです。

  「エルサレムと共に喜び祝い 彼女のゆえに喜び躍れ(おど)、彼女を愛するすべての人よ」と。

  つまり、(いま)、イスラエルの民が取るべき態度は、神への信頼に基づいて(もと)喜ぶことにほかなりません。なぜなら、それが出来るのは、次のような神のことばが、必ず実現すると全面的に信頼しているからです。

  「見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河(たいが)のように、国々の栄えを洪水の流れのように」と。

  平和と諸国の輝きが、エルサレムへと流れ込み、エルサレムを愛している者はそれを豊かに受けることが出来るというのです。そして、子どもが母親の乳を飲み、その胸に抱かれ(いだ)(ひざ)の上であやされるように、イスラエルの民は、神から愛と慰めを豊かに受けることになるのです。

  このように、当時のエルサレムの暗い惨めな現状を嘆き悲しんでいるイスラエルの人々とは違い、預言者は、神が大きな慰めを与える日が必ず到来すると信じていたのです。

わたしはあなたがたを遣わす

  そして、今日(きょう)また改めて、この第三イザヤの預言が、イエスによってものの見事に実現したことを確認できるのです。

  ところで、今日(きょう)の福音は、ルカだけが伝える七十二人の弟子たちの派遣の場面を、三つの段階に分けて語っています。

  最初に、福音を伝えるために派遣される宣教の旅についての心構えが語られます。宣教者は、なによりもまず「祈る人」でなければなりません。ですからイエスは、命じられます。「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の(しゅ)に願いなさい」と。旅を続けながら、収穫の(しゅ)である神が、働き手を送ってくださるように祈らなければなりません。

  このように、イエスが弟子たちに「行きなさい」と命じるより前に、「願いなさい」と教えるのは、福音つまり神の国の到来を告げ知らせることは、そもそもわたしたちの働きではなく、むしろわたしたちを通して神ご自身が働いておられることだからです。

  ですから、イエスが「行きなさい」と命じられる時には、必ず「わたしがあなたがたを遣わす」と励ましてくださるのです。

  また、「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と、特に迫害の時代に宣教することは、つねに自分の命を危険にさらすような困難が伴うのです。

  ここで、17世紀におけるキリシタンの迫害時代の、福者司祭殉教者たちの姿を紹介したいと思います。司祭たちは、いずれもあらゆる苦難が予想される中で特に迫害に苦しむ信者たちに仕える道を選びました。ペトロ岐部(きべ)神父は、過酷な三年にも及ぶ旅の(すえ)やっとローマに辿り(たど)つき司祭に叙階されますが、激しい迫害の嵐が吹きまくっている日本に戻り、九州から東北に至るまで信徒を訪ねて旅を続けました。また、ディエゴ結城(ゆうき)(りょう)(せつ)神父は、追放された信徒を津軽まで見舞い、捕えられた(のち)、一人で山中に住んでいたと役人を納得させ、信徒に取り調べが及ぶことを防ぎました(ふせ)また、トマス金鍔(きんつば)()兵衛(ひょうえ)神父は、馬蹄(ばてい)となって役所に潜入し牢内の信徒たちを励まし、巧みに捜索(そうさく)を逃れ、長く生きて信徒たちに奉仕しようとしました。

 財布も袋も履物(はきもの)も持って行くな

  さらに、イエスは弟子たちに命じられました。「財布も袋も履物(はきもの)も持って行くな」と。福音宣教は、神からの派遣なので、神の配慮は、宣教者が必要としているものにまで及びます。ですから、わたしたちが何も持たないことで、かえって神の働きが、ますます明確に示されるのではないでしょうか。

 この家に平和があるように

   派遣の第二段階として、それぞれの家を訪問したときには、「この家に平和があるように」と告げなければなりません。第三イザヤが預言した「見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河のように」は、まさにイエスがもたらしてくださる平和にほかなりません。ですから、復活させられたイエスが、弟子たちに二度にわたって宣言なさいました。「あなたがたに平和があるように」と(ヨハネ福音書201921章)。そこで、パウロは、次のようにイエスこそわたしたちの平和であることを、雄弁に語ります。

  「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、

ご自分の肉において敵意という隔て(へだ)の壁を取り壊し(とりこわし)、・・・こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者(りょうしゃ)を一つの(からだ)として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と(エフェソの信徒への手紙214節〜16節)。

 神の国はあなたがたの近づいた

   さらに派遣の第三段階には、宣教者が運ぶ「キリストの平和」は、人種や国籍や身分や性別を超えて全人類に及びます。ですからそれは、同時に神の国の到来を告げ知せることになるのです。イエスは、宣言なさいました。

  「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ているのだ」と(マタイ福音書1228節)。

  今日(きょう)もまた、このミサの終わりにわたしたちは主イエスによってそれぞれの家庭、地域、職場に福音を伝えるために派遣されて行きます。わたしたちが出会い、関わる一人ひとりにイエス・キリストを伝えることができるように、共に祈りたいと思います。

使徒たち(イコン)

年間第13主日・C年(10.6.27

「イエスの弟子の覚悟」

エリシャの召命 

  今日(きょう)の第一朗読は、預言者エリヤの後継者であるエリシャの召し出しについて語っています。まず、このエリヤですが、紀元前9世紀に北イスラエル王国で活躍した預言者です。実は、この王国のアハブ王の(きさき)イゼベルは、バアルという偶像を礼拝するシドン人でしたが、エリヤがこのバアルの預言者たち450人をキション川で皆殺しにしたことを知って、エリヤを殺害しようとします。そのことを聞いたエリヤは、恐れをいだいて直ちに南王国に逃亡(とうぼう)し、荒れ野に逃げ込みます。そして、四十日四十夜歩き続け、やっと神の山ホレブに辿り(たど)つきます。そこで神と出会い、エリシャを後継者にするよう命じられます。「アベル・メホラのシャファトの子エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ」と。

  この神のことばに従い、エリヤは直ち(ただ)に出発します。そして、牛を使って畑を耕して(たがや)いるエリシャに出会うことができました。エリヤは、エリシャのそばを通り過ぎるとき、自分の外套(がいとう)を彼に投げかけ、自分の後継者に選んだことを表します(列王記下213節参照)。そこで、エリシャは、自分の預言者としての召命を受入れます。そして、エリシャは、いったん自分の家族のもとに戻り、エリヤの後継者になる決断を、皆に祝ってもらうために牛を屠り(ほふ)振る舞います。とにかく、当時、預言者の召命を受けることは、全面的に神に仕えるために自分の人生の方向を変え、新しい生き方を始めることだったのです。ですからエリシャの預言者としての新たな出発を、次のように簡潔に伝えています。「それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた」と。 

イエスのエルサレムに向かわれる決断 

  次に、今日(きょう)の福音ですが、その箇所の文脈を、確認したいと思います。まず9章の21節から22節で、実は、イエスの死と復活の最初の予告が語られます。そして28節から36節で、イエスの山の上でのご変容の出来事が説明されます。次にまた44節で受難の二回目の予告があります。これを受け、951節では、「天に上げられる時期が近づいた」ことを知ったイエスが、エルサレムに向かう決意を固められます。つまり、イエスはご自分の御父から与えられた使命を悟り、神のご計画を実行するためにエルサレムに向かう決断をなさいます。しかも、このイエスと弟子たち一向のエルサレムへの旅は、同時に、弟子たちにそれなりの覚悟を迫る旅でもありました。

  ところで、51節から56節には、預言者エリヤを思い起こさせる表現が

あります。つまり、51節の「天に上げられる」(列王記下211節参照)、また52節の「先に使いの者を出された」(マラキ書31節、23節参照)、そして54節の「火を降らせて()彼らを焼き滅ぼしましょうか」(列王記下110節〜12節参照)の三か所です。このようにエリヤを思い起こさせるような表現を用いたのは、神の支配が、まさに今ここに接近していることを強調するためです。ですから、イエスがユダヤ人と敵対関係にあるサマリア人の村にわざわざ入ろうとなさったのは、神の支配は、すべての人に例外なく()べ伝えなければならないという信念に基づいた(もと)行動だったのです。したがって、たとえサマリア人の村では、案の定(あんのじょう)歓迎されなくても、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言う弟子たちの過激な提案を戒められ(いまし)、さらに別の村に移動したのでした。 

イエスの弟子となる覚悟 

  さらに、エルサレムに向かうこの最後の道すがら、三人の人物が次々と現れなんとイエスの弟子になりたいと願い出ます。

  そこで最初に、イエスに直接、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」と名乗り出た人が登場します。この人物は、まさかイエスが、エルサレムでの受難と死を目指して旅を続けておられるとは全く知らずに、名乗り出たのです。そこで、イエスは、まさに単刀直入(たんとうちょくにゅう)に答えられました。

  「(きつね)には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には(まくら)する所もない」と。まさに、イエスご自身の生き方の厳しい現実を説明なさったのです。

とにかく、人の子には、休むための宿を断られる(ことわ)こともあるし、安らぐ(