復活節(復活の主日から聖霊降臨の主日までの50日間。)
復活の主日から聖霊降臨の主日にいたるまでの50日間は、復活節と呼ばれ、復活の主日から復活節第6主日までの7つの主日があります。この期間は、新しい信徒の実践的な教育のためにあてられていました。復活後40日目に主の昇天を祝います。この日、日本では守べき祝日でないので、40日目の木曜日ではなく、復活節第7主日に祝います。
注)聖書における数字の7は、完全数を意味します。例えば、イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイ福音書18:22)に見られるように、「七の七十倍までも赦しなさい。」は、完全に赦しなさいという意味になります。また、旧約聖書の創世記における天地創造は7日間でなされ、神の創造は完全であり摂理であることを意味しています。
復活徹夜祭に洗礼式が行われていた初代教会では、復活祭は8日間続いて祝われていました。新しく洗礼を受けた人は、毎日ミサに参加することができたことから、8日間中は固有の典礼が行われ、その中で、新しい受洗者に実践的な秘跡教育を行っていました。その8日間が終わるときに、白衣を脱いでいたのです。
2世紀になると、復活祭は上記の8日間だけでなく、聖霊降臨の主日までの50日間を復活節として祝うようになり、各「主日(日曜日)」に新しい信徒の教育を行うようになりました。復活節40日目には、主の昇天を祝います。主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎えるための準備をするときとなります。復活節中、聖書朗読をとおして教会は、復活後に出現されたキリストを中心におきながら、主の復活を証した弟子たちのいきいきとした姿と、その復活信仰の足跡をたどっていきます。
ペンテコステ(五旬節)という聖霊降臨祭をさす言葉は、復活節をさす言葉としても用いられています。教会がこの季節に秘跡教育を行ったことは、復活節の福音、および他の朗読聖書が、秘跡生活の手ほどきとなる箇所から選ばれていることからも伺いしれます。
A、B年の復活第3主日をのぞいて、復活節の主日には、ヨハネ福音書が読まれます。この間に読まれる聖書を味わうことによって、7つの秘跡との深い関係を見いだし、教会生活のあらゆる面で、秘跡的意義を実践をとおして理解できるように配慮されています。
主の昇天 本来は復活の主日の40日後(木曜日)だが、日本ではその後の日曜日に祝われる。祭日。
主の昇天については、マルコ福音書で「主イエスは、弟子たちと話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(16・19、ルカ24・50-53と使徒1・9-11参照)とあるように、キリストが死んで3日目に復活し40日目に天に昇ったことを記念します。
キリストの昇天は、キリストが天に昇り、神の右の座に着いたということから人間として神の栄光の状態に上げられ、また御父のもとで最高の権威に参与されたことを意味します。
さらに当日のミサにおける集会祈願では、「全能の神よ、あなたは御ひとり子イエスを、苦しみと死を通して栄光に高め、新しい天と地を開いてくださいました。主の昇天に、私たちの未来が示されています。キリストに結ばれる私たちをあなたのもとに導き、ともに永遠のいのちに入らせてください」と唱えるように、キリストの昇天が私たちの昇天の原型であり、保証でもあります。それで私たちは、私たちに先駆けて天の栄光に入られたキリストに倣って、いつか彼とともにいることができるという希望のうちにこの出来事を祝うのです。
主の昇天は、キリストの復活後40日目の出来事でしたので、これに基づいて典礼暦では伝統的に復活の主日から40日目の木曜日に祝ってきました。しかし、日本のようにこの日を祝うために週日に集まることが難しい状況を考慮して、第二バチカン公会議後に行われた典礼暦の改定では、「主の昇天の祭日は、復活節第七主日に移す」(「典礼暦年に関する一般原則」7のロ)ことができるようになっています。
主の昇天の祭日は、イエス・キリストの十字架とは、死とは、いったいなんであったのかについて一つの答、意味を示しています。主のご昇天は、キリストの死と復活に続いて語られる話ですが、昇天はそれらとどのような関係があるのか、この日の朗読は教えてくれています。
主の昇天の出来事により、イエスと弟子たちとの交わりは一つの転機を迎えます。それは、教会の活動の幕開けの時が告げられることであり、イエスが告別の説教で告げておられた聖霊による新たな交わりの時の到来です。
第1朗読では、ABC年とも、使徒言行録冒頭部分であるご昇天の出来事の叙述が読まれます。それは、ルカ福音書の続きとしてこの書がつづられているということではじめられています。その記述の後、イエスが復活後40日間に語られたことを紹介し、昇天の出来事の詳細を述べます。ルカが記すこのような記述は、他の福音史家がだれも述べないことなので大切な文献となっています。
次に、イエスはご昇天に先立って弟子たちに聖霊が降ることについて語られます。
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
こうして教会のはじめの時がはじまる聖霊降臨が告げられ、聖霊を受ける弟子たちは力を受け、イエス・キリストの証人となり、福音をすべての人に宣べ伝える使命を果たします。この宣教の使命は、使徒言行録のメインテーマです。その話の後、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられ」、イエスは「雲に覆われて彼らの目から見えなく」なります。この時こそ、教会が救いの担い手となっていく時です。
天と地における出来事は、別々のものではなく同時に進行しているものです。イエスが「主」となられたので、イエスの後を継いでいる弟子たちの業は、新たな場、全世界において再現されていきます。ですから、弟子たちは悪霊を追い出し、病人をいやし、福音を宣べ伝えていくのです。こうして、終末に向けての新しい時代がはじまります。
この日祝う主の昇天は、イエスの地上での使命の終局、聖霊降臨の序曲、つまり、イエスが聖霊による新しいあり方で人々の中に生きるはじまり、永遠の大司祭職の行使のはじまりでもあるのです。
天使の告げる言葉、「なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」とは、なんと印象深い言葉でしょうか。
第2朗読では、ABC年共通にエフェソの信徒への手紙が読まれていましたが、1981年に公布されたミサ聖書配分では、C年にヘブライ人への手紙が読まれるようになりました。
パウロは、キリストがささげた犠牲が比類ないものであることを述べるにあたって、旧約との比較の中で一大飛躍を試みます。つまり、「あがないの日」の犠牲は聖所の汚れを取り除きますが、キリストの犠牲は、地上のものばかりではなく、天のものも浄めることができるのです。キリストの業が天でも地でも効力をもつということは驚くべきことです。宇宙的贖罪と言われ、見えるもの、見えないもの一切が浄められるのです。キリストのみ業と犠牲が最大のものであることについて著者は次の点をあげます。
・キリストは、「人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り…神の御前に現れてくださった」
・ キリストがそうなさったのは、私たちのためであること、私たちのために取りなしをしておれらること
・ キリストは、「多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられ」、繰り返す必要がないこと
パウロは、自分が述べてきたことを実際生活にあてはめようとします。
・ キリストは、神のみもとに導いてくださる「新しい生きた道」であること
・ キリストは神と人を結ぶ大祭司であること
ですから、次のようにすすめます。
・ 信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか
・ 公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう
福音書を理解する鍵は、福音書の結びであるといわれています。この日読まれるルカ福音書は、「イエスは、…祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」というイエスの姿を描いています。そして、弟子たちは、「…、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」で結ばれています。イエスの別れが、喜びと賛美の雰囲気の中に物語られています。
ルカの福音書のはじめに、祝福、神殿、喜び、賛美というテーマが登場しましたが、結びにも同じテーマが登場しています。こうして、旧約から新約へと受け継がれていくことを示しています。
ルカにとって、エルサレムは救いの歴史の中心でした。イエスの生涯はすべてエルサレムに向けられています。イエスは、エルサレムに向かって旅をしていたと書いています。復活後のイエスの出現も、すべてエルサレムとその周辺に限られています。この「エルサレム」という言葉には、いろいろの意味があります。エルサレムは旧約の時代から神の民の都、神殿のあった信仰の中心地でした。イエスの救いの業がまっとうされる舞台、今は天の「新しいエルサレム」として神の国の完成した姿を示しています。
福音史家たちは、それぞれだれに向けて語ったかにより、その目的を変えてつづっています。この機会に福音書を読み比べてみるのもいいかもしれません。
エマオで現れる ルカ福音書 24.13~35
弟子たちに現れる ルカ福音書 24.36~43
マルコの福音書の結び マルコ福音書 16.9~20
弟子たちを派遣する マタイ福音書 28.16~20
イエスの最後の言葉 マルコ福音書 16.15、19 ルカ福音書 24.44~53
ルカは、イエスの昇天を述べる前に弟子たちの使命について述べています。
・ メシアは苦しみを受け、
・ 三日目に死者の中から復活する。
・ また、罪の赦しを得させる悔い改めが、
・ その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる
・ あなたがたはこれらのことの証人となる。
弟子たちは神が述べ伝える悔い改め、イエスの受難と復活を見聞きして、それをすべての国に述べ伝えます。使命について語られた後、イエスは弟子たちを「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられ」ました。
それをみた弟子たちは、「イエスを伏し拝み」、「大喜びでエルサレムに帰り…神をほめたたえ」ながら、父なる神が約束してくださった聖霊をまちます。
イエスのご復活の後、教会はご昇天を祝い、さらに聖霊降臨、三位一体と祝っていきます。イエスが父のみもとに帰ることによって聖霊を遣わされる、実にイエスの昇天は天と地を結びあわせるものでもあるのです。そう考えるとこの祝日は、私たち一人ひとりの祝日でもあるのです。